第33話 愛を乞うフール
ウルヘル辺境伯領は周囲を険しい山々に囲まれた土地である。
70年程前は一つの小国として成り立っていただけあって、周囲の山が要塞のような役割を果たしていて、長い間他国の侵入を許していなかったという。
眼下に捉えたウルヘル辺境伯の領地は、所々で煙が上がっていた。野焼き等ではないような煙の上がり方である。
「偵察によりますと、ウルヘル辺境伯軍はほぼ総崩れ。3000から大きく数を減らし、1000前後になって現在籠城戦になっている模様です。反乱軍の首謀者及び全体の九割……約5000がウルヘル辺境伯の城を取り囲むようにして布陣。残りの一割は制圧した各地に散らばっている模様です。深夜から朝方に掛けてはあまり激しくはない様ですが、……城が落ちるのも時間の問題かと」
「そうか……」
将軍のパウロは思ったよりも冷静に、僕に対して報告を行う。切れ長の金眼を細めて、僕と同様に眼下の光景を見渡していた。
ウルヘル辺境伯の居城付近では、特に火の手が多いように見受けられる。
ウルヘル辺境伯軍の援軍として、僕達の王国軍が来ることは反乱軍も分かっているだろう。
ギリギリ反乱軍に気付かれない山の山頂付近の位置に本陣と天幕を張ったが、反乱軍の偵察部隊にとっくに見つかっている可能性もある。何せこちらは人数が多いので、あまり隠密には向いていない。
踵を返し、即席で建てた天幕の中へ入る。
もうそこには僕と将軍以外の、この戦いの責任者達が集っていた。ウルヘル辺境伯領の地図と辺境伯の居城の見取り図が簡素なテーブルに広げられている。
「待たせたね。会議を始めよう」
「はっ。殿下の御耳に入れておきたいことがあります」
「なんだい?副将軍」
「ウルヘル辺境伯の居城は城塞としての機能も充分です。そして、前王朝の名残で古いですが籠城の際にも耐えられるように奇襲用や避難用として、地下道が張り巡らされています。現在の籠城戦でこれが役に立っている模様です」
地下道か……。
辺境伯を亡くし、トップの居なくなった辺境伯軍がここまで持ち堪えられている一因。見取り図だけでもかなり地下道が広がっているのが分かる。
「将軍、貴方はこの状況をどう思う?」
「はっ。反乱軍は約5000。対する王国軍は1万5000です。反乱軍の大多数は、ウルヘル辺境伯領を再び独立させる事を望んでいる平民という状況です。数でも圧倒的に有利ですし、鍛え上げられた王国軍騎士達の敵ではありません。このまま城を包囲している反乱軍を叩くのが良いかと」
二人いる副将軍の方にちらりと目をやると、片方の副将軍は将軍の意見に大方同意なのだろう。
数でも、兵士の質でも圧倒的にこちら側が有利であるのは誰の目から見ても分かる事だ。
……だけれど、少し城に繋がる地下道について気になった。
もし反乱軍との戦闘中に城が反乱軍の手に落とされたのならば、地下道から逃げられたり、奇襲を掛けられたりする可能性がある。
「地下道から辺境伯軍に援護は出来るかな?」
「可能かと」
「ではそちらの方にも人員と物資を派遣を。将軍の提案を採用する。残りは城を取り囲んでいる反乱軍の包囲。何としてでも城を持ち堪えさせろ。挟み撃ちにする。異論はない?」
作戦会議にいた全員が同意の声を上げた。
僕と同じ事を思っていたらしい、最初に進言してきた副将軍も納得した表情を見せる。
「それでは夜明けと共に反乱軍と一戦を交えよう」
その一言で、場に静かな戦意の高まりが起こった。
大声こそ上げないが、皆飢えた肉食獣のようにギラついた瞳に変わる。
僕が解散を告げると、その場にいた人々は散り散りになる。天幕に誰もいなくなったタイミングを見計らってか、シストとラウルがひょっこりと顔を見せた。
「いよいよ、だね。初陣はどうー?」
「初陣も何も……勝ち戦みたいなものだからね」
苦笑した僕の傍にきたシストは、先程まで将軍が座っていた場所を陣取る。
まだ広げっぱなしの地図を両肘をついて眺めた後、シストは城の見取り図の地下道を指でなぞる。
「問題はどこまで苦戦するか……ってとこかなー?死に物狂いの人間は、何を仕出かすか分からないから」
「そうだね。反乱軍も後がないから。優秀な軍師がいる訳でもないけど、奇策を用意している可能性も否めない」
「って言っておきながら、何もないだろーとは思うけどねー」
「そうだね。でも、心配し過ぎて損はないよ。いざと言う時の選択肢は多い方がいい」
それって王太子様だから?、なんてシストが問うものだから、さあ?性分かもね、と肩を竦めて答えた。
アルガイオの国王だった頃。時代が良かったのもあるけれど、僕が慎重な性格で他国との争いよりも、平和的な関係を築く方を選んだ。それも賢王と呼ばれた理由の一つなのかもしれない。
「まあ、偵察部隊には目を光らせてもらっているし、ラウルの方にも頼んでるからね」
ねえ?、と首だけ斜め後ろを向けると、控えていた彼は大きく頷いた。
「はい。反乱軍の方にも内通者は居ますし、今の所奇策を出すような軍師はおりません。戦いを知らぬ平民が集まっているような有様です。将軍の言う通り、数にものを言わせるような戦いでも問題はないかと」
「だね」
まあ、何があっても別に問題はないけれど、と小声で続ける。知っているラウルとシストは何も言わなかった。
ーー表舞台から第一王子が消えるのは、随分前から描いていたシナリオだったから。
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東の空。闇に覆われていた天が徐々に色を変える。
深い紺色に変わった時、僕は馬上で居城付近の山の中腹まで静かに降りた自軍を確認した。
夜に紛れて奇襲よりも、まだ視界の良い明け方を選んだ。
自軍の数が多いので、暗闇の中を進軍して反乱軍と混戦になり、味方同士で殺し合いする恐れもあったのだ。
ーーそれに、理由はもう一つある。
腰に佩いた剣を抜く。
一気に全ての人間の視線が背中に集まった。こういう状況は慣れていたが、今回ばかりは緊張する。自分にとっても
深く息を吸い込み、剣を高く掲げる。
ーー空に、淡い黄赤色が広がった。
「これより反乱軍の制圧を開始する!!
ーー私に続け!!」
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果たして何時間続いたのか。いつの間にか感覚が麻痺していた。
天にはすっかりと日が昇り、明るく僕達を照らしている。
清々しい朝だった。清涼な風が吹いている筈だった。鉄錆のような匂いが、風と混ざっていた。辺りの地面は一面血で汚れている。
敵味方関係なく、馬も歩兵も死体に足を取られたりする者もちらほらいた。
どこを見ても、凄惨な有様だった。
「……わぁっ?!」
近くにいたシストが、相手の槍を避けると同時に転がっていた遺体に引っかかって体勢を崩す。その隙を逃さなかった敵は、シストに追い討ちをかける為に槍を振り上げた。
「……っ!!」
「ファウスト殿下!!」
一瞬、無防備になった敵の胴体に向けて剣をふり抜く。
目の前で、赤が舞った。
人を斬る感覚。
それと同時に襲ってくる自分の脇腹への衝撃。
ーーシストに気を取られていて、僕の方が無防備になってしまったか。
幸いにも傷は深くない。
だが、近くにいた将軍は自分が怪我をしたみたいに顔を真っ青にしながら、上擦った声を出した。
「ファウスト殿下!!お下がり下さい!!すぐに手当を!!」
「……分かった。あとは頼む」
「はっ、お任せ下さい!!」
もうほとんど戦は終わりかけていた。
あとの残りは残党のようなもの。籠城していた味方には、補給物資は無事行き届いている。怪我人、病人の為に医者の派遣も出来ていると報告があった。
将軍の言う通りに、大人しく戦場の近くに設置していた天幕まで一兵卒のフリをしたシストと共に戻る。もう既に連絡が入っていたのか、総大将の僕の為に建てられた天幕には医者が待機していた。
医者は僕の姿を見るなり、将軍と同じく顔を真っ青にした。そして、泡を食ったような表情で僕の服を脱がせにかかってくる。
だけど、医者にそれは出来なかった。
音すらなかった。
ゆっくりと傾(かし)いで、地面に倒れ伏した医者。医者だって何が起こったのかすら、分かっていないはずだ。
瞬きの間で医者の意識を刈り取った彼は、弁解した。
「大丈夫だよー。……意識を飛ばしてもらっただけだから」
「……シスト」
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