第2章 陰陽師
第10話 小春
御山を降りた葵は、山の裾野に広がる森を抜け、頭領に前もって示されていた人里へ辿り着いた。
葵はかなり緊張しながら人里へ足を踏み入れたのだが、思いのほか人が少ないことに拍子抜けした。人里には青々とした田畑が広がり、ところどころにポツポツと瓦葺の家が見える。田畑では着物の裾を捲り上げて農作業にいそしむ人や、クマのように大きな体で、角を持った鈍重そうな生き物がいた。その生き物は牛なのだが、葵は牛を見たことがないのでその動物が何なのかはわからなかった。しかしいちいち見たことのない生き物に驚いてはいられない。葵にはやるべきことがあるのだから。
ドキドキしながら、葵は少し先の田畑の中で農作業に勤しんでいる男に声をかけようと近づいていった。とにかく、銀髪の男を見たか、見たならどこへ行ったのか、奴が何者か知っているか、そうしたことを聞き出さなくてはならない。
その時、背後から「見ない顔だね、お兄さん」と突然声をかけられ、葵は「うわっ」とその場からとびのいた。
「あ、ごめんなさい。驚かせた?」
少し申し訳なさそうな顔で葵を見つめているのは、村娘らしき可愛らしい少女だった。葵よりは年若い、十三、四歳ほどの少女である。
やっぱりこの子も人間だから翼がないんだなと当たり前のことを上の空のように考えている葵に、少女は興味津々といった様子で話しかけてくる。
「あなたのその格好って、山伏?」
「へ?」
「山伏よ。や、ま、ぶ、し。山の中で修行する人」
「いや、違う違う」
葵は慌てて首を横に振る。少女はそんな葵を訝しむ。
「じゃあなんで山伏の格好をしてるの?山伏じゃないのに山伏の格好をしてるなんて......」
葵も説明のしようがなかった。昔から天狗の服装は山伏のものと決まっている。まさか天狗に育てられた人間ですといきなり言うわけにもいかない。今更ながら山伏ということにしておけばよかったと後悔する。
「わかった」
少女が得意げな顔で葵をずいっと覗き込んだ。
「あなた天狗ね」
ほぼ図星を言われ葵はぎょっとする。すると少女は葵の表情を見て嬉しそうに手を叩いた。
「図星って顔してる。じゃあやっぱり天狗なのね。カラスの羽は生えてないみたいだけど、術で隠してるんでしょう」
なんとも言えず黙るしかない葵に、少女は「いいのよ。隠さなくて」と何がそんなに嬉しいのかニコニコしながら言う。
「お兄さんが天狗ってことは内緒にしてあげる。でも、本当だったのね。千歳山には天狗がいるって。お兄さんは千歳山から来たんでしょう?」
「千歳山?」
聞かぬ山の名前に葵は首をかしげる。少女はほらと、たった今葵が降りてきたばかりの御山を指差す。
「御山のことを言ってるのか?」
「おやま?あなたたちは千歳山のことをそう呼ぶの?」
「ああ」
どうやら御山には人間たちが名付けた別の名があったらしい。
「でも御山って、山を敬っていう言葉でしょう?それじゃ名前じゃなくない?」
「まあそうっちゃそうなんだけど。俺たちはあの山で暮らさせてもらってるから、敬意を込めて御山と呼んでる。それが名前ってことで定着してるんだ。」
「ふーん。まあとにかく、お兄さんが千歳山から来た天狗さんていう私の予想は当たってたのね。私ってすごい」
すごいのかどうかはわからないので葵は曖昧な笑みを少女に向けておく。しかしそんなやり取りをしている場合ではない。葵の目的は銀髪の男の情報を探ることだ。とりあえずこの少女に聞いてみようと、葵は話の隙を見計らう。しかし、その必要はなかった。
「そういえば、昨日の夜千歳山、もとい御山が燃えているのを見たんだけど、山火事でもあったの?ドーンってすごい音が村まで響いてきたのよ」
少女の話に葵は「違う」と口調を荒げた。
「あれは火事なんかじゃ無い。襲撃を受けたんだ」
「襲撃?」
ただ事ではない葵の様子に少女は少しおびえたようだった。それに気づいて葵は心を落ち着かせる。
「ああ。それで俺は、昨晩の襲撃者を探しに御山から降りてきたんだ。そいつは長い銀髪の男で、黒い狩衣を着ている。御山が燃えているのを見たんなら、どっかでその男を見かけなかったか?」
少女は残念そうに首を横に振った。
「そういう人は見てないわ」
そううまくいくわけないと思ってはいたものの、葵はがっくりと肩を落とす。
そんな葵を元気づかせるように少女は「あ、でも」と声をあげた。
「狩衣を着ているなら、都から来た人かもしれないわ。この辺じゃそんな服来てる人いないもの」
「都?」
「ええ。帝様がいるところ。」
それなら葵も知っている。この国は帝という人物によって治められており、帝の住まう地は都と呼ばれている。都には絢爛な建物が並び建ち、美しい衣服に身を包んだ人々が暮らしているという。
「それでね。ちょうど今、隣村のお宿に都から来た人が泊まってるらしいの。その人は銀髪ではないみたいだけど、もしかしたら何か知ってるんじゃないかしら?」
「本当か?」
少女の話に葵は顔色を変えた。
「嘘じゃないわ」
少女はむうっと頬をふらませる。
「嘘じゃない証拠に、もしよかったら隣村まで案内してあげる」
「いいのか?」
「ええ。本当は家の手伝いをしなくちゃいけないんだけど、天狗さんの手助けをしてあげる機会なんてそうそうないもの」
そう言って少女はいたずらっけのある顔で葵に笑いかけた。
*
隣村へ続く道を、葵と少女は連れ立って歩いていく。
「そういや、名前なんていうんだ?聞いてなかった」
弾むように隣を歩く少女に葵は尋ねた。少女は元気よく答える。
「小春よ」
「小春......いい名前だな」
「どういたしまして。天狗さんは?」
「葵だ」
「いい名前!」
そう言って小春はパッと葵の前へと飛び出す。
「ねえ天狗さん。あ、もう天狗さんて呼び方で定着しちゃったから、名前呼びじゃなくていい?」
「その辺は別にいい。好きに呼んでくれ。」
「じゃあ、天狗さん。天狗さんは御山を襲った犯人を見つけたらどうするの?」
率直な小春の問いに、葵は一瞬言葉に詰まったが、思っていることをそのまま口にした。
「倒す」
「殺すってこと?」
「そういうことだ」
話の雲行きが子供相手に良くない方向へ行きそうだったので、葵は咳払いをして話題を別の方へ変える。
「なあ、そういや。お前は何で俺に話しかけてきたんだ?普通よそ者や怪しげな奴がいたら声かけないだろ」
「面白そうだと思ったからよ。それに何だか困ってるように見えたから。それで話しかけてみたら天狗だった。こんな素敵なことってある?」
「素敵、なのか?人間は天狗を怖がると聞くぞ」
小春は肩をすくめる。何だかその仕草がやけに大人ぶった調子で微笑ましい。
「みんなはね。でも私は違う。私の村では、千歳山には天狗がいるから決して足を踏み入れないようにと小さい頃から大人に言い聞かされるの。もしも天狗の神域を穢してしまったら、天狗の怒りに触れ、必ず村に祟りが生じるからって。だから大人も子供も千歳山へは行かないし、天狗を怖がってる。でも私はむしろそんな天狗に会いたいと思っていたの」
「何で?」
「だって、ワクワクしない?天狗って、自由に空を飛んで、不思議な術を使っていろんなことができるんでしょう?そんなのが村の近くの山に住んでるかもしれないなんて、好奇心がくすぐられるもの」
なるほど、小春はいかにも好奇心旺盛な子供である。きっと未知の存在のことを知りたくてたまらない性分なのだろう。葵も今未知の領域へ足を踏み出している。そのことに恐れや不安を抱いている。しかし、葵の心にも復讐心の陰に隠れてしまいがちだが、確かに好奇心がある。御山の外の世界がどうなっているのか、どんな人々がどのように暮らしているのか知りたいと思う。今なら椿丸の言っていたことを素直に聞き入れられる。
「そういうわけだから、私は天狗さんのこと怖くないの。ねえ、もうこの杉木立ちを抜けたら隣村に着くわ。そしたらお礼に、何か面白い術を見せてね」
小春は花が咲いたような笑顔で、葵に笑いかけた。
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