第94話 報告

 五色より随分遅れて、葵たちは御山の山頂付近——かつて大きな館のあった場所までたどり着いた。襲撃のあった直後は瓦礫まみれだった地面も今では綺麗に片付けられており、ほぼ全壊状態だった館は、復旧作業によって徐々にかつての姿を取り戻しつつある。

 葵が御山を降りる直前に御山を覆っていた沈鬱な空気はなりを潜め、今では復興に向かう天狗たちの元気な声が響いていた。


 葵は元気な彼らの姿を見て、口元をほころばせた。

 建造中の館に組まれた木製の足場には、大工仕事に勤しむ男天狗たちの姿。その下では、簡単な手伝いをしているのか、子供たちの姿も見える。時折、何に使うのやら、釘やトンカチを盗ろうとしては、そばにいるおっかない顔をした中年の女天狗に首根っこを引っ掴まれているいたずら小僧もいるようだ。老いも若きも男も女も入り混じって賑わぐその光景が、葵の慣れ親しんだ御山での生活そのもので、いよいよ古巣に帰ってきたという実感が葵の胸中に飛来した。


 天狗達は、葵の姿を見つけると、一旦仕事を中断して駆け寄ってきてくれた。葵が御山を離れていたことは事情も含めて知っていたようで、皆はねぎらいの言葉をかけてくれる。ちょうど、そうやって囲まれているところへ五色が飛んできて、「ほら、みんなどいたどいた」と人ごみをかき分けた。


「葵は今から頭領と会うんだ。積もる話もあるだろうが、今度な」


 五色の発言に、「頭領か」「そりゃ早く行った方がいい」「早く会ってきてやんな。頭領随分とあんたのこと気にかけてんだから」と、天狗たちは口々に言って葵を人垣の外へとやいのやいのと押し出した。


 五色の案内で、葵たちは竹林の中の小さな庵の前まで連れてこられた。庵はまだ新築のようで、真新しい木材の匂いがふわりと鼻腔をくすぐる。五色の話によると、館の建て直しが済む間、頭領はここで寝泊まりをしているらしい。


 葵は、てっきり頭領一人がこの庵にいるかと思っていたのだが、庵の中からは話し声が聞こえてきた。片方は慣れ親しんだ頭領の声、もう片方は聞き覚えのない若い女性の声だ。


「誰か来ているのか」


 五色に尋ねると、彼は「ああ」と頷き、「葵の知ってる子だよ」とだけ答えた。

 五色に促され、葵は京介たちも連れて庵の中へ入り、すぐ目の前に現れた戸を開けた。戸を開けると、茶室めいた小さな座敷で談笑する二人の天狗が、一旦会話を中断し、座敷に入って来た葵たちを見上げた。

 一人は見知った頭領の顔、もう一人は……。


「あおちゃん!」


 頭領と談笑していたもう一人の方の天狗——葵たちと同い年くらいの少女の天狗が、クリクリした大きな瞳で葵を見上げてきた。


「え?」


 きょとんとする葵の後ろから、控えていた五色がこっそり耳打ちする。


「楓ちゃんだよ。昔、遊んだことあるだろ」


「楓……?」


 葵は目の前の少女を見つめた。少女はふわりと波のようにうねった栗色の髪を肩に垂らし、より動きやすさを求めたような小袖の改良版のような着物を身につけている。そして何より目を引くのは、天狗の一族であることを示す背中に生えた翼——の色だ。


「あおちゃん?……あたしのこと忘れた?」


 楓が大きな瞳を揺らして葵を見つめてくる。

 葵はしばらく考えてから、「いいや」と首を横に振った。そう簡単に忘れるはずもなかった。紅葉した木々のような、燃え立つような朱色の翼を持つ天狗は、彼女しかいない。


「覚えてるよ。最後に会ってからもう何年も経つから、一瞬誰かわからなかったけど」


「あたしはすぐにわかったのに」


 ぷう、と楓は小さな子供のように頬を膨らませた。そういうところも昔と変わっていないようだ。


「葵や。それと、お客人の方々も、どうかお好きに座って寛いで下され」


 頭領の一声で、五色を含む葵たちはめいめい座敷の中で輪を描くようにして座った。狭い座敷はたちまちぎゅうぎゅう詰めになってしまう。

 ちょうど葵の隣に座る京介の肩に乗っていた白虎丸が、葵にだけ聞こえる声量でコソコソと尋ねてきた。


「おい、あの女の子。お前のなんなんだ」


 白虎丸のことだ。どうせ冷やかしで聞いてきたんだろうなと思いつつ、葵はそれに答えてやる。


「幼馴染みたいなもんだよ。あいつは別の山の天狗なんだが、一時期うちに預けられていた時期があってな。そん時に仲良くなったんだ。まあ、一年いたかいなかったかくらいの短い間だったけど」


「ふうん……。ところであの子、なんで翼の色が黒じゃないんだ。天狗の翼は烏のなんだから、黒いんじゃないのか」


「この翼の色は生まれつきだよ」


 白虎丸のヒソヒソ声が聞こえていたのか、対面に座っていた楓が気を悪くした様子も見せずに声をあげた。


「なんであたしの翼の色が他の天狗みたいに黒くないのかは知らない。でも、あたしは気にしてないよ。あたしのところの頭領様だって、翼の色は黒くないし」


「結構いるんですか?翼の色が黒ではない天狗というのは?」


 知りたくてたまらないといった様子で、沙羅が口を挟む。楓は「いや、そんなにいるわけじゃないよ」と気前よく答えた。


「少なくとも、あたしと同じ色の翼を持つ天狗は、他に知らないかな」


「そうなんですか」


 沙羅が神妙な面持ちでうんうんと頷くと、頭領が「そうじゃな」と自らの白い髭を撫でながら口を開いた。


「楓のような翼の色を持つ天狗は、わしも他に見たことがない。この子は大変珍しいのじゃよ」


「ところで頭領、なぜ楓がここに?」


 葵の問いに頭領は答える。


「御山が襲撃を受けて大変なことになったじゃろう?それで心配になって、どうしても様子を見てきたいと、この子が自分の頭領に頼み込んだそうでな」


「頭領様ったら、危ないからって言って、なかなか了承してくれなくて。本当はもっと早く来たかったのに……」


「そうだ、頭領。俺は——」


「葵」


 葵の言葉を遮る形で、頭領が葵の名を呼んだ。穏やかで、慈愛に満ちた声だった。


「言葉を遮ってすまぬ。じゃが、まずは、言わせておくれ」


 言うと、頭領は真新しい藺草の香りが匂い立つ畳の上から腰をあげ、そのまま立ち上がった。そして葵の正面に来て、腰をかがめる。葵は顔を上げて頭領の優しげな面ざしを見つめた。頭領の深い皺の刻まれた手が、葵の顔に伸びると、その手にそっと頬を包まれた。驚いて目をまん丸にする葵に、頭領は「よく

ぞ……」とつぶやいた。絞り出すような声だった。


「よくぞ、無事に戻ってきてくれた……。お主一人に大きな役目を担わせたことを、ずっと悔いていた。本当に、本当に無事でよかった。おかえり、葵」


 それから頭領は、囁くような声で「よかったよかった」と幾度も言った。葵は、自身の頬を優しく包み込んでくれた頭領の手を取り、「はい。ただいま。頭領」と言葉を返す。見れば頭領の目元から涙がハラハラと零れ落ちていて、そういえば見送る時も泣いていたなと思い出した葵は、どこか温かい気持ちに包まれた。



「頭領。頭領に、いろいろと報告しなければならないことがあります」


 頭領が元の席に座り直してから、葵は先ほど言おうとしていたことをもう一度言った。頭領が「うむ」と頷き、話を続けるよう促してくるのを待ってから、葵は語り出した。京介たちの紹介から始まり、御山を降りてから出会った人々のこと、様々な出来事、襲撃者の正体、そして、都で襲撃者である紫紺と対峙したことを。京介に許可を得てから、彼に紫紺を探ることを命じた皇女のことまで、包み隠さず全てを話した。


 紫紺と対峙したくだりまで来ると、さすがの頭領も驚いたのか目を丸くした。五色に至っては文字通り開いた口がふさがらないといった表情をしている。


「——紫紺は俺の正体に感づいています。さらには、俺たち御山の天狗が全滅に至っていないことにも。もしかすると、再び奴は御山を攻めるつもりでいるのかもしれません。一刻も早くそれを伝えなければならないと思い、都を出てすぐに帰ってきました」


 葵の報告が済むと、座敷内は重苦しい空気に包まれた。無理もない。ひょっとすると、紫紺がまた襲ってくるかもしれないのだから。

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