第15話 寒さを司る姫君

 まだまだ暑い9月ではあるが中旬に差し掛かり、今日に限ってはやや肌寒い。

 外の気温の変化は、大型スーパーの中でもフロアによってはダイレクトに影響を受ける。


 俺の働く6階・生活日用品売り場は冷房が効いていてちょうど良いくらいだが、お客さんの出入りがあるため外気がよく入る1階は、いつも通りの温度設定では寒いくらいである。

 生鮮食品も扱っている地下1階・食品コーナーなどは、冷凍、冷蔵の設備が必須のため常にひんやりしており、レジのパートさんによればこんな日はやはり特に体が冷えるという。

 また、2階、3階辺りまでは1階からの涼しい空気が存分に届くので、冷え症の人が多い女性は特に、働くにも不快感がつきまとう。


 しかしこのような季節の変わり目の、昨日までとは違う衣服が欲しくなる日こそ、商売するのなら大チャンスだ、というのが3階・エスニック雑貨店の「姫」、三津谷さんの持論である。


 少し前に休憩で一緒になったときに珍しく熱く語っていた。

「いきなり寒くなった日にはね、速攻でマネキンの服を変えるの。今まではタンクトップに、薄手の織物で出来てる半袖カーディガンとか着せてたとするでしょ?」


 のんびり屋のイメージのある姫であるが、興味のあることについて語るときは、大きな黒目がきらきらと光る。小柄で細身の体からいつもは察することのない熱気も感じる。

「そしたら羽織を軽めの長袖に変えるか、インナーのほうを暖色のカットソーにして重ね着っぽくしたりとかするの。秋まで使えるストールとかも巻く」

 普段のどちらかというとおとなしそうな雰囲気とはギャップがあり、ちょっとしたミステリアスさを生む。

 こんな部分に姫ファンの多くの男性従業員は心がぐらりと動いてしまうのだった。


「お客さんが入って来るエスカレーターのほうに向けて目立つように配置するの。まあだいたいストールか長袖の羽織から売れるよね。売れたらまたコーデ変えるよ、それを閉店までまめにやるの」

 姫は結構今の仕事が気に入っているのだろう。

 一見、たおやかな彼女が見せる時折の情熱と賢さは、周りの気持ちも快くさせてしまう魅力がある。


 それはファンであるという軽い好意どころか、真面目な気持ちで彼女に恋をしている俺の親しい友人、1階・靴屋の王子もきっと同じだ。

 彼の性格上、姫がいつでも行動を起こせるよう、王子の特技とも言える誰でも味方につけてしまえる穏やかさと距離を弁えた気遣いで、後方支援をするような立場になるのを理想としているのだろう。


 王子の理想は、彼自身の良さを活かしたまま、姫の隣にいられることだった。

 これを聞いたらナルシストだと揶揄する者も現れるであろうが、俺は王子の自分を変えない信念のようなものは決して嫌いでなかった。

 美しい容姿と物腰から儚げだと称されることの多い王子であったが、自分を貫き通す姿勢には強さを感じる。


 俺の今日のシフトは大学に行った後、夕方16時からだった。

 夕暮れと夕闇の間くらいの景色が9階の社食から見渡せる時間帯に短時間の休憩を貰い、小腹を満たそうとカウンターでおにぎりを買っていると、同じく夕方からバイトに入った王子も、ちょうど休憩を取りにやって来た。

 軽く挨拶を交わして、空いていた向かい合わせに座れるテーブルに2人で着く。


 やはり今日は寒くなったせいか、三津谷さんはマネキンの衣装替えをしていたよ、と王子が言う。

「3階に若い男性用の服が少し置いてあるでしょ。マネキン用に靴を貸して欲しいって言われたから、出勤して結構すぐかな、何足か持って行ったんだ」

 そのときに姫の働くエスニック雑貨店の前を通ったんだろうな、と練乳入りの甘い缶コーヒーを手にしている王子を見ながら思った。


「ちょっとだけ、三津谷さんに声を掛けてみたんだ。今日は寒いから、目立つところのコーディネートは変えるんですねって」

 えっ、と目を見開いてしまった。

 王子から姫に話し掛けることは今までほとんどなかった。

「楽しそうだったよ。にこにこしてくれた」

 甘いコーヒーを飲む王子も微笑んでいた。


 姫を分不相応にも振ったばかりの俺が言うのもなんだが、他の男性に取られてしまう危機感を王子に持たせることが出来たということなのだろうか。

 何しろ姫はごく一般的な男性に好感を持たせるのが、わざとでないにしても上手すぎる。

 恋愛感情というものを持たない俺のような人間はどうしたって少数派なのだ、多少王子が積極的になることも必要だろうとお節介ながらも考えてはいた。


「今日は朝からシフトに入っていて、17時には上がらなきゃ行けないから、最後にひと仕事頑張るって。三津谷さんはバイトだけど店次長だし、立派だよね」

 姫に声を掛けたという王子の話にも驚いたが、姫がエスニック雑貨店の店次長だというのも初耳だった。

「姫って店次長だったの!?」

 俺達のような大学生バイトと違い、フリーターのアルバイトにはよくある話なのかもしれないが、全く知らなかった。


「名札に入ってるよ、テナント名のところに」

 自分のエプロンの胸ポケットに引っ掛けてあるネームバッヂを、この辺と分かるように指して王子は言う。

 次々びっくりしてしまった俺だったが咄嗟に思ったことを口にした。

「待って、じゃあ姫は今の店で割とずっと働く気ってことだよね。お前は大学卒業したらどうするの」


 王子は、俺とは違って他県の出身だった。地元に戻るか、この大型スーパーのある土地よりもう少し都会に出て就職したりするのではないのか? 姫と同じ場所にいられるのは、実はかなり限られた期間なのではないのか?


「そんな先のことまで考えてから人を好きになれたら、苦労はしないよ」

 思ったままを言葉にした王子は、ほんの一瞬遅れて恋愛感情が分からない俺に対してやや乱暴な言い方になったと思い直したのか、感じが良くなかったねごめん、と謝った。

 むしろ俺は別段気に留めてすらいなかったので、見た目だけでなく中身までなんて繊細に出来ているんだこの男は、と感心半分呆れ半分のような心持ちになる。


「でも姫と喋れて良かったんじゃん? 積み重ねで仲良くなれるかもよ」

 出来るだけ明るい方向性で会話を終えたかった。

「うん、俺、昨日休みで、飛び石で明日も休みだから、今日は三津谷さんに会えただけで嬉しかったんだ。実を言うと結構舞い上がっているよ」

 にこやかな王子の姿は社食の大きなガラスから一望出来る、少し暗くなって来た市内の景色に映えて、美しかった。


 エレベーターで1階に帰る王子と別れて、階段で6階の生活日用品売り場に1人戻る。

 王子と交わす言葉だけでも和やかなものに出来て良かった。

 会話のトーンとは裏腹に虚ろな気持ちになっていた。階段を下りる俺は少し早足になっていたかもしれない。

 感情のコントロールの利かない恋愛とは、なんと不便なものだろう。

 不便な感情を持つ王子を始め身近な人々も、その不便さを知らないまま生きることになるであろう自分にも、不幸な側面があるように感じられた。


 コントロールなんて出来ていれば、姫王子だって、わざわざ身体的には同性の姫のことを好きになったりしないよな、と思い当たったりもした。

 しかし社員と違って転勤のない準社員である1階・化粧品総合レジの姫王子こと上遠野かとうのさんは、時間をかけて姫にその好意を伝えられる可能性が高い。


 考えているのはほとんど他者のことばかりなのに心が不安定になる。夜になったせいもあってか少しの肌寒さを感じた。





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