統一歴5年 『優しい嘘の日』

「今日、ここに新しい祝日を制定出来る事を大変嬉しく思います」


 早春の帝都は快晴だった。日差しは優しく降り注ぎ、春になりつつあることを教えている。

 中央広場には、無数の人々が集まっていた。目当ては他でもない、多忙極まる中、わざわざこの日の為に時間を作り、新しい祝日制定を宣言しているのドレスを身に纏っている美女――我等が『聖女』にして『女帝』オリヴィアの姿を一目でもいいから見る為だ。

 2年前、突如起こった『黒色道化』の謀反劇以降、大陸は極めて平和だった。

 時折、謀反の噂こそ時折出るが何時のまにか掻き消え、大規模な戦いらしい戦いは一度も起きていない。


「ここで私個人の話をする事を許してください」


 突然、彼女の口調が静かなものに変わる。

 歓声をあげていた群衆が静まり返り、次の言葉を待つ。


「かつて、私がこの大陸統一を願った時、私の隣にはある道化がいました」


 群衆がざわつく。

 何故なら、女帝が口に出したのは、ある種禁句。何しろ彼女の命を狙い、公文書からも抹殺された大悪人なのだから。

 それを彼女自らが破っている。


「彼がいなければ――今、私は皆さんの前に立っていないでしょう。統一後、不幸にも敵対する事になってしまいましたが……けれど、時折思い出すのです」


 女帝の目に薄らと涙らしきものが光る。

 それを見た群衆が更にざわつく。自分自身の命を狙った存在にすら慈愛の精神を持ち続けるとは――何というお方。


「彼は、私によく他愛ない嘘をつきました。勿論、その当時は怒ったものですが、今となっては懐かしい……本当に。彼は教えてくれました。『他者を傷つけない優しい嘘は、時に必要である』と」


 涙を指で拭う。

 微笑を浮かべ、告げた。


「今日制定された『優しい嘘の日』の間、帝国内において、優しい嘘をつく事を我が名において許可します。そして、これは私個人のお願いなのですが――どうか、皆さんこの日は、自分にとって大切な人を思い出して下さい。いつ何時、会えなくなるか分かりませんから」



※※※



 帝都大広場の群衆が歓声をあげていた。

 かなりの数が泣いている。

 それを遠目で眺めていたのは、フード付きの外套を羽織っている痩せている男。その肩には羽黒猫。 


「……主よ」

「知らん。まぁ……元気そうじゃねぇか。あのドレスは気にくわねぇが」

「そうか? 我はあの狂人にぴったりだと思うがの」

「もう血の色は見飽きた」

「主は甘いのぉ。甘々じゃのぉ」

「うるさいぞ。少なくとも、俺の死を利用出来るようになったってのは、悪い事じゃねぇだろ。よし、行くか」

「のぉ……本当に会わんでいいのか?」

「何だ? お前はあいつが嫌いだと思ってたが?」

「勿論、嫌いじゃ。主の死を使って、民からの支持を上げようなど……ありえん。性根が腐っておる。やはり、あの狂人こそ喰らっておくべきであった、と今でも強く思う」


 肩の上で羽黒猫が憤慨している。

 男は呆れ顔。


「なら何でだ?」

「あの狂人が主を本気で慕っておったのは事実じゃ。普通に考えれば、あの状況を生き残ることなぞありえんし……優しき我からすれば、やはりこのまま立ち去るのはちとのぉ」

「はっ! 悪魔すら喰らう身で何を言ってるんだか。第一な……俺は謀反人だぞ。でなくても会った瞬間、殺されかねん。あいつは案外と容赦がないからな?」

「……主が言うと、嘘にしか聞こえんが」

「そりゃそうだろ。何しろ今日は『優しい嘘の日』――おい」

「うむ、囲まれつつある。主と我の索敵網をここまで掻い潜ってくるとは、こ奴等、凄まじい腕利よの」

「逃げるぞ。やってられん」


 男は身を翻し、路地裏を駆ける。

 大通りでは群衆が、『聖女様、万歳!』『オリヴィア様、万歳!』『帝国に栄光あれっ!』『永久の平和を!』と口々に叫んでいる。

 そんな中で、続く静かな、けれど激烈な追いかけっこ。

 緩急、欺瞞、囮、様々な技巧を尽くし、男と羽黒猫は逃げて行く。

 が、追ってくる相手も異常なまでの執念で追ってくる。

 そして、何より数が多い。百人単位の恐ろしい腕利きの群れが、少しずつ包囲網を狭めてゆき――夕刻迫る頃、男はとある路地隅に追い込まれていた。

 目の前には、数十人の男女が壁を作っている。両隣の家屋上からも気配あり。  纏っている雰囲気はどう考えても歴戦。


「まさか、ここまでとはなぁ」

「……主よ、我は先程からかなり嫌な予感がしておるのじゃが」

「言うな。口に出すと、大概、悪い事は当たる」

「……案外と、そういうゲン担ぎ好きよの、主は」

「ねぇそろそろいいかしら?」


 壁が二つに割れ、二人の女が歩いて来る。

 一人は女騎士。もう一人は、フード付きの白い外套を深く被っており、顔は見えない。


「久しぶり、と言うべきかしら?」

「死人を追うにはちと、本気過ぎじゃねぇか、忠義馬鹿娘?」

「貴方は大謀反人だもの。これ位は当然よ……2年前みたいに逃げ出されちゃたまったもんじゃないわ」

「逃げたわけじゃねぇ。偶々、死ななかっただけだ」

「うむ。我がギリギリで思いつかねば死んでおったな」

「ああ……やっぱり、したのね。オリヴィア様のご想像通り」

「で……今更、俺に何の用だ? 『黒色道化』はもう死んだんだが」

「ええ。そうね。ここから先は――」


 シャロンの後ろに控えていた白い外套の女が前に出てきた、と思った瞬間、男の胸に飛び込んで来る。しかも、一瞬で羽黒猫を片手で掴み放り投げるオマケ付き。

 衝撃でフードが外れた黒髪の男――ノルンが溜め息をつきながら質問する。

 

「はぁ……おい、てめえ説明しろ。と言うか、何でここにいる?」

「決まってるじゃないですか。影武者ですよ。第一、深紅のドレスなんて……とっっても薄情な誰かさんの前でしか着たくありませんっ。全部、全部、全部っ貴方が悪いんです!! 2年――2年ですよっ!? 私を放っておいて、あんな馬鹿猫と遊んでいるなんて……これはもう重罪、大罪、本来なら死罪ですっ」

「……約束は果たしたろうが。少なくともてめえの世界は盤石だろう? それに報酬もいただいた」

「あげてません」

「はぁ? てめえはよく言ってたろうが。『あの大教会は一番のお気に入りなんです』って」

「……馬鹿だとは思ってましたが、まさかここまでの大馬鹿だとは思いませんでした。がっかりです。幻滅です。罰としてもらってください」

「何をだ」

「決まってるじゃないですか――私の一番大事なモノ、をですよ」


 ノルンを強く抱きしめたまま、オリヴィアが笑みを浮かべる。そして、頭を彼の胸にこすりつける。

 羽黒猫はシャロンに拘束されつつ、『黒狼』副長が持っている猫じゃらしで遊ばれ中。他にも隊員達が、猫用玩具を持って囲んでいる。

 

「……取りあえず聞くだけきいてやる。『俺』とか言うなよ?」

「うわぁ……自意識過剰ですね」

「う、うるさいぞ」

「ふふふ~照れないでください。私の一番大事なモノはですね」


 顔を上げ、オリヴィアは真っ直ぐにノルンを見つめた。


「私自身ですよ。ハイ、一刻も早くもらって下さい。待ちくたびれました」

「……てめえ、それは嘘だろうが」

「そうですよ。だけど、いいんです。だって今日は『優しい嘘の日』ですから。嘘をついてもいい日なんです。大陸を統一した偉い偉い聖女で女帝様が決めた大事な日なんですよ? 知りませんでしたか?」


 こめかみを押さえながら、ノルンは嘆息。

 同時に少し寂しそうに応じた。


「……道化が踊る時期は終わったんだぞ? それに俺は血塗れだ。お前には白が似合うだろうが」

「ぶー残念でした。私ももう血塗れです。貴方と同じですね……嬉しいです。また、一つ同じになれました。これでも駄目だ、と言うなら――もう一度、私は貴方に願います」


 オリヴィアはノルンの顔に手を伸ばし、優しく頬に触れた。

 それは、あの日――二人が初めて出会い、全てが始まった瞬間と同じ。



「お願いです。私に、私に――貴方と一緒に歩んで行く世界あすをください」



 ある所に余りにも優しく、全てを背負い過ぎた黒い道化と、彼を想い、その隣にあり続けようとし、血に染まる事すら躊躇わなかった聖女がいた。

 

 ――これはそんな二人の物語。

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