第14話 愛を捧げたフール

 昼間だということもあったのか、私の侍女が私が倒れた事を茶会のクリストフォロス様に伝えたらしい。 私が眠っている間、大騒ぎだったそうだ。


 クリストフォロス様の慌てようと、倒れたという事で私が何か重病を患っているのではないのかと広まったらしく、様々な見舞いの品々が届けられたそうだ。


 2日間ほど眠っていたそうだが、クリストフォロス様は公務を全て取り止めて私の側にずっと居たらしい。私が倒れた原因が風邪ではないので、宮殿医の許可も降りたらしい。


 全てイオアンナから聞いた。

 彼女は泣き腫らした赤い目をしていて、私は心配かけたと労おうとしたけれど、寝ていたせいか掠れた声しか出なくて更に心配を掛けた。


 クリストフォロス様もイオアンナ達侍女もみんな酷い顔をしていた。私を診察していた宮殿医も、痛そうな表情で、しばらく安静になさって下さいとだけしか言わなかった。




「エレオノラ様。倒れられたと聞きました。大丈夫ですか?」


 眉を下げ、心配そうな表情をしたテレンティア様は、私が倒れて目を覚ましたと聞くなりずっと見舞いたいと言っていたらしい。

 流石に好意を無下むげにも出来ずに招いた。


 王妃と側室が仲が悪い事は特に珍しい事ではないが、今回は側室が隣国の元王女だ。そして、その側室が好意を示している。私に選択肢など無い。


「ええ……。ごめんなさい。テレンティア様は今大事なお身体なのに……」

「大丈夫ですよ!私、身体は丈夫なんです!それより、エレオノラ様こそ大変ですよね……」


 紅色の猫目を伏せて、うれいの表情をテレンティア様は浮かべた。


「最近、エレオノラ様がやる筈だった公務が私の元に来るのです。私ずっと何故か分からなかったのですが、お身体が良くなかったのですね……」

「ええ……。ご迷惑を掛けてしまってごめんなさい」

「いえ!いいのです!クリストフォロス様にも沢山お会い出来るし、私がエレオノラ様の分まで王妃のお仕事頑張りますね!」


 無邪気な笑顔を見せたテレンティア様の言葉が、とても痛かった。

 でも、そう遠くない未来いなくなってしまう私の後を、無邪気なふりをした彼女が務めるなら、大丈夫だなと漠然と思った。


「……ええ。クリストフォロス様をよろしくお願いします」


 ちゃんと私、微笑みを作れていただろうか。泣きそうになっていなかっただろうか。

 テレンティア様は虚をつかれたように少しだけ目を見開いたが、すぐに頷いた。


「勿論です!だから、エレオノラ様はゆっくりご静養してて下さいね!」

「ええ……、ありがとう」


 胸の底からドロドロした粘着質なものが這い上がってくる。首が締まったように、息がしづらかった。


 私の言葉にテレンティア様は不思議そうに首を傾げる。猫目がきょとんとしたように瞬いた。


「あ……ごめんなさい。クリストフォロス様に沢山お会い出来るだなんてはしゃいじゃ駄目でした……。エレオノラ様は大変なのに」

「いいのよ」

「でも、エレオノラ様もクリストフォロス様の事がお好きなの……ですよね?」

「ええ、勿論」


 当たり前だ。そうじゃなければ、何故私は傷付いてもクリストフォロス様の元に居続けているのか。

 私を愛してくれているあの人に出来ることは、私が側に居続けることしかない。


「私、分かりません。好きな人の側に他の女の人が居たら普通嫌じゃないですか?」

「え?」

「私だったら嫌です。だって、クリストフォロス様が他の女の人に取られたみたいじゃないですか」


 ジッと探るように私の瞳を覗き込む紅色の瞳には、恐ろしい程何の感情を宿していなかった。


「クリストフォロス様に愛される人が他にもいるなんて、私だったら許せないもの」

「それは……」

「エレオノラ様は思いませんか?クリストフォロス様に愛されてる女の人が自分以外にいるのが嫌だって」


 何を言っているのか、テレンティア様は。

 いや、そんな事を言って何をしたいのか。


「クリストフォロス様は国王陛下です。クリストフォロス様を支え、お慰めするのが私達の役目。クリストフォロス様が私達を愛してくださる限り、私達もクリストフォロス様を愛するのが役目なのですよ。テレンティア様」

「エレオノラ様はどうして、そんなに綺麗な事を言えるのですか……?エレオノラ様にとって、私は邪魔な存在でしょう?!」


 諭すように答えると、テレンティア様は眉に皺を寄せて険しい表情をした。今まで見たことのない、顔だった。


 悔しい。本当に悔しい。

 何事もなければ、クリストフォロス様の子供の母親になっているのは私だったのに。


 醜い感情だということは分かっている。

 本当の事を言うと、彼女にも、他の女性にも、クリストフォロス様の事を頼むなんてしたくなかった。


 険しい顔から一転、テレンティア様は瞳に沢山の涙を溜めて気弱な表情を見せる。


「私、私、エレオノラ様に嫌われてるって分かっているんです!でも、私はエレオノラ様と仲良くーー」

「やあ、エレオノラ。起きてるのかーー、何故お前がここにいるんだテレンティア」

「陛下!!」


 示し合わせたように、ちょうど良くクリストフォロス様が私の部屋に入ってくる。

 テレンティア様のクリストフォロス様への呼び方が変わった事に違和感を覚えたが、それよりもクリストフォロス様がテレンティア様を視界に入れた途端、柔らかい表情が一転して厳しいものに変わった方が深刻だった。


「陛下!私は、エレオノラ様のお見舞いに」

「部屋で大人しくしていろと言っていたはずだ」

「私はエレオノラ様の事が心配で……」

「エレオノラに構うなと言っておいた筈だが?」

「でも……」


 めげずに言おうとするテレンティア様に、クリストフォロス様は深々と溜め息をついた。腕に付けた重そうな腕輪を外しながら、テレンティア様を見たクリストフォロス様は間違いなく国王の顔をしていた。


「テレンティア。私が言っているのはお願いじゃない。命令だ」


 テレンティア様の瞳に浮かべた涙がポロリと落ちる。

 彼女はもう何も言わずに、クリストフォロス様と私に一礼して部屋から足早に出て行った。


「すまないね、エレオノラ。余計な気を遣わせた」

「いいえ。大丈夫です」


 クリストフォロス様の手がゆっくりと私の頭を撫でる。国王の顔なんてどこにもない、ただ1人の男の人がそこにはいた。


 王妃である私と側室であるテレンティア様がそこまで顔合わせをしないのは、きっとクリストフォロス様が配慮して下さっているのだろう。そうでなければ、テレンティア様は私の元になんだかんだ理由を付けて押し掛けて来ていたかもしれない。


 今回のように、見舞いだなんて理由を付けてわざわざあの様な事を言いに来る位だから。


 テレンティア様はクリストフォロス様の事を好きなのだろうか?よく分からないけれど、それを抜いても、彼女は母国を背負うという複雑な事情を抱えている。私のことがきっと邪魔なのだろう。


 クリストフォロス様は私を離しはしないだろう。私もクリストフォロス様の元を離れるつもりは無い。けれど、離れなければいけない時は一刻一刻と、死の気配は一刻一刻と近付いてきている。


 きっと、この恋は誰も幸せにはしない。


「寝たきりも退屈だろうから、本を持ってきたよ。少しは気も紛れるかなって思って」

「わざわざありがとうございます」


 侍女が何巻かの巻子本かんすぼんを抱えて持ってきて、退出する。いつの間にか室内に侍女はいなくなっていた。


「あまり君が好きそうなものがなくてね。とりあえずおとぎ話が纏められたものをいくつか」

「おとぎ話は好きです。みんな幸せになるから」

「エレオノラが喜んでくれるなら選んだ甲斐があったよ」


 上流の生まれなので、読み書きだけは習っていた。だからちょうど良い時間潰しになるだろう。

 巻子本かんすぼんを手に取り、これはどんなのだとか中身について、クリストフォロス様は寝台に腰を掛けて、寄り添うように私の側で説明してくれた。


 権力と財の象徴とも言えるような、王様らしい金銀宝石で出来た腕輪や指輪をはじめとした装飾品をいつも身に付けているクリストフォロス様が、それを全部外して肩の力を抜いている姿は、どこにでもいるような普通の青年みたいだった。


 ニコニコと楽しそうに微笑むクリストフォロス様は私がいなくなったら、どうなるのだろうかとぼんやり思う。


 クリストフォロス様に私は必要とされている。子供が産めなくとも。

 子供の産めない女を、懐妊した隣国の元王女様を無視して王妃の座に居続けさせる事が大変な事くらい分かっている。


 彼は恐れているのかもしれない。

 王妃が私でない誰かになる事よりも、私が離婚出来ない王妃から降りて一側室になった時、彼から離れていくことをーー。


「エレオノラ」

「……あ、はい」


 心配そうに私の名を呼ぶクリストフォロス様に我に返る。


「エレオノラ、どこか具合でも悪いのかい?」

「いいえ、大丈夫です。ありがとうございます」


 にっこり微笑んでクリストフォロス様の首に腕を回して抱き着く。クリストフォロス様もやせ細った私を怖々とした手つきで抱き締め返してくれた。


 クリストフォロス様の腕の中はとても安心するのだ。

 慣れ親しんだ彼の匂いに埋もれた時、ここが自分の居場所という感じがして。

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