第111話 体育(水泳)1

「整列!」

 日番が声を張り上げたが、若干震えている。

 それもそのはずだ。


「寒……っ」

 俺の右隣で野球部が自分の腕をこすり合わせていた。

 ゴロゴロ、と不穏な音が空から響いてくる。俺は頭上を見上げた。


 曇天。

 というより、さっきまで小雨が降っていた。現在、ただ「やんでいる」だけの状況だ。


「礼!」

 日番の語尾に、今度は、どぉん、と落雷の音が響く。


 俺たちは腰を曲げて礼をし、一斉に「お願いしますっ」と口にしたものだから、その音はかき消され……。


 結果的に、「聞かなかったこと」にされた。


「えー。みんなもわかるように」

 プールサイドに整列した俺たちの前には、体育教師の柴田がいる。


「あいつだけ、ラッシュガードかよ……」

 俺の背中に隠れて蒲生が悔しげに言う。


 確かに。

 やつだけ、防寒対策ばっちりだ。ラッシュガードの上に、パーカーまで着ている。ちらりと視線を向けると、蒲生の口は紫色で、震えていた。


 蒲生だけじゃない。整列させられた生徒は、全員小刻みに震えている。女子など可哀そうに、ずっと足踏みして寒さをしのいでいる。


「今日は、この天気だ」

 どおん、とまたひとつ、落雷の音がする。


 城の方だ。

 空が真っ黒で雲が垂れ下がっている、ということは、あちらはまた、降り始めているのかもしれない。


 水泳が始まるまでは、「この雨で水温が下がればいい。中止になれ」と願っていたが。


 始まってしまった今、願うのは。

『落雷による中止』。

 これしかない。


「とにかく、少しでも早く授業内容をこなし、早期に授業を終了しよう」

 柴田先生が重々しく言う。「中止」という選択肢がない。あくまで「授業はこなす」というスタンスらしい。


「先生!」

 茶道部が挙手した。「なんだ」とじろり、と柴田先生がみやる。


「水温、大丈夫なんですか? 今日、めちゃくちゃ寒いんですけど」

 茶道部の言葉に、皆がそれぞれ首を縦に振る。七月下旬だが、さっきまで小雨が降っていたことと、風が強いこともあって、今現在、鳥肌だつほど寒い。水温は適正なのか。


「ぎりぎり、大丈夫だ」

 ごおん、と少し間近で落雷の音が響く。


「……水温はじゃあいいとして……。雷ですよ?」

 水泳部がさらに言いつのった。水温については慣れているのか、震えてはいないが、恐ろしそうに空を見上げている。


「雷については、職員室で話し合った結果、こうやって授業を行っている」

 低く、うなるように柴田先生は言い、水泳部と同じように天を一瞥する。


「先生もまさか、校長が『可』を出すとは思わなかったがな」


「いや、そこは柴田先生も食らいついてくださいよ!」

 蒲生が言い、そうだそうだ、と俺たちも同意したが。


「決まったことは覆らない! 社会に出たらそうだ! トップが「白」といえば、「黒」も「白」になるんだっ」

 怒鳴り返されて、俺たちは黙る。俺たちの安全性など、無きに等しい。


「では、今日のメニューを伝える」

 柴田先生はおもむろに、かなりハードな内容をあっさりと伝えた。バタフライ、クロール、平を合わせて四キロ近くある……。そういえば普通高校は、バタフライをしない、と最近俺は聞いた。おまけに、今川のいる高校は、水泳自体がないそうだ。一体、どうなってるんだ。


「今日、水中眼鏡やゴーグルを持っていない者はいるか」

 俺の周りの生徒が、「ひょっとして、水の中の方が実はあったかいんじゃないか」とひそひそ話し合っていた時、柴田先生が声を張った。


 俺たちは互いに顔を見合わせる。

 皆、水泳帽の上に学校指定の水中メガネを装着済みだ。


「いないな。よかった」

 柴田先生は満足そうにうなずくと、パーカーのポケットに入れていた水中めがねの予備を、背後の用具かごに放り込む。


「なんか、あったんすか?」

 水泳部がこわごわと聞いた。


「たいしたことはない」

 柴田先生は前置きし、俺たちを見た。


「さっき機械科が水泳をしたんだが、ゴーグルを忘れた生徒がひとり、いてな。数本泳いだ途端、目が充血して開かなくなって……。さっき、校医に運んだところだ」


 途端に、クラス中がざわめいた。「静かにっ」と柴田先生が叱責を飛ばした後に、どぉん、とまた遠雷が鳴り響く。


――― なんてこった。水の中も危険とは……。


 俺達は、顔を強ばらせた。


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