7年ですね…
東北大震災から7年。
この数日はずっと、TVもラジオもこの話題ばかりです。
大きな災害を忘れない、風化させないことは大切です。近年は災害が本当に増えて、日本中が災害に遭ってるような状況なので、余計に災害記憶を風化させまいとするのでしょう。
忘れないことは、大事。でも、過剰な報道って、必要ですか?
私の友から、こんな話を打ち明けられました。
※以下、彼女の話の部分は掲載許可を貰って書いています。
彼女は愛知在住で、東北大震災には何の関わりもない日常の中に居ました。言葉を悪く言えば、他人事でしかなかったそうです。
ところが。震災から数日後、彼女は深い絶望に落ちました。
彼女が可愛がっていた一番年下の妹さんが、宮城で津波に巻き込まれて亡くなっていたのです。
4月から宮城で生活する事になっていた妹さんは、予定より一週間早く引っ越し先を確認に、ひとりで出掛けていたそうです。
何の運命の悪戯だったのか。
本来の予定なら、震災に巻き込まれずに済んでいたのに。絶望に打ちひしがれる彼女に、更なる絶望が押し寄せました。その悲劇を嗅ぎ付けたマスコミの取材交渉が、ひっきりなしに彼女に押し掛けたのです。
「日本中がみんな涙する美談として編集する」「謝礼を弾むから出ませんか」そんな類いの言葉で、マスコミは彼女をズタズタにしました。
しかも、その取材交渉は震災から3年が経っても、彼女を追い回したそうです。
震災の記憶を風化させない事と、悲しみを抉り続ける事は、違います。
過剰な報道って、必要ですか?
私は、福島に住んでいます。
幸い地震の被害だけで済みましたが、断水、家屋の被害、ガソリン不足に食料品不足、原発事故の不安を抱えて苦しみました。
何よりも心無い風評被害への怒り。
「福島なんか地図から消えちまえ」
「福島の農産物、売るな」
「福島から出てくるな」
未だに、これらの言葉を目に耳にしたりします。
過剰な報道の後、必ず風評被害が息を吹き返します。
世の中は、心無い人ばかりではないけれど、それらを目に耳にするたびに思うのです。
過剰な報道はもうたくさんだ、と。
そっとしておいてくれ、と。
私の友のように、傷を癒せないままの人もたくさんいる、その悲しみをどうか抉らないで欲しい、と。
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