28:鉛玉

 視界は煙で塞がれているが、何者か、それも結構な数がこのファミレスの中へ、おそらく窓から侵入してきているであろう事は音で把握できている。

 結界が衝撃を防いだためか、鼓膜は無事であった。


 大きく二つ。今の僕には選択肢がある。

 一刻も早く音のしない方へ逃げるか、栞ちゃんから離れないためにこの場に留まるかだ。


 普通なら非力な女の子なんて放っておいて向こうの視界も潰れているうちにさっさと逃げてしまうべきなのだろうが、栞ちゃんは普通ではない。まともな状況で戦闘に入れば武器を持った人間ごとき簡単に制圧できるであろう事は想像に難くない。栞ちゃんに守ってもらうことを考えるなら、そばに居たほうが都合がいいはずだ。

 しかしながら、懸念があるとすればこの襲撃が不意打ちのような形であったことだ。

 結界こそ張ってあったようだが、この人数相手に対応する策が他にあるかと言えば、きっとおそらく存在しない。

 ここは聖域であるらしく、栞ちゃんはその魔法のような力を十全に行使できない。

 結界というものに関する知識も僕にはなく、何発かは耐えられるものなののか、何枚か重ねて張れるものなのか、あるいは今ので全て剥がされてしまったのかなど、一切の情報がない。次に銃で撃たれでもすればそのまま死ぬという可能性もある。


 そして何より、今の僕には一切力がない。


 逃げるべきか、留まるべきか。

 うだうだと悩んでいる時間はない。栞ちゃんと話し合っているような時間もない。



 逃げよう。


 栞ちゃんもきっと逃げるはずだ。

 レジスタンスの所有する戦力についてなど一切把握していないが聖域の中ではきっと分が悪いし、もし仮に戦闘するにしても今の僕では足手まといにしかならないだろう。

 安全なはずの聖域の中という状況がかえって僕達の首を絞めているというのも皮肉な話だ。


 問題は煙で視界が悪すぎることと、そもそも僕の目があまり機能していないこと、ファミレスの外についてほとんど情報がないこと。

 現在の僕の視力では窓からの景色はほとんど視認できず、今が夜であるということ程度しか把握できなかった。

 しかしながら、そんなことに文句を言っている余裕はない。


 テーブルの残骸を踏み抜き、音のしない方へ走り出す。

 すぐ後ろからも足音が聞こえる。敵とはそれなりに距離があったはずなので、これは栞ちゃんだろう。


 手で建物の構造を探りながらなので全速力でというわけにはいかないが、極力速く、極力遠くへ。


 少しして裏口のような扉を発見した。息を切らしながらそのノブを回し、引き、そのまま外へ走る。


「もう少しっ、走ればっ、聖域の外になるからっ」


「わかったっ」


 栞ちゃんの言葉に従い、更に走る。


 ファミレスから出て数秒後、後ろからノイズのようにも聞こえる炸裂音が響いた。

 何かが風を切る音がする。


 栞ちゃんに飛来したそれが接触すると、轟音と共に爆発した。


 もう一度、パリン、という音がする。結界はまだ用意してあったようだ。


「あいつらロケラン持ってるっ! ヤバいヤバいヤバいっ、二枚共割られたっ! 次何か当たったら死んじゃうっ!!」


 どうやら今のが最後の結界だったらしい。

 慌てている様子が可愛らしい、とか言っている場合ではなさそうだ。


「聖域の外までどのくらいあるんだっ」


「40メートルくらいっ、多分っ!」


 40メートル。全力で走れば大体5秒くらいの距離だろうか。


 今現在、僕の方が栞ちゃんよりも数メートル先を走っている。僅かではあるが、聖域の外に辿り着くのは僕の方が先になるだろう。


 つまり、僕の方が先に敵の攻撃に対応できるようになる。

 前へ前へと足を持ち上げつつ、意識を背後へと集中する。


 突然胸のあたりに激痛が走り、遅れて銃声が聞こえた。


 撃ち抜かれた。広範囲に被害を齎せる爆発物のみならず、銃までしっかり用意してきていたらしい。


 痛い。尋常でなく痛い。

 足を止めてしまいそうだし止めてしまいたいが、歯を食いしばって痛みに耐え、まだ走り続ける。

 すぐに次弾が飛んでこないあたり、連射が可能なものではないらしい。


 また一歩踏み抜いた時、違和感があった。

 地面の底が抜けたような感覚。


 いや、確かに僕は地面を踏みしめている。それは視覚から明らかだった。

 そのはずなのだが、しかし地面を踏んだことによる足への衝撃というのが返ってこなかった。

 泥濘の中に足を踏み入れたような、しかし足は決して沈んでいない、奇妙な感覚。


 その狂った感覚に足を取られ、思い切り前へと転んでしまった。


 その直後、風を切る音と共に頭上を弾丸が通過した。

 そのままの姿勢で走っていれば撃ち抜かれていただろう。

 発射間隔からして、奴らが持ち込んでいるのはロケットランチャーの他には狙撃銃が一本だとかその程度だろうか。前者の方はおそらく弾切れか、あるいは結界についての知識不足が原因で「爆発物は無効化される」と認識したか。


 足元のこの奇妙な感覚のほうは結合崩壊というやつだろうか。

 だとするならば、ここは既に聖域の外であるはずだ。


 しかし、聖域の外であるはずなのに、僕の力が返ってくるような感覚はなかった。


 見通しが甘かった。聖域の外に出たからといって直ぐに元通りになるわけがなかったのだ。栞ちゃんは徐々に力が消えていくといったような話をしていたはずだ。だとするならば、力が戻るのも徐々にであるのが妥当であろう。


 栞ちゃんが解決するのを願うことしかできない。


「聖域、抜けたけどっ、これ足止めたら撃ち抜かれそうなんだけどっ!」


 それはつまり、僕にこのまま死ねと言っているのだろうか。起き上がるのには少し時間がかかりそうだ。

 終わった。

 やっと長い眠りから覚めたと思ったら即死か。なんとも儚い人生である。


  そろそろ次の弾丸が僕に飛んでくるタイミングだろうか。


 そう思い、後ろを見ると、まさに弾丸が飛来しているところであったが────僕の頭蓋に着弾するその刹那、別の何かが高速で僕と弾丸の間を横切った。


 そのなにかが着地したところを見ると、水銀のような水溜りが生まれていた。

 これが飛来したということだろうか。


屑鉄喰いメタルイーターだっ!私このスライムにこんなに感謝したことないよ!」


 額を確認するが、傷付いた形跡はない。

 どうやらメタルイーターと呼ばれたスライムのようなものが僕の命を救ってくれたようだ。


「こいつがいるなら魔法使う余裕もできる……郷愁の解決を私達に────再帰リコールっ!」




 栞ちゃんが呪文を唱え終えた瞬間、僕の視界が白で染まり、そして屋内らしき場所に出た。ぼやけていて細かいところまではわからないのだが、人影が二つある。


「はい、離脱成功。ここは間違いなく安全だよ」


「あ、おかえり、栞────って、え、その人」


「その急に出てくるの、いつまで経っても慣れんな────ん、お前」


「……目が、覚めたんですね。悠一郎さん」


 声からして、千紗ちゃんと志木か。

 まるで幽霊でも見たかのような反応である。


「お前、起きられるならさっさと起きておけよ」


「好きで眠ってたわけじゃないんだけどね」


 段々と視力が回復してきたようで、彼らの表情くらいは確認できるようになった。

 二人とも今にも泣きそうである。


「そんなに僕のことが心配だった?」


「……そうですよ。当然です。よかったです、本当に……」


 素直に返されるとは思っておらず、僕の方も気恥ずかしくなってしまう。

 千紗ちゃんはここ一ヶ月で髪が少し伸びたようで、雰囲気も以前より更に大人びている。

 志木も心なしか精悍な顔立ちになったような気がする。依然怖くはあるが。一ヶ月の間に余程大変な経験を積んだのだろう。


「あー、そうだ、メタルイーターだっけ? あれってどういうものなんだ?」


 変な感じになった空気を入れ換えるため、無理矢理話題を変える。


「あれ、悠一郎さん、屑鉄喰いメタルイーターを見たんですか?あの聖域のあたりだと見かけたことありませんけど」


「えーっと、屑鉄喰いメタルイーターっていうのは外にぽつぽつ生息してる魔導生物のことだよ。錆びた水銀みたいな見た目で、すごい速度で金属を捕食するんだよね。元々結社が金属を生成する家畜として開発してたんだけど、それが失敗した上脱走して野生化、金属をエネルギーに変換して活動・増殖する最悪の生き物が誕生しちゃったわけ。一部の重火器ならダンジョン外の異界種にはダメージを与えられたんだけど、屑鉄喰いメタルイーターが出てからはそういうのを聖域の外で使うことが一切出来なくなった。金属の塊みたいな重火器を取り出そうものならすぐあいつらに食べられちゃうからね。今回はそれに助けられたけど」


 結社のあこぎな商売、とやらの一環だろうか。十分レジスタンスの活動理由になりえそうな一件だ。


「助けられた、っていうと、レジスタンスにでも襲われたんですか?」


「そうそう、もう最悪だよ、よりによって私一人でユウくんの様子を見に行ってる時に限ってさー。千紗ちんか志木くんがいたらどうにでもなったんだけどねえ、まあなんとか命からがら逃げ帰ってきたってわけ」


「あれ、他の人ならどうにかなったの? 聖域の中だとみんな何もできなくなっちゃうんじゃない?」


「肉体の変質はゆっくりとしか修正されませんから。私か志木さんみたいな肉体派なら武装した一般人くらいどうにでもなります。痛みは伴いますけど、いざとなれば無理矢理能力を使うこともできますし」


「千紗ちゃんって肉体派なんだ……」


「まあ、どちらかと言えば」


 力こぶを作るようなジェスチャーをしてみせる千紗ちゃん。知的な雰囲気でありながら時折こういう可愛らしい仕草を見せるのはかなり魅力的な部分だ。


「あれ、そういえばユウくん、胸を撃ち抜かれてなかったっけ」


「ああ、そういえば」


 言われて自分の胸を確認する。


「なんか治ってるね」


「……なんで?」


「さあ……栞ちゃんが治してくれたわけじゃないんだ?」


「そんなことできないんだよねえ」


「まあいいんじゃない?ツイてたってことでさ」


「そんな言葉で説明できるようなことじゃないと思うんですけど……」


 栞ちゃんと千紗ちゃんは怪訝な表情を作っている。

 当人としても不思議ではある。何故治っているんだろう。

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