第61話 水牢



 葵と京介は、二人で九尾の背の上へ乗り込んだ。葵が九尾の頭のすぐ後ろに座り、京介はその後ろにまたがる。


「助かるよ、九尾」


 言いながら、京介は懐から数枚の護符を取り出した。


「僕が常に結界を張っておくから、葵と九尾は攻撃に専念して。多分さっきより攻撃力が上がってるから、結界がどこまで通用するかはわからないけれど」


「わかった」


 葵が頷いた途端、九尾の体が大きく動いた。回廊から飛び降りる体で、宙空へ身をおどらせる。


「ああ、そうだ。吹っ飛ばされないようにな」


 思い出したような九尾の忠告に、葵は慌てて九尾の首回りのフサフサした毛を掴んだ。

 次の瞬間、耳元で空を切る音が響いて、乱暴な風が体にぶつかってきた。すでに二度ほど九尾には乗らせてもらっているが、これまでとは段違いの速さだった。

 こちらに飛来してくる斬撃の一群をするりとかわし、九尾は矢のような速さで菖蒲のいる方向へ向かう。

 幾度か斬撃が当たりかけたが、九尾の体を包み込むようにして張られた護符の結界がその身を守る。

 この調子でいけば、菖蒲に肉薄することができるかもしれない。葵がそう思い始めた矢先、目の前に巨大な水柱が立ちはだかった。

 京介の攻撃を塞いだ水の龍だ。

 龍は雄叫びをあげると、口をクワッと開けて葵たちを飲み込もうと迫ってくる。これを避けきれなかった九尾もろとも、葵と京介は龍と激突した。派手な音を立てて白い波しぶきが上がると同時に、水面に体を打ち付けた時特有の痛みが全身に走る。圧倒的な量の水が体を飲み込み、手足も水に阻まれて思うように動かせなくなった。どういうわけか、水の中に落ちてしまったらしい。

 口の中に押し寄せてきた水をなんとか吐き出した葵だったが、このままではいずれ息がもたなくなる。衝突の衝撃で、思わず閉じてしまっていた目を水中でこじ開けて周りを見ると、九尾と京介も似たようなものだった。九尾はなんとかこの水の中から逃れようと足を懸命に動かしているが、一向に前へ進む気配がない。


 さらに葵は首を動かして、周囲の状況を確認しようとした。結果わかったことは、今自分たちは龍の胎内にいるということだった。おそらく、さっきぶつかったと思った時に飲み込まれてしまったのだろう。

 しかし体が水でできた龍なので、胎内にいると言っても水中にいるのと同義だった。血管も臓器も骨も皮膚もなく、ただ水が龍の形をなしているだけなので、水を通して外の様子も見ることができる。龍は宙を駆け巡り、己の腹の中にいる葵たちをあざ笑うかのように雄叫びをあげる。空飛ぶ龍の胎内にいるというのに、同時に水の中にいるとはなんとも奇妙な気分だった。

 だが、そんな気分に浸っている場合ではない。早く何とかしなければ、三人とも息が続かなくなって揃ってここでお陀仏だ。だがどうすればいい。どうすれば。葵がそんな風に必死で考えていると、いきなり龍の体が下へ傾いだ。何事かと外の様子を伺うと、手に武器を持った鬼たちが、地上から龍の体へ攻撃を仕掛けているのが見えた。鬼たちは、皆黒地に赤い炎の刺繍の入ったたすきを腕にくくりつけている。鬼姫配下の鬼たちが加勢に駆けつけてくれたのかもしれない。

 だが、だからと言って状況が改善したわけではなかった。相変わらず葵たちは龍の胎内から逃れることができない。


 もうそろそろ限界だった。自分の体は空気を欲しているが、この水の牢の中からは出られない。どれほどもがいても、両手は虚しく水をつかむだけ。口を開けて空気を吸い込みたい衝動にかられるが、今ここで口を開ければ、体内に大量の水が流れ込んでくるだろう。だがそうせずに居られるのも時間の問題だ。こんなところで無様に死ぬのだろうか……。御山の皆の仇も取れずに……。


 葵が生きるのを諦めかけたその時、思いがけないことが起こった。赤く燃えたぎる炎が、恐ろしい速度で葵たちを胎内に閉じ込めた水の龍へ突っ込んできたのだ。


 突如土手っ腹を炎で貫かれ、水の龍は狂ったような咆哮をあげた。体を構成していた水が瓦解して、雨のように街へ降り注ぐ。龍の胎内から解放された葵たちも、それと同時に真っ逆さまに地上へ落ちる。

 九尾は京介を乗せたまま、すぐに態勢を立て直して空へ舞い上がったが、葵は先ほどの衝撃で九尾の背から放り出されていた。

 あっと思う間もなく、葵は背中から墜落した。

 落ちたのはちょうど建物に立てかけられてあった木材の上だった。葵の重量に耐え切れず、派手な音を立てて木材がへし折れる。それが衝撃を和らげてくれたのかはわからないが、ともかく葵は大きな怪我をせずに済んだ。しかし、しばらくの間は体の痛みに悶絶する羽目になった。


 どうにかまともに動けるようになるまで痛みが引くと、葵は自分の手に錫杖が握られていないことに気がついた。落っこちる時に手放してしまったのかと、慌てて周囲を見渡す。へし折れた木材をどかしてみても、見慣れた錫杖は見当たらなかった。

 あの錫杖は椿丸からもらった特別なもの。見失ってしまったのは思った以上に心にこたえた。だが、今は悠長に錫杖を探している場合ではない。早く京介と九尾と合流しなければならない。


『……い』


 誰かに呼ばれた気がして、葵は動きを止めた。だが、すぐに気のせいかと考え直す。ところが今度ははっきりと、誰かに呼ばれた。


『おい。そこの少年。これを探しているのではないのか』


 ちょうど大切なものをなくしたばかりだった葵は、その言葉にハッとした。


「どこだ」 


 声は聞こえたのに姿が全く見当たらないので、葵は少し苛立たしげに叫ぶ。その時空から何かが降ってきた。それは葵のすぐそばの地面に落ちる。見ると、大事な自分の錫杖だった。

 慌てて錫杖のもとへ駆け寄ろうとすると、突然錫杖から赤い炎が燃え上がった。葵が驚き唖然としてその様子を見ているうちに、炎は葵の濡れた体を乾かしてしまうほど大きく熱く燃え上がった。かと思うと、やがて大きな鳥の形となる。

 わけのわからぬ状況に口を利けないでいると、火の鳥からさっき聞こえてきたのと同じ声が聞こえてきた。


『これは、お前の錫杖か?』


 葵は、無言で首をコクコクと縦に振った。


『そうか。……少年。この錫杖、一時的に私の依代とさせてもらう』


「依代?」


 尊大な口調で言い放たれ、葵は次第に目の前の火の鳥が何者であるのかがわかってきた気がした。


「失礼だが、あんた……。神様か何かか?」


 恐る恐る尋ねてみると、火の鳥は葵の不躾な質問に怒る様子も見せず、『いかにも』と頷いた。


『私は火の神と呼ばれている。龍神の牙を止めるため、今一度この力、貸し与えよう』


「火の神……」


 葵は、鬼の国に初めて来た日のことを思い出した。あの日鬼姫に会い、彼女は龍神の牙とそれにまつわる話を聞かせてくれた。

 確か、何千年も昔。龍神の牙を使ってあやかしを殺しまわっていた人間に、火の神の力を借りた鬼姫の先祖が挑んだ。結果、龍神の牙は封印され、長い眠りについたのだ。その時鬼姫の先祖に力を貸し与えたという火の神と、今葵の目の前にいる火の神。先ほどの口振りからすると、同一の神と考えるのが妥当だろう。

 どいうわけか、火の神が助力を申し出てくれている。おそらく、さっき水の龍の体へ突っ込んできた炎も、火の神だったのだろう。神の助力など、願ってもみない幸運だった。


『再び、かの龍神の力を宿した剣が暴れまわっているのであろう。だが私が直接出向いて止めるわけにはいかぬのだ。私の本体はこの山の地下に眠る劫火。私自身が戦うとなると、山は噴火し、龍神の牙もろとも美村鹿の地を焼き尽くしてしまう……。だから、龍神の牙を止めるのはお前たちなのだ』


 火の神はそう言うと、ばさりと左右の翼を広げた。


『今の私は本体から切り離された魂の一欠片に過ぎぬ。この身では長いこと戦えぬ。だから依代が必要なのだ』


「それでその依代に、この、俺の錫杖をということですか」


 葵は改まった口調で尋ねた。なぜ自分の錫杖が神の目にとまったのかが良く分からなかった。


『そうだ。この錫杖、深遠な山の霊気をたっぷりと吸い込んでいる。私にはそれが心地よい。そして持ち手であるお前も、どこの神のかは知らぬが良い加護を授かっているようだ。お前ならば、私の力をうまく扱えるだろうよ……』


 そう言い残すと、火の神は鳥の形を崩し、ただの赤々と燃える炎へと戻った。やがて、その炎は錫杖へ溶け込むようにして消えた。

 葵は今起こった出来事を夢の中のように感じながら、半信半疑で地面に落ちた錫杖を拾いあげた。

 すっかり手に馴染んだ錫杖は、いつもと変わらないように見える。

 力を貸す、依代とさせてもらうと火の神は言っていたが、それが具体的にどういうことなのか、慣れ親しんだ錫杖を見ても答えは全く見えてこなかった。

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