人でなし西萩の転生と奔走
僕の名前は西萩昇汰。小学二年生。
正確にはこの名前を使うのはこれで二回目になる。というのも、僕は元々二十数歳の大人だったはずなのだ。少なくとも前世では。
どうやら僕は転生したらしいということに気付いたのは、小学一年生の時だ。それまではっきりしていなかった自我が急激に形を持ったように僕は過去の――前世の記憶を取り戻した。そして自分が過去に戻って二回目の人生をやり直しているということにも気づいたのだ。
最初は驚いたけれど、それ以上に僕には気にしなければならないことがあった。それは――同僚だった男、舩江鶸のことだ。
舩江は死んだ。しかも老衰ではない。正確には思い出せないのだが、確か事件に巻き込まれての死だったはずだ。当時の僕はそれを後悔していた。僕自身が驚くほどに後悔していた。そう、今の転生した僕が、それをどうしても阻止したいと思うぐらいには。
とはいえどうすればいいのか僕には皆目見当もつかなかった。前世の記憶を思い出せば思い出すほど、僕一人の力では――そして僕が頼れる人を全て頼ったとしてもどうしようもない事件だったという事実だけが僕に重く圧し掛かってくる。
僕は考えに考え――半年ほど経ったある日、ようやくその打開策を見出した。
そう、あれは彼が事務所で働いてさえいなければ訪れなかった死のはずなのだ。彼が事務所に関わらなければ。そもそも事務所の存在を知らなければ。
それに気づいた僕は、持てる情報源の全てを使って舩江を探し出そうとした。薄れかけた記憶を漁り、酔った拍子に舩江が話してくれた出身地の話をもとに地図を漁り――それでも舩江は見つけられなかった。
当然だ。だって僕はたったの小学二年生なのだ。僕にできることと言えば、なけなしのおこづかいを使って近所の神社で買ったお守りに祈って、見ることすらできない神頼みをすることぐらいだ。
もう少し成長するまで待ってから探しに行くべきなのだろうか。だけど僕は、一ヶ月、二か月経つごとに、記憶が徐々に薄れていくのを感じていた。思い出した時はあんなにはっきり見えていた舩江の仏頂面が、今ではもうぼやけてしまって上手く思い出せない。
だめだ。このままじゃ僕が舩江を見つけ出す前に、舩江のこと自体を忘れてしまう。
そんな焦燥の日々を送っていた僕だったが、ある日家族に連れられて都心まで出てきた時に転機が訪れた。
そこは、都心に程近い住宅街が近くにあるとある駅だった。僕たち家族は昼食のためにその辺りの店にでも入ろうとその駅で降りたのだ。
改札を出てすぐのところで僕は立ち尽くした。
駅前のロータリーで縁石に座り込んで、一人の男の子が泣いていた。水色のスモックに黄色の帽子をかぶって、その子は声を押し殺して一人きりで泣いていた。その子に僕は見覚えはなかった。だけどはっきりと分かった。
あれは、舩江だ。
僕は家族の目を盗んで走り出し、ほとんど抱きつくようにして彼に飛びついた。自分でも自分の行動にびっくりしたが、きっともう無我夢中だったのだ。ここで逃したら、二度と彼に会えないと予感していたのだ。
突然抱きつかれた舩江は、まだしゃくり上げながらも十センチほど背の大きい僕を見上げてきた。
「おにいちゃん、だれ……?」
当然の反応に僕も動揺した。だけど頭の冷静な部分は、ここで名乗ってはいけないとも告げていた。
名乗ってしまえば、僕と舩江に繋がりができてしまう。そうすれば舩江は事務所に戻ってきてしまうかもしれない。
僕は数秒考え、質問に質問で返すことにした。
「君、どうして泣いてるの? お父さんとお母さんは?」
そうやって尋ねた途端、舩江は今まで堪えていたであろう涙が一気にあふれ出したようだった。
「ぼ、ぼく、こわいものみえるんだ。だけど、とうさんもかあさんも、こわいものなんてないって、ぼくはうそつきだって」
聞き分けのない子だと言われて置いていかれたのだと舩江はたどたどしく語った。
僕は必死で考えていた。この舩江も前の舩江と同じだ。見えないものが見えて、それで親に嫌われているんだ。このままじゃ舩江は丹田さんに預けられて、事務所に関わることになってしまう。
だけど僕にも時間はない。僕がいなくなったことに家族はすぐに気づいて探しに来るだろう。それまでになんとかする方法を考えないと。
僕は必死に考え、使えるものがないかカバンの中を漁り――とあるものが指に触れたのに気がついた。僕はそれを掴みとり、舩江の小さな手に握り込ませた。
「おにいちゃん……?」
「おまじないだよ」
不思議そうな顔をする舩江に言い聞かせる。
「これを持ってればもう大丈夫だから」
嘘だ。こんなものはただの気休めだ。
「怖いことや辛いことが起きても、これが守ってくれるから」
僕は嘘つきだ。でも、今はこうすることしかできないんだ。僕たちと出会ってしまったら舩江は死んでしまうから。僕はほとんど泣きそうになりながら舩江の額に額をくっつけた。
「じゃあね、舩江。どうか元気で」
僕の名前は西萩昇汰。冴えないフリーターだ。
ごくごく普通に生きてきた僕は、何の因果か怪異専門のこの丹田相談事務所にアルバイトとして入っていた。
僕には怪異は見えない。見えない――はずなのだが、何故かこの事務所にいると誰かの後ろ姿が見えるような気がするのだ。
短くて少し跳ねた茶髪、真っ黒なスーツ。手は大きくて、身長は僕より高い。
彼が見えるということを丹田さんに言ってみたこともあるが、丹田さんも首をひねっていたので、僕の気のせいだったのだろう。
そんな不思議だけど平穏な日々を送っていたある日、相談事務所のインターホンが何の前触れもなく鳴らされた。応対するために僕は立ち上がり、ドアへと歩み寄る。ドアノブを掴んで押し開くと、一人の妙に見覚えのある男性がそこに立っていた。
「ここで雇ってもらいたくて来たんですが……」
低い声でそう言う男に、丹田さんは破顔して駆け寄ってきた。
「おお、ちょうどバイトを募集しようと思ってたところだったんだ! ちょうどよかった、入って入って!」
僕はドアを開けた姿勢のまま立ち尽くしていた。これは誰だっけ。見覚えがある。でも誰だか分からない。僕はずっと彼の隣にいたはずなのに。
彼の、隣に……?
「君、名前は?」
にこにこと丹田さんが彼に尋ねる。彼は何故か僕を見て、はっきりと名乗った。
「舩江です。舩江鶸」
*
俺の名前は舩江鶸。高校一年生。
妙なものが見えるだけの平凡な高校生だ。――少しばかり暴力的だと周囲には言われるがまあ誤差の範囲内だろう。
そんな普通な俺だったが、最近になって前世の記憶というやつを思い出した。
きっかけは小さい頃のおもちゃを整理していた時に出てきた一つのお守りだった。
俗に言う怪異というやつが視える俺は小さい頃はよく駄々をこねては両親を困らせていたらしい。らしい、というのは今ではその発作はすっかり落ち着いているからだ。
幼い頃、誰かに貰ったそのお守りは、正しく俺のお守りとして使われていた。怖い目にあっても、怖いものを見ても、両親が変な目で俺を見てきても、このお守りさえあればなんとか乗り越えることができた。そうしているうちに俺はある程度怪異への耐性がつき、平凡な日々を送ることができるようになっていったのだ。
お守りを手の平の上に乗せてぼんやりと見ていた俺は、急に頭が殴られた思いがして立ち上がった。
くたびれたスーツに、軽薄な笑み。人情深いように見えて、何にも期待していない目。だけどあの瞬間、俺が死ぬあの瞬間だけは、それが崩れていた。
そうだ、俺は舩江鶸だ。この日常とは違う、事務所で働いていた、あいつと一緒にいた、舩江鶸「だった」んだ。
それから高校が終わるまで待って三年、大学が終わるまで待って四年。薄れゆく記憶を頼りに、俺はあの相談事務所を探していた。そこにあいつがいる保証はない。だけど、その場所に行かずにはいられなかった。俺にこのお守りを押し付けて、自分の名前も言わずに去っていったあの馬鹿を一目見ずにはいられなかった。
ドアを開けた瞬間のあいつの間抜け面は最高だった。どうだ。お前に気遣われなくても、俺はここに戻ってきてやったぞ。
混乱した様子の西萩を置いて、俺と丹田さんは面接をした。面接の結果は合格。西萩は何か言いたそうな顔をしていたが、結局何も言えないまま、俺はこの事務所で働くことになった。
数日後、屋上への階段を上っていた。屋上でタバコを吸っている西萩を呼びに行くように丹田さんに言われたのだ。
ドアを開け、吹き付けてくる風に目を細める。一度目を閉じて開いた先にいたのは、街をぼんやりと眺めながら、タバコを吸う西萩だった。漂ってくる覚えのある匂いに、俺は誰にも聞こえないように小さく呟く。
「本当にひさしぶりだな。『おにいちゃん』?」
腰に入れたスマホのストラップには――小さな縁結びのお守りが揺れていた。
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