【第42話:灰と血の町で】
「全軍止まれ!」
アンリ副長の声が風に乗り、後方まで鋭く届いた。
全員が馬を止める。ここまで約二時間の行軍だ。
まだ午前中とはいえ荒れた道が続き、皆の疲労は濃い。
涼真は馬から降り、水筒を手に取って喉を潤した。
「この分かれ道を東に行けばリールに出られる」
十番隊隊長ハラードが地図を広げながら言う。
「どうした、涼真? へばっちまったか?」
ギムが横から覗き込んだ。
だが涼真は険しい顔で考え込んでいた。
「ギム、変じゃない?」
突然の問いに、ギムがきょとんとする。
「何がだ?」
「ここからリールまでは一本道。街をひとつ襲った魔物の集団が通ったなら、足跡や蹄跡、荷を引きずった痕とか、もっと残ってるはずだろ?
……でも見てよ。道が綺麗すぎる」
その指摘に、周囲の騎士たちもざわつき始めた。
「確かに不自然だな」
「大規模な移動なら、何かしら痕跡があるはずだ」
「ガセ情報……か?」
ギムが眉をひそめる。
「じゃが、情報は教団からじゃろ。間違いとは思えん」
ガラハドが呟いた。
困惑が隊全体に広がる。
進むべきか、戻るべきか、判断が揺らぎ始めたその時。
「あの……」
控えめな声が後方から上がった。
みれば、健二が手を挙げている。
「健二?」
涼真が訊ねる。
「実は……さっき、ジュードの方角から騒がしい音がした気がして」
健二は躊躇いながら言った。
「ジュード……?」
騎士たちの間にざわめきが広がる。
アンリが鋭い視線で詰め寄った。
「確かか?」
「自信はないんですが……どうにも気になって」
マルコが周囲を見渡す。
「罠の可能性はあるじゃろうて。しかし街に人が残っているなら放置はできん」
ガラハドは馬に跨り、意志を固めたように手綱を握った。
マルコが短く頷く。
「ではこうしましょう。私と――涼真さん、健二さんの三人でジュードへ向かいます。
他の皆さんは予定どおりリールへ」
アンリは渋い表情で息を吐いた。
「……仕方ない、解った。全軍、出発!」
アンリの号令とともに本隊が東へ動き出す。
「行きましょう」
マルコの声で、三人は馬首を返し、急ぎ来た道を引き返し始めた。
馬を走らせること半刻ほど。木々の間から突如として視界が開け、三人はジュードへの道に出た。
涼真が馬上で身を乗り出し、辺りを見回す。陽光に照らされた林が、よく見ると不自然な形で揺れている。枝が折れ、地面には幾つもの巨大な足跡が点在していた。
「健二、お前よく気がついたな」
涼真が振り返って健二を見る。
「本当ですね。並の人間には気づかないでしょう」
マルコも静かに同意した。
「ま、まあな。俺だってちょっと本気だしゃこんなもんよ。」
健二は顔を紅潮させ、初めて自分の能力が認められた喜びで胸が熱くなった。
マルコの青い瞳が鋭く細められる。
「急ぎましょう。状況は想像以上に悪いかもしれません」
三人は馬を速め、石畳の続く街道を疾走する。
やがて丘陵を越えた瞬間、涼真が息を呑んだ。
「あれは……」
遠くに見えるはずの町の輪郭——それが今、灰色の煙に覆われていた。幾筋もの黒煙が空高く立ち昇り、風に流されていく。
「こちらがホンボシでしたか……しかしこの規模は……!」
マルコの声が珍しく上擦る。
健二は唇を震わせながら、ただ呆然と見つめていた。
「恐れるな、健二」
涼真の力強い声が背後から聞こえた。
「誰かが助かるために、お前の勘が働いたんだ。それを誇れ」
「ああ……」
健二は震える拳を握りしめた。勇気を振り絞り、前を向き直す。
マルコは剣帯の紐を締め直しながら、二人に命じた。
「私が先頭を行きます。涼真は右翼、健二は左翼から回り込むのです。
状況を確認次第、救出にあたってください——ただし無理は禁物です」
「了解!」
涼真の返事が風を切った。
「承知しました!」
健二は思い切って叫んだ。
三人の馬は同時に速度を上げる。風圧の中、健二は前方の煙に向かって誓った。
「マルコ隊長」
丘を下る途中、涼真が呼びかけた。
「ジュードというのはどんな街なんです?」
マルコは馬上で一瞬沈黙し、慎重に言葉を選んだ。
「……極めて特殊な街です。人間と魔族が公式に共存を許された唯一の都市。五十年前の大戦終結後に設置された特別自治区域なのです」
「共存……!?」
健二が思わず声をあげた。教科書でしか知らない異例の事態に驚愕する。
「そんな街が……?」
涼真が眉をひそめた。
「それでは?魔族が反乱を?」
マルコは厳しい面持ちで答えた。
「通常ならありえない……ジュードの魔族は反乱など起こさないはず。……」
言葉を切り、彼の視線が鋭くなる。
「ジュードの住民たちは互いに依存し合うことで安定していました。人間が生活基盤を与え、魔族が労働力を提供する。強制ではなく、共存という名の共生関係があったのです」
しかし、前方から吹きつける臭気に、三人は一斉に息を詰まらせた。
血と焦げる肉の混ざった腐敗臭。涼真の脳裏に最悪の可能性が過る。
「……通常ならありえないことが起きた。そういうことですね?」
涼真の問いに、マルコは苦虫を噛み潰したような表情で頷いた。
「かもしれません」
健二が歯を食いしばる。
「それで、あの煙……」
「急ぐぞ!」
涼真の号令と共に、三人の馬は加速した。煙の下、街の姿が徐々に明らかになる。
焼け落ちた家屋。路上に転がる影。そして遠くに見える巨大な影——それは噂に聞くオークとコボルトの群れだった。しかしその数は、見える範囲で十匹を超える。
「想定外の規模だ……!」
マルコが呻く。
「……!」
街の入口に差し掛かった瞬間、三人は馬上で硬直した。
路面には人間だけでなく、様々な種族の亡骸が転がっている。皮膚が焼け爛れた老女。腹を裂かれたホビットの子供。壁に寄りかかるように倒れたゴブリンからは、鮮血がまだ流れ出ていた。その中には明らかに内臓が抉られたものもある。
「うっ……!」
健二が顔を背けそうになる。その横で涼真は歯を食いしばり、必死に吐き気を堪えていた。平和な日本では想像もできなかった光景が目の前に広がっている。
「しっかりしなさい!」
マルコの一喝が響く。
「これが現実です! 騎士としての使命を思い出しなさい!」
言葉通り、涼真の目はすでに別の場所を捉えていた。
「あそこ……!」
通りの奥で、三人ほどのコボルトが倒れた少女を取り囲んでいる。一人は鋭い爪を振り上げ、今まさに止めを刺そうとしているところだった。
「させるかぁッ!!」
涼真の体が反射的に動いた。馬が嘶きを上げ、猛スピードで突入する。
「ギャイン!」
コボルトが涼真の剣戟を受け止めきれず、鈍い金属音と共に跳ね飛ばされる。続けざまに放たれた蹴りがもう一体のコボルトの肋骨を砕いた。
「無事か?」
涼真の問いに、埃まみれの服を着た人間の少女が小さくうなずいた。赤毛が汗で額に貼りついている。彼女は震えながら涼真の袖をつかんだ。
「お父さんが……! お母さんが!」
悲痛な叫びが通りに響く。涼真は少女の肩を優しく叩き、冷静さを保とうと深呼吸した。
「安心しろ。俺が守る」
そのとき、轟音と共に地面が揺れた。
「上です!」
マルコの警告が遅れて耳に届く。涼真は咄嗟に少女を抱き上げ、転がるように身を伏せた。直後、巨大な棍棒が二人のいた場所を打ち砕いた。
「クソッ……!」健二の声が隣から聞こえる。「こいつら、ただのコボルトじゃないぞ!」
眼前に現れたのは通常より二回り大きい巨躯のコボルトだった。全身を鉄製の鎧で固め、口から獣のような唸り声を上げている。
「貴様ら、人間か! よくも我らの獲物を奪ってくれたな!」
魔族の兵士らしい存在感。マルコが騎士剣を構えて前に出た。
「涼真さん! この子を安全な場所に私が始末します」
彼の声には珍しい怒気が含まれている。
「隊長ー! 後ろ!」健二の警告が空気を切り裂いた。
マルコは振り向くことなく右手を閃かせた。彼の白銀の騎士剣が風を纏い、コボルトの首筋へ一直線に走る。
「グオッ!?」
驚愕の声すら上げさせずに、巨躯のコボルトの首が宙に舞った。噴き上がる血液が雨のように降り注ぐ。
涼真は息を呑んだ。騎士団長の戦いぶりは以前見たことがあるものの、これほど完璧な一撃は初めてだった。
「信じられねぇ……」健二が震える指で兜を脱ぐ。「こんなデカブツを一太刀で……」
マルコの剣が鞘に収まり、冷徹な眼差しが周囲を見渡した。
「新手はいないようですね。ですが油断は禁物です」
「ありがとう」少女が小さな声で呟いた。涼真が彼女を地面に降ろすと、すぐに膝をついて両親を探し始めた。
マルコが涼真に近づき、耳元でささやいた。
「この子は情報源になります。安全な場所へ避難させつつ、町の状況を聞き出しましょう」
風に乗って遠くから悲鳴が聞こえた。戦いはまだ終わっていない。三人の騎士は再び馬に飛び乗り、少女を守りながら炎に包まれた町へと馬を走らせた。
ジュードの中心にある聖マリア教会。焼け残った建物の中、ステンドグラスから夕暮れの光が血のように床を染めていた。その中央で一人の男が豪華な祈祷台に座っていた。
「リオン様ー!大神官様ー!どこにおられるのですかー!」
廊下から聞こえる信者の声に、重い扉が軋むように開いた。漆黒の司祭服をまとった青年が姿を現す。整った鼻筋と透き通るような肌。薄い唇が微かに微笑んでいた。
「うるさいですね?ゆっくり本も読ませていただけないのですか?」
その声音は柔らかいのに、妙な威圧感があった。
「も、申し訳ございません!」
信者が慌てて膝をつき、顔を伏せる。床に映る影が大きく揺れた。
リオンは長い指で閉じたばかりの分厚い魔導書を撫でた。
「それで、報告は何ですか?」
「はっ、騎士団の主力部隊はリールに向かったとのことです!ですが……」
信者の声が震える。
「ですが?」
「数名の騎士が、偶然でしょうか、このジュードへ向かっております……」
リオンの碧眼が細められた。
「ふむ」
信者が更に声を潜める。
「先頭に立っているのは……マルコ・クロフォードです!」
一瞬の沈黙の後、リオンの口元が歪んだ。
「そうですか...」
笑みの中に狂気が滲む。
「ならば計画は修正しなければなりませんね」
リオンは祈祷台に戻り、書物を開いた。
「ちょうど面白いものができたところですから……」
信者は恐る恐る顔を上げた。
「リオン様……?」
「心配しないでください」
リオンの声は氷のように冷たい。
「彼らに素晴らしい"歓迎"をしてあげましょう」
彼の指先から紫電が迸り、ページに記された紋章が妖しく輝いた。教会の鐘が不吉な音色を響かせる中、リオンの影だけが静かに揺らめいていた。
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