第12話 中二病コンビの実験

 霧に沈む児童公園に椿と姫は居た。

 今日は風がないため、いつにも増して霧が濃い。まるで邪悪な意思でも持っているかのように深い霧の壁が二人の目前まで迫り、白い闇の底へ絡め落とそうと小さく華奢な身体に纏わりついている。


「……じゃあ、やってみる」


「OK」


 椿は一歩前へ出た。両手には五本のスローイングナイフを握っている。姫は刺又を肩に担いで、わくわくした顔でその光景を見守っていた。刺又にはドーマンセーマンが貼り付けてあったが、周囲の安全よりも椿の一挙手一投足に注視している。


 瞳を閉じて精神集中していた椿が、左足をすっと下げると、左手で一本ずつナイフを投げていく。瞳を閉じたまま、精密な機械のように一定の間を取りつつ、五つの方向に向けて。


 ナイフを投げ終えると、二人は待ちきれないといった感じで前方へ駆け出した。

 霧の中から現れたのはジャングルジムだった。その前面には家具の引き戸が針金で括り付けてある。五つともサイズもバラバラで、取り付けてある高さも様々だ。その全てにナイフが刺さっているのを見て、姫が「すごい!」と感嘆の声を漏らした。


 椿は一本ずつナイフを引き抜いていく。無言だったが、その表情から興奮しているのがわかる。

 これで十回目。毎回標的の位置を変えつつも、目を瞑ったままで八割の確率で標的にナイフが突き刺さっている。しかも日に日に、投げれば投げるごとに精度が高まっていく。


 自分のなかで熱く蠢くマグマのような何かが、全身に少しずつ行き渡っていこうとしているのを感じる。筋肉や神経の眠っていた力が引き出されていくような全能感に心身ともに歓喜で打ち震えていた。


 本物だ……


 椿は自分の手の平をまじまじと見つめて、ぎゅっと握り締めた。




 次に二人は住宅街にやって来ていた。民家に挟まれた月極めの駐車場。その道路に面した側にはフェンスが張られていて、中央部分が出入り口となっている。出入り口のチェーンにはドーマンセーマンが等間隔で貼られていて、二人は視線を合わせて頷くと、それぞれに持っていた刺又でフェンスやアスファルトをたたき始めた。


 ガンガンコンコンと甲高い音が霧の中に響き渡ると、やがてそこら中から引きずるような足音と低いうめき声が聞こえてくる。

 姫の左手の霧の中から両手がにょきと姿を見せて、首筋から血を流して土気色をした肌の中年女性が現れた。距離にして二メートルほど。中年女性は一直線に姫へと向かってくる。


「うひょ!」


 姫が鬼ごっこでもしているように後ろへ飛び跳ねた。そして拍手をしながら駐車場のなかへと誘導していく。その姿を視界の隅に捉えながら、椿は次々と現れる数体のゾンビを刺又のドーマンセーマンで霧の中へと押し戻しながら、じりじりと慎重に後退していく。


 そしてアスファルトの上に這わしてあったチェーンを跨ぐと、素早い動きでチェーンを掴んでフェンスのポールに設置してあるフックへと引っ掛けた。

 簡易結界の完成だ。駐車場の残り三方は民家がありフェンスもあるのでゾンビが入ってこれないのはあらかじめ確認済みだ。


「こっちは準備ができた」


 椿が振り返ると、既に姫は乗り捨てられたワンボックス車のサイドボディに、刺又でゾンビを押し付けていた。


「じゃあ代わる」


「うん」


 椿が自分の刺又で中年女性を押し付ける。ゾンビは相変わらず刺又には目もくれず、ただ音がする方へ、人の吐く息の匂いにつられてもがく様に両手を伸ばしていた。


 力自体は大したことない。小柄な椿でも腰を落としてしっかりと力をいれていれば、十分押さえつけていられる。

 では、なぜこれだけ非力で知能も視力も認識力もないゾンビに人々はやられてしまったのか。


 その原因の一つは握力だった。異常に強い握力は一旦掴まれると剥がすのは容易ではなく、椿は一人で夜な夜な街へ繰り出して街の様子を伺っていた時に、大人の男性が腕や衣服を掴まれて引き剥がそうとしているうちに、次々と現れたゾンビに襲われていったのを見ている。


 だから小柄な椿でもその点を注意しただけで生存確率がグンと上がった。寮に防犯用の刺又が設置してあったという幸運もある。


「じ、じゃあ行くわよ……」


 姫はショルダーバックから半紙を取り出して、ゾンビの右側へ回り込んでいく。

 ゾンビが姫の呼吸の匂いに反応して両手を伸ばした。


「気をつけて!」


 椿がわざと大きな声で言った。それは姫へ注意を促すと同時に、ゾンビの注意をこちらに向ける意味もあった。 

 姫にも椿の意図が伝わったのか、小さく頷くと息を止めて左手で鼻と口を覆った。


 椿はまるで子犬でも呼ぶみたいにリズミカルに舌を鳴らして、ゾンビの注意を引きつけている。

 その音の鳴る方へ両腕を伸ばして無心に空を毟り取っている中年女性の両腕の動きのタイミングを見計らって、姫は一気に右手でゾンビの額の辺りを叩きつけた。


 傍から見ている分にはまるで蚊でも叩いたようにしか見えなかったが、ゾンビの額にはガムテープで半紙が貼り付けてあった。その半紙には奇妙な形の文字が大きくいっぱいに書かれている。それは姫が祖母の形見の習字道具で書いた梵字だった。


 姫の話では、つい先日夢枕に祖母が立ち、懸命になにかを自分に伝えようとしていたのだと言う。そこで彼女は祖母が自分になにを伝えたかったのか思いを巡らせた。祖母が遺してくれた習字道具。長年愛用していた立派な筆。これは形見分けではなく、祖母の遺言のなかに書かれていて「相続」したものだ。


 元々祖母は霊感の強い人間で、書道教室を運営するとともに密教の霊符師としての顔もあったらしい。霊符師とは相談者を霊視して相談内容にあったお札を製作することを生業としている者の呼称で、その霊符作りには梵字が使われている。


 梵字とは古代インドで生まれた文字で日本へは仏教とともに伝来し、文字自体に霊的な力があると信じられ、その特徴的な形は一字ごとに如来、仏、菩薩、明王、天などを表していて、姫は何故か幼少期から祖母にこの梵字を教えられていたのだ。


 つまり彼女にとっては、物質的に相続したものが愛用の筆と書道道具であり、精神的に相続したものが梵字となるわけだ。

 そして彼女の祖母が長年製作に携わっていた霊符は、元を辿れば中国の道教と繋がりが深く、その道教には呪術で死体を操ったとされるキョンシー伝説がある。


 きっと祖母はそのことを自分に伝えたかったに違いない、というのが姫の結論だった。

 そして姫からあるアイデアを聞かされても、椿は一笑に付すなど出来なかった。出来るわけがなかった。


 ゾンビの額に霊符を貼り付けた姫が自分の背中に回りこむのを待ってから、椿はゾンビを押さえている刺又をゆっくりと引き離した。


 息を呑んでゾンビを見守る二人。

 梵字が書かれた半紙で顔の隠れているゾンビは、両腕をぶらりとさせて立ったまま動かない。 

 椿は恐る恐ると刺又で地面を叩いてみる。

 コンッ、コンッ。

 ゾンビは動かない。

 二人の顔が驚きと喜びに包まれていく。

 コンッ、コンッ、コンッ、コンッ――

 姫も加わって今度は二人でもっと強く、さらに回数を増やして刺又で地面を叩きまくる。

 それでもやはりゾンビは動かない。


「――やった、成功よ!、ゾンビを霊的な力で抑えることができたの!」


 姫が椿に抱きついてきゃっきゃっと飛び上がった。

 しかし次の瞬間、ゾンビの顔面を覆う半紙がどす黒く変色したのを椿は見逃していなかった。霊符が一気に塵となってぼろぼろと崩れ散ってしまったかと思うと、同時に女ゾンビは唸り声を上げて両手を前に突き出して二人に襲い掛かった。


「あぶないっ!」


 椿は姫を突き放すと同時に歯を剥き出して突進してくるゾンビの腹部を蹴り飛ばす。

 女ゾンビの体は激しく車体に叩きつけられながらも再度二人に襲い掛かろうとするが、体勢を立て直した椿がすかさず刺又で押さえ込んだ。

 椿のタイミングが少しでも遅ければ、二人のうちのどちらかは確実にゾンビに捕まっていたはずだ。

 まさに間一髪。


「そ、そんな途中まで上手くいっていたのに、どうして……?」


 青ざめた顔の姫はそれだけを呟くのが精一杯だった。

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