第96話 紫紺の正体

「お前、何か知ってるのか?」


 葵は九尾へ尋ねた。考えてみれば、九尾は葵と沙羅を逃してからしばらく紫紺と対峙したはずだ。屋敷から無事脱出できてから、九尾は何も紫紺について言わなかったが、何かを知ったのではないかと葵は勘ぐっていた。ここに来る道中、珍しく考え事をしている九尾を見かけるたびに、ずっとそう思っていたのだ。


「さあ、俺の知っていることが、お前の期待する『何か』かどうかはわからん

が」


 葵の問いに九尾は曖昧な返事を寄越した。それから視線を落として、言葉を続けた。一応、話すつもりはあるらしい。


「……あいつは、確かに人間だ。戦っている途中、かなり近くまで接近したが、匂いも気配も人間だった。でも、決定的に異なる部分は幾つかあった」


「異なる、部分?」


 葵は瞬きもせずに九尾を見つめた。他の者も沈黙して九尾が何を言うのかを待った。


「……まずは、年月。あいつは人間ではありえないほどの年月を生きている。そして、どこか不安定だ」


 九尾は目を見開いた。紅い瞳が炎を映すように揺れる。


「本来はそうでないのに、無理やり何かをくっつけて、今の形になったような……奇妙な不安定さ」


「つまり、どういうことだ……?」 


 ずいぶん迂遠な言い方をされたせいで、葵にはさっぱりわからなかった。もっと分かりやすく言って欲しい。


「何かを無理やりくっつけた?何に何をくっつけたんだ」


「そこまではわからない。ただ、あいつは元は人間じゃない。本人にそう言ったら、激しく動揺していたから間違いないだろう」


「人じゃなかった……?」


 では、かつての彼は一体なんだったというのか。ますます深まる謎に混乱してきて、葵は「なあ、どう思う」と京介に意見を求める。京介は肩をすくめると、

「わからないよ」という素振りを見せた。


「紫紺はれっきとした土御門家の人間だ。父親も母親も誰かはっきりしている。紫紺が元は人間ではなくて、人間ではあり得ないほど長い年月を生きているなんてあり得ない」


 京介は言葉をそこで途切らせて一拍置く。


「元は人間ではないことの説明はつかない。けれど、長い年月を生きているというその点だけについては言えることがある……。それは、彼が延命の術、もしくは不老不死の術を自らに施している可能性があるということ。まあ、それを言ったら、両親の存在が説明つかなくなるから、結局この推測も意味はなくなるんだけど」


「不老不死……」


 京介の口から出てきたその言葉の意味を、当然葵は知っている。老いもなければ死もない。永久の時を生きる事。


「待って、不老不死の術なんて、そんなもの存在するの……?」


 沙羅の問いに、京介は首を横に振ってすぐにそれを否定した。


「いや、ないよ。そんな術は。少なくとも表向きはね。延命の術はあるけれど。でも、どっちにしても寿命を操作する術は禁術だ。延命の術は行き過ぎない限りは使用が認められることもあるけど」


「紫紺はひょっとすると、その禁術とされている延命の術を使っているかもしれないってことか……?」


「両親の存在を無視し、かつ九尾の話が当たっているのならっていう条件付きならね」


 京介が九尾へ視線を向ける。九尾は肩をすくめた。


「少なくとも、俺は自分の推測を信じている。長い年月を生きている云々については、奴が人になる以前の頃に生きた年月かもしれん。まあ、言えるのは、今ここで不老不死だの延命だのを議論しても、これ以上奴のことについて判明することはないということだ」


 九尾の指摘に葵たちは黙り込んだ。確かに確固たる証拠もないのに、ここで不老不死や延命の術の紫紺との関連性を議論することは、しても詮無いことだった。そもそも、紫紺がどこの誰と誰の間に生まれたのかがはっきりしているらしいのだ。検証材料もなく、矛盾だらけでますます謎の深まったわけのわからぬことを話し合うことほど、無駄なこともないだろう。


「まあ、そのことについては、追い追い調べて行けばよかろう」


 ゆったりした口調で場の空気をそう締め括った頭領の目は、その口調とは裏腹に険しい光を湛えていた。葵はそれに気づいて不安げに頭領の顔をそっと伺う。きっと頭領も、九尾が発した紫紺が元は人間ではなかったという発言と、不老不死・延命などの禁術に対して少なからず動揺したのだろう。ひょっとすると、一層紫紺への警戒を引き上げたのかもしれない。


「それであんたはこれからどうするつもりなんだ?」


 胸の前で腕を組むと、九尾がぞんざいな調子で頭領へ尋ねた。九尾の口の悪さは知っているが、もう少しマシな口調で頭領には口をきいてほしいものだと葵は思ったが、何も言わないでおく。


「葵に色々と情報を探らせておいて、何もしないわけではあるまい」


「ううむ。そのことについて、なのじゃが」


 頭領はふわふわした自身の白い髭を撫でながら答えた。


「わしは、太陰三山に行こうかと思っておる」


「太陰三山!?」


 他ならぬ、太陰三山を根城とする天狗の一族である楓が、驚きの声をあげた。


「何で急に!?」


 興奮したのか、背中の朱色の翼を彼女はバサバサと動かした。頭領は片手を上げて、楓に落ち着くよう促してから言葉を続ける。


「太陰三山はもっとも大きな天狗の里であり、他の天狗の里を緩やかではあるが統括しておる。紫紺に対抗するためには、まずはそこの頭領を説得するのが一番早いとわしは思うのじゃよ」


「そこが動けば、天狗全てが動くと。そういうわけですか?」


 京介が身を乗り出して頭領へ尋ねる。頭領は「わしの見立てではそうなるはずじゃ」と答えた。それから楓の方を見やる。


「楓、そういうわけでわしは太陰三山へ向かおうと思うておる。お主は先に山へ帰り、頭領の白亜殿にわしが来ることを伝えて欲しい」


「は、はい。わかりました」


 どぎまぎした様子で楓はカクカクと頷いた。


「頭領自らが行くんですか」


 それまでずっと黙っていた五色が思わず、といった調子で身を乗り出した。頭領は「もちろんじゃ」としっかり頷いた。


「わしが、あまり御山から離れぬ方が良いことは重々承知しておる。しかし、太陰三山の長に会うのだ。わしが行くより他にないじゃろう。……わしが留守の間は、平六と、他何人かの者に御山のことは任せておけばよいことじゃ」


「でも、一人で行かれるわけではないですよね?」


「うむ。何人かは連れていくつもりじゃ」


「俺を連れて行ってください」


 率先してそう言ったのは葵だった。するとすぐに「俺も。俺も連れて行ってください」と間髪入れずに五色が名乗り出る。


 二人の若者に連れて行ってくれと頼み込まれた頭領は、少し困った顔を見せた。


「二人とも連れて行きたいのは山々じゃが、白亜殿は大の人間嫌いでの……。入山を認めてくれるかどうか……」


 その言葉に葵はがっくり肩を落とす。紫紺のことを話す際に、何か役に立てるのではと意気込んだのだが、太陰三山の頭領が人間嫌いだというのなら仕方がない。


「でも、太陰三山と言ったら、霊場として有名なところですよね。参拝のために、普通に人が山の中に出入りしていた思うのですが」


 京介が疑問を言った。それに少し元気づけられて葵は顔を上げる。


「ああ、ワシが言っておるのは、“ウラ”の方の入山のことじゃよ。“オモテ”は人間が、“ウラ”は天狗がそれぞれ統治しておる。すなわちお主の言ったのは、“オモテ”の山の方じゃな」


「よくわかりませんけど、そのオモテの山なら人も入れるってことなんですよね」


 うずうずして葵が尋ねると、頭領は「そうじゃよ」と頷いてくれる。


「京介、俺たちも行こう」


 パッと振り返って葵が言うと、京介は怪訝な顔をする。


「葵、ちゃんと話聞いてた?俺たちは太陰三山の天狗に会えるわけじゃないんだよ。入れるのは人が出入りしているオモテの山の方なんだよ。天狗達のいるウラじゃない」


「いや、それはわかってる。わかってるけど、じっとしていられないんだ」


 太陰三山の天狗達は、紫紺を倒す新たな味方となってくれるかもしれないのだ。たとえ直接会えずとも、彼らがどんな山に住んでいるのかは見たかった。


「まあ、葵の気持ちがわからないわけじゃないけど……。でも、御山はどうするの?葵が言い出したんだよ。紫紺がまた御山を襲撃してくるかもしれないって。ここにいて守らなくてもいいの?」


 京介の指摘に、葵は途端に青ざめた。


「そうだった……」


 紫紺に対抗するために味方を増やしに行くという、目先の目標に危うくとらわれかけるところだった。そもそも御山に自分が戻ってきたのは、再度あるかもしれない紫紺の襲撃を天狗達に伝えるため、御山を守るためだったというのに。

 葵は背筋を伸ばすと、頭領にさっき言ったことを撤回した。


「頭領。やっぱり俺はここに残って、紫紺の襲撃に備えます。どうか、供には五色

を連れて行ってください」


「うむ、分かった。葵が手に入れてきた紫紺の情報、あちらの天狗達に伝えさせ

てもらうのう」


打倒紫紺がいよいよ現実味を帯びてきて、葵は高鳴る心臓を抑えつつそれに答える。


「はい。役に立つかどうかはわかりませんが、お願いします。どうかお気をつけて」


 

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