第35話 愛を捧ぐフール
重々しい金属の施錠音が響く。
私は慌てて扉の前に走り寄ろうと起き上がったけれど、高いヒールを履いた足が鋭く痛んだ。先程突き飛ばされた時に痛めたらしい。
でもそんな事には意識を割いていられなかった。足を引き摺りながらドアノブを捻るけれど、扉はビクとも動かない。ドアノブの下に鍵穴があるだけだ。内側と外側、両方鍵がないと施錠も解錠も出来ないのだろう。
「すまない……。お前を巻き込んだ……」
未だに意識がハッキリしないのか、緩く首を横に振って
それに、これはフォティオスお兄様のせいじゃない。
「いいえ……。いいえ、フォティオスお兄様。きっとこれは私のせいです」
履いてて痛い靴は脱いだ。ひんやりと冷たい床に着いた足はまだ痛むけれど、私は必死に周囲の家具を見渡す。鍵らしきものは見当たらない。外から鍵を掛けたセウェルス伯爵が持って行ってしまっているらしい。
「だって、セウェルス伯爵は私に言っていました。20も年の離れた男のただの後妻で収まるよりも、もっと楽しい事をしたいとは思わないのか、と。私を使ってフォティオスお兄様を陥れようとしていたのです」
「……そうか」
身体を起こしているのも辛そうに、フォティオスお兄様はズルズルとベッドに凭れかかるように床に座り込む。目がとても虚ろだ。
窓から脱出出来ないか、と張り付いてみるけれど、こちらも鍵穴があるだけだ。軟禁されていた所は鍵が錆び付いていただけだったが、この室内と非常に似ている施錠方法だった。
「クラリーチェが無事で良かった……。行方不明になって心配していたから」
「……今まで、アウレリウス公爵の別邸に軟禁されていました」
「……アウレリウス公爵が?」
吹けば飛んでいってしまいそうな声だったが、まだフォティオスお兄様の意識はあるらしい。
大丈夫か、なんて訊くまでもない。
フォティオスお兄様の額には不自然な程に汗が浮かび、輪郭を伝うように首筋まで流れ落ちている。
グッと肌が白くなるまで拳を握り締めている。
睡眠薬が効いているとセウェルス伯爵は言っていた。
睡眠薬であろうとなかろうと、この二人きりの状況がどんなに不味かろうと、まずフォティオスお兄様を一刻も早く医者に見せなければならない。
「ええ。アウレリウス公爵に軟禁されていましたが、アウレリウス公爵はセウェルス伯爵のように私の醜聞より、
「……アウレリウス公爵が、……なぜ」
脱出出来る経路を粗方探し終えて私は、諦めざるを得なかった。どこを見ても、鍵が掛かっていて外には出られない。
座り込むフォティオスお兄様の正面へしゃがみ込む。俯き加減の彼の額に手を当てると、淹れたての紅茶のカップのように熱くて驚く。ただの睡眠薬ではなさそうだ。服の襟元は少し汗で色が変わっていた。
「セウェルス伯爵の思惑通りになりますが……、助けを大声で呼びます。ご迷惑お掛けして申し訳ありません、フォティオスお兄様」
「……やめろ」
半ば投げ出されていた手で、額に触れていた方の手首を掴まれる。
「やめろ」
はっきりと力の篭もった声と共に、フォティオスお兄様は顔を上げる。鼻に皺を寄せ、私を射抜く碧眼は熱のせいかやや潤んでいる。苦しそうにもう一度、やめろ、と荒い息と共に吐き出した。
「ですが……っ!!」
「いいか、よく聞くんだクラリーチェ。恐らく……だ。恐らく……、アウレリウス公爵は、アルガイオの時代に生きていた人間か、それと繋がっている可能性がある……。いや……、そうでないと、オリアーナも音信不通になる訳がない……」
「フォティオスお兄様?!それは後にして……」
「駄目だ、……っ」
フォティオスお兄様に手首を引かれて、姿勢を崩す。間近に迫った彼の顔に思わず息を飲んだ。
「俺の……言う事を聞いてくれ。助けを呼ぶのは早計だ」
「でも!それではフォティオスお兄様が危ないです!!」
私の心配をよそに、彼は口角を上げて生意気な少年のように好戦的な笑みをみせる。
「……セウェルス伯爵の思惑になんか乗ってたまるかよ」
「フォティオスお兄様……」
私が眉を寄せた所で、彼は一歩も引こうとはしなかった。それどころか、少し興奮した事で症状が悪化しているように見受けられる。瞳の碧が、どこか遠くを見るようなものに変わる。
「……エレオノラの後を追うように、クリストフォロスの心は死んだ。……その後のアルガイオは、悲惨だった」
「フォティオスお兄様?」
「クリストフォロスの代理を決める為に貴族議会は争いで荒れに荒れた」
やはり助けを呼びましょう?と声を掛けるが、彼は首を横に振るだけだった。そればかりか、熱に浮かされたように
「……蹴落とし合いだった。何人もの人間が失脚した。最終的にクリストフォロスとテレンティア様の婚姻を漕ぎ着けた、ペルディッカスが政治の舵を取った」
「びっくりする位……、ペルディッカスはクリストフォロスを真似た政治を行っていた。クリストフォロスの心が生きていた時代と違い、……国内が権力争いで疲弊しているのにも関わらず、何かの幻影に取り憑かれたかのように」
フォティオスお兄様は一度、深く息を吐き出した。身体はキツい筈なのに、鬼気として語り続ける。
「……っ、そんな政治で上手くいくはずがない。国が傾きだした頃、クリストフォロスはペルディッカスを道連れにした。最終的には、他国に侵略される形で、アルガイオの歴史は幕を閉じた」
「……フォティオスお兄様」
「もし、だ。もし、ペルディッカスがクリストフォロスが亡くなったのは、エレオノラを失ったせいだと思っていて、……この時代に生まれ変わったらどう思う?」
言葉が出なかった。
私の味方であるべき筈のアウレリウス公爵が、その理由で私を軟禁していたのならば納得がいく。
「フォティオスお兄様の仰る通りです。ペルディッカスの生まれ変わりがアウレリウス公爵で、テレンティア様の生まれ変わりが、私の侍女のビアンカだったんです」
「あの、侍女が?」
どうやらフォティオスお兄様はビアンカの事を知っていたらしい。頷くと、そうか……、と気が緩んだように目を閉ざす。
慌てて名前を呼ぼうとした時、ふと室内に一陣の夜風が吹き込んできた。
「ーーそうか、それは僕も知らなかった」
その声音に、どうしようもなく安堵した。
愛が決して綺麗事だけでない事も、自分を醜くする事も教えてくれた人がそこに立っていた。
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