第三話:猫のかくれんぼ



小さな頃から本に囲まれて育った。古書のかおり、インクの色、装丁の美しさ、芸術というものを肌で感じ、また深く愛していた。


代々司書として図書館を預かってきた僕の家は、謂わば生き字引、父も母もとても物知りだった。歴史、宗教、心理、文学……。あらゆる本に知識がつまっていることを教えられた僕は図書館にこもり、朝から晩まで本を読むようになった。


文字は特に習わずとも、不思議と頭に入ってきていた。どんなに難しい本もスラスラと読んだ。その姿を見た誰かが僕のことを「神童」と呼んでいたらしい。当時は何がすごいのかわからなかったが、なるほど、文字というのは普通は習わないと読めないらしい、ということを知り納得した。


――神の子なんて、そんな大層なものじゃないんだけど。


人から向けられる過剰な言葉や態度にモヤモヤしたときほど、僕は本の世界に深く沈んでいく。


青白く光るヤコウソウの灯りを頼りに一人読書に耽る時間が僕にとっての至福だ。この空間を守り抜き、最期は本の中で果てる。そんな理想を抱きながら、僕は両親の亡き後に司書として図書館を継いだのだった。


同時期に僕の能力が開花した。生まれつき首筋に猫の刺青を持っていた僕は、数十年ぶりに生まれた一族の≪異端児≫として族長の鍛練を受けていた。僕の能力は黒猫の影を操る能力、隠密行動や暗殺に適した戦闘型の力だった。僕は司書をつとめる傍らで、その能力を使いこなせるようにと、武器をとり族長の手ほどきを受けていたのだった。


こんな能力、使うことは一生ないと思っていた。ここは地下都市、地上の人間が来ることもなく、一族の生活は平和そのものである。どうせなら、同じ≪異端児≫の幼馴染のように人を救える力や司書として活かせる力が欲しかったな、と考えたこともあった。


そんな僕が、この能力を使うようになったのは、書庫でとある本と出会ってからだった。







地上、太陽は沈み、新月の闇に支配された夜。石畳の上を黒い猫の影が走っていた。


はて、しかし、猫など何処にも姿は見えない。だというのに、石畳には確かに猫の影だけが走っている。何とも不可思議な光景であるが、往来の人々は気づかない。例え影を見たとしても、そこに猫の姿はない。おそらく、気のせいか、と首を捻るだけで終わるだろう。


猫は街灯の光の下に姿を現してはすぐに暗闇に消えていく。音もなく、気配もなく、疾走するそれは、真っ直ぐに丘の上にある大きな建物に向かっていた。


丘の上の建物と言えば、この街唯一の図書館に植物園が併設された施設である。蔵書数はさほどないが、植物学や薬学の古文書の類いが多く書庫に保管されているらしい。そして隣の植物園では、その古文書にある薬草の栽培を試みているのだという。


しかし、書庫は民間人は立入り禁止。植物園も古文書の薬草を育てている温室の場所も最上の機密事項であった。


そんな図書館の入口に猫はたどり着くと、僅かな隙間からスルリと身を滑り込ませ、中に侵入した。中にはサーチライトらしきセンサーが見えるが、そこは猫の影。床に貼りついて難なく通過していく。


開架図書の棚を抜け、カウンターを飛び越え、奥に向かう猫。途中、隠されていた警備装置のスイッチを落とし、センサーが消えていくのを確認してから奥の書庫を目指す。


書庫の扉は固く閉ざされている。しかし、猫はわずか数ミリの隙間もものともせず、スルリと中に身を滑り込ませる。


何と賢い猫だ。まるで人間のようである。

否――。


突然猫の影がグニャリと歪む。それは徐々に膨らみながら床から立ち上がると、その中から灰白色の髪の童顔の青年が姿を現した。その首筋には猫の刺青が淡い光を放っている。


「……ふぅ、やれやれ。ようやく着いたか」


大きく全身を伸ばした青年――ヴェーチェルは目の前に並ぶ本棚を見て口の端をつり上げた。


「さてと、じゃあ見せてもらおうかな」


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