第103話 稽古

 早速修行を始めるとかで、葵たちは楓に場所を教えられ、それぞれの修行場へと散らばった。葵と九尾は、白亜に教えられることになっているので一緒である。向かう先は先ほど白亜と面会した広間だった。


 だが、広間に到着しても白亜の姿はなかった。代わりにいたのは、葵とよく似た髪色の少年——五色だった。


「お、来たな。葵」


 五色はニッとこちらに向かって笑いかけてきた。


「五色。お前どこにいたんだ」


 葵は驚いて五色の元へ駆け寄る。白亜は頭領のことも五色のことも何も言わなかったので、どこにいるのか心配していたのだ。 


「どこって、部屋だよ、自分の。葵が到着したから稽古を始めるって聞かされ

て、ここにきたんだ」


 どうも五色も、葵、九尾同様、白亜に稽古をつけてもらうことになっているようだった。ということは、白亜の言う兵の頭数に入っているのだろうか。


「頭領や他の供回りは?」


「一緒一緒。寝室用にあてがわれた部屋に引っ込んでるよ」


「なんだ、そうなのか」


 じゃあ稽古が終わり次第頭領の部屋の場所を五色に聞いて、一言挨拶してこようと葵は思案する。本当はすぐに挨拶したかったのだが。


「なあ、葵。沙羅ちゃんも来てるんだよな」


 葵の袖を引っ張って、五色がそわそわと尋ねてきた。また色恋か、と葵はめんどくさく思いながらも「ああ」と答えてやる。


「御山にいる間は、あまり話できなかったからな。ここでばっちし仲良くなるぜ」


 言いながら、五色の視線が葵の後ろに控える九尾の前で止まる。五色は「あ、どうも」と人懐っこく挨拶する。だが九尾の顔はニコリともしない。それどころか、


「……お前、沙羅に懸想している小僧だな」


「え」


 いきなりそんなことを言われ、五色は固まった。好意的な雰囲気を微塵も漂わせない九尾にそんなことを言われたら、固まるのも無理ないだろう。

 九尾は無言で五色を見つめる。ジーっと見つめた。どういう心持ちで、そしてなぜ無言で五色を見つめているのかは、葵にもよくわからなかった。しばらくすると、満足したのか飽きたのか、フン、と鼻を鳴らして九尾はそっぽを向いた。そのまま縁側まで歩いていき、庭に咲き乱れている花々を眺め始める。


「え、なんなんだ」


 困惑した五色が葵へ躙り寄る。


「あまり気にするな。ああいう奴だから」


「どういう奴だよ。怖いって」


 怯えた様子で五色は九尾の後ろ姿に目配せする。それから声の調子を少し落として言葉を続ける。


「てか、きゅうびって。九尾の妖狐のこと……だよな。本で読んだか人から聞いたかで、どっかで聞いたことある名前だ……。何かやばい方で有名だったよう

な」


「ああ、そういえば、石……か何かに封じられていたとかなんとかって、言っていたような。割と有名なあやかしなのか。あいつ」


「いや、今はそんなことどうでもいい。重要なのは……」


 さっきにも増して真剣な表情を見せる五色に葵はおののく。


「な、なんだよ。気になってたんじゃないのか九尾のこと」


「俺が今気になるのは、あいつが沙羅ちゃんの何なのかってことだっ」


「はあ?」


 五色は暑苦しいほど葵に顔を近づけてきた。葵はおもわず仰け反る。やはり色

恋沙汰になると五色は人が変わったように面倒臭くなる。


「御山でも、やたらと沙羅ちゃんはあいつと一緒にいたし」


「言っただろ。九尾は沙羅の用心棒みたいなものだって」


「本当にそれだけなのか。……まさか」


 青ざめた表情で、五色は手を口元に当てがう。


「あの二人は、互いに好きあってーー」


 もはや妄想の域である。葵は首を横に振って五色の妄想を否定してやる。


「約半年ほど、あの二人と一緒に旅をしてきた俺が断言する。あの二人はそういう関係じゃない」


「いや、じゃあさっき俺をジーっと見てきたのはなんなんだよ。明らかに俺の女に手を出すんじゃないみたいな。絶対ただの用心棒の態度じゃないぞあれ。どう見ても俺を恋敵と認めた態度だったろ。目つきだったろ」


 腹立たしいが、今回ばかりは早く白亜に来て欲しいと思いながら、葵は五色のやかましさに閉口する。


 五色の言うように、確かに沙羅と九尾の関係は、ただの少女とその用心棒といったそんな単純なものには葵にも思えなかった。久渡平の魂鎮めの際に九尾が漏らした言葉の端々、沙羅が役人に捕まった時の九尾の慌てよう。そういうのを考えてみると、もっと深いところで二人は繋がっている気がするのだ。だが、互いに好きあっている恋人のそれではない。もっと別の形のものだ。どういう形だと問われても、うまく言葉にはできないが。


「おい、葵。聞いてるのか」


「え、ああ、うん。聞いてる」


 葵が考え事をしている最中にも、五色は何やらまくし立てていた。全く聞いてなかったが。つまり「聞いてる」というのは嘘である。五色もそれがわかっているのか、不機嫌そうな目を葵に寄越す。


「……そんなに気になるなら、俺が聞いてきてやろうか?九尾に」


 話を聞いてなかったせめてもの罪滅ぼしにそう申し出てみると、五色はギョッとした様子で「何を聞く気だ」と尋ねてきた。


「何って、九尾は沙羅のことどう思ってるのかってーー」


 その時、ちょうど広間に白亜が入ってきた。


「遅くなってすまない」と一言詫びを入れて、立ったまま葵、五色、九尾の三人を見回す。必然的に葵の言葉も途中で途切れて、矢継ぎ早に発せられた白亜の声と入れ替わった。


「楓からいろいろと説明は受けたと思うが、もう一度言おう。君たちには、私自ら手ほどきを行う」


 葵は反抗的なまなざしを白亜に向けた。やはりまだ、この白い天狗に素直に従う気にはなれなかった。

 白亜は、白く濁った目で三人を見据えた。


「……とは言っても、稽古らしい稽古をつけるのは、葵と五色だけだ。九尾には別のことをやってもらう」


 そう言うと、白亜は九尾の方へ顔を向けた。目が見えないはずなのに、何か別の器官か感覚で、誰がどこにいるのかは把握していらしい。


「君には、武術の面で教えられることは何もない。君が取り組むべきは肉体を鍛えることではなく、精神を鍛えること」


 九尾の眉が、ピクリとわずかに震える。


「精神……?」


「今から言う場所へ行きなさい。そこで君は、自分の心と向き合うんだ」


 それから、白亜は九尾へ歩み寄り何かを二言三言告げた。おそらく、九尾へ今から向かう場所について指示しているのだろう。


 白亜の話が終わると、九尾は「わかった」と存外素直に頷き、広間からさっさと出て行ってしまった。葵のほうを見向きもせずに。


「……では、始めようか」


 白亜の声が、九尾の出て行った方へ向いていた二人の意識をこちらに引き戻した。


「君たちは二人とも陽の気質が強い。頑張って、陰の気質を引き出したまえ」


 そう言って、どこからともなく二本の棒切れを取り出すと、白亜は葵と五色に向かってそれを放り投げた。宙を舞って自分の方へ落ちてくる棒切れに、二人は反射的に手を伸ばす。

 棒切れは、いつも葵の使っている錫杖とほぼ同じ長さだった。御山でも武術の稽古をするときは、このような錫杖と同じ長さの棒切れを用いていた。どうもここでもそれは変わらぬらしい。

 一応錫杖はここにも持ってきていたが、葵は黙ってそれを壁に立てかけて、放って寄越された棒切れを代わりに握りしめた。


「それでは、君たち。私に好きなように打ち掛かってきなさい。二人のうちどちらか一人でもいい。私に一撃決めることができたら、今日の稽古はそれでしまいだ」


 そう言って、「さあ、いつでもきなさい」という風に広げられた白亜の両手には、何の武器も握られていない。淡雪色の着流しの帯にも武器は差し込まれていなかった。


「……あんたは丸腰か」


 それについて葵が尋ねると、白亜は「そうだ」と頷く。それから少し微笑んだ。


「心配せずとも大丈夫だ。それと、私の目が不自由だからと言って、遠慮する必要もない。本気でかかってきなさい」


 葵はちらりと五色の方へ目配せした。れとほぼ同時に五色もこちらへ目を向けてきたので、二人の視線が宙で交錯する。二人同時にいくか、まず一人が飛び出すかを互いに確かめ合ったのだ。赤ん坊の頃からずっと一緒だった二人の間には、言葉がなくとも目の合図だけで十分伝わるほどの絆がすでに確立されていた。

 一人ずつではなく、二人だ。視線を白亜に向ける。呼吸を合わせて床を蹴り上げる。右手に持った棒切れを下構えに。ほぼ同じ動きで。

 気合の声を発し、左から葵が、右から五色が白亜へ打ち掛かる。白亜の胸部から腹部にかけてはガラ空きだった。そこへ刀で斬り上げるようにして棒切れを振るう。振るおうとした。

 あっと思った時には、白亜の手で手首をがっしりと掴まれていた。棒切れが当たらないよう上半身を仰け反らせた格好で、白亜は左右から来た二人の手首を器用に掴み上げていた。凄まじい力だ。逃れようと腕をねじってもビクともしない。そしてそのまま外へ向かって放り投げられた。まるで重量を感じさせない所作だった。


「がッ!?」


 五色はとっさに宙で身をひねり、背中の翼を羽ばたかせてどうにか地面や塀に激突せずに済んだが、宙を舞った葵の体は、紫陽花の咲く茂みに向かって背中から落ちた。

 とっさに受け身を取り、かつ紫陽花の茂みが緩衝材になったものの、地面に打ち付けたのだから痛いものは痛い。だがぐっとそれをこらえて、葵はすぐに膝をついて立ち上がる。すると、縁側に立ってこちらを見やる白亜の姿が目に入った。


「この調子では、先が長いね」


 話しながら、白亜は素足のまま縁側から降りた。何種類もの花が咲く庭を突っ切り、白亜はひたひたと葵と五色のいる方へ歩いてくる。


「君たちの戦い方はいささか攻撃的すぎる。……殺気が滲みすぎているとも言えるね。そして、静と動が明確化されていない」


 葵はもう一度白亜へ打ちかかる姿勢をとった。白亜はそれを察知したのかしていないのか、歩みを止める。そしてさもやりがいがあると言わんばかりに、口元をほころばせた。


「君たちのやるべき課題は、多くあるようだ」

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