第13話 「私は梨花、橘梨花」

 女が置いてったペットボトルから一口スポーツドリンクを飲むと、急に「喉が渇いてる」って、身体中が叫び出した。ゴクゴク飲み続けて、あっという間にペットボトルがカラになった。ついでに、腹が減ってることにも気づいた。


 目の前で、ケンとヘレンが頭を吹き飛ばされて死んだのに、生き残ったあたしは、スポーツドリンクを一気飲みして、今度は、食べ物を欲しがってる。生きてる人間って、死んだ人に対して、こんなに冷たいんだ・・・それとも、あたしだから、こんな、なのかな?

 おっと、いけない。あたしには、こうやって、悩むのが一番いけない。あたしみたいな「力」を持った人間が、自分のしたことに悩み出したら、自分が、どうかなっちゃう。ともかく、食べ物をもらおう。


 あたしは、ドアをノックした。女が「はい」と答える声がして、すぐにドアが開いた。あたしは、隣の部屋に入った。

 部屋の真ん中にちっぽけなテーブルがあって、その向こうに、背の高い男が、電信柱みたいに、突っ立ってた。あたしは、びっくりした。もう一人いるなんて、女は言わなかった。


 あたしが動けないでいると、女が「ああ、紹介が遅れて、ごめんなさい。そこの男性は、菊村幸太郎。私の相棒」と言い、電信柱がギクシャクと頭を下げた。「私は、宝生世津奈。私たちは、この家のご主人から、あなたを守るために雇われたボディガード」女が優し気な言い方をする。


 「あんたたちを雇った奴がここにいないのは、おかしいわ。あたしをだまそうとしたって、そうはいかないよ」元の部屋に駆けこもうとしたあたしの背中に、「『教授』なら、いま眠っているけど、会いたい?」と女が呼びかけてきた。

 振り向いて「寝てるんなら、起こして、ここに連れてきて」と言ってから、連れてこさせても、あたしは「教授」の顔を知らないことを思い出した。なんか、頭の調子がおかしい気がする。さっきの戦いでニューロ・クラッシュされかけて、頭が壊れたかも・・・


 「うん、じゃ、ちょっと待ってて。コー君、手を貸して」と女が言い、二人は部屋を出てった。あたしは、部屋の中を見回した。食堂・・・といっても、昔の映画に出てくる貴族の屋敷で、小間使いの人がちゃちゃっと自分たちだけで食事する小部屋みたいな感じ。四人がけのちっちゃなテーブルとスツール。博物館から借りだしてきたみたいな石油ストーブがある。


 2分も待たさずに、女と男が、白髪頭でガリガリに痩せたジイサンを両側から抱えて連れてきた。女と男はすごく背丈が違ってて、間にはさまれているジイサンさんが、斜めに倒れそうになってる。

「ごめん、起こしても目を覚まさないから、そのまま連れてきた」女が言った。もちろん、それは、あたしが見たこともないジイサンだ。


 「そんな奴、あたし、知らないよ」と冷たく言ってやる。「ええっ」と、男の方が間抜けな声を出した。

 「やっぱ、あんたたち、あたしをだまそうとしてる」うんときつい調子で言ってやる。そんなことをして、何になるのか分からないけど、ともかく、ナメられないようにしなくちゃ。

 「だますつもりだったら、ニセモノをわざわざ連れてこないわ」と女が落ち着きはらって答える。「コー君、仕方ないから、ここに寝かせましょう」と女が言って、二人は、連れてきた爺さんを床に寝かせた。


 「私たちは、この人とは初対面なの。しかも、困ったことに、この人は、アルツハイマーらしくて、私たちを雇ったことを覚えていないのよ。あなたが目が覚めたら、この人のことを教えてもらおうと思っていたんだけど」そう言って、女が、床に寝ているジイサンを見下ろす。


 「じゃあ、なんで、あたしの居場所がわかったのよ」本当に、疑問だった。

「ああ、これ」と言って、女が、テーブルの上からヒモのついたメモ帳みたいなのを取り上げて、あたしに差し出した。メモには汚い手書きの地図と数字が書いてある。「この人、物忘れしやすいことに気がついていたのだと思う。これを首からかけていた。そこに書いてある地図と緯度・経度を頼りに、あなたを迎えに行ったわけ」と、女が言った。


 「ここにいる誰も、『教授』のことを知らないんじゃ、仕方ないわね。とりあえず、トルティーヤでも食べよう」そう言って、女が、さっさとスツールに腰を下ろした。「あなたも、どうぞ」と、あたしに言う。

 「ごめんね、この家には、トルティーヤしかないの。トルティーヤと言えばチリ・ソースなのに、その肝心のチリ・ソースがないのよ。本当に、どうかしてるわ」と女がトルティーヤの袋に手を伸ばしながら続ける。女が、すっかりくつろいだ調子で、トルティーヤを口に運ぶ。


 こんな尖ってない女を、あたしは、初めて見た。あたしが身近に知ってる女は,みんな、尖ってた。

 あたしの母親は、いつも、ピリピリキリキリしてた。だから、あたしと、あんなことに・・・ああ、あのことは、思い出したくない。

 レノックス大馬鹿博士には、エベレストの峯みたいに高く尖って、人を寄せつけないところがあった。ヘレンは、身体の表に細い針金がいっぱい刺さってる感じで、本当に触ると痛かったし、針金が刺さってるヘレン本人は、もっと痛そうで、見てて辛かった。


 そういう尖ったところが、この女には、全然、なかった。まるっとして、こいつのどこに触っても、指がひっかかることはなさそうだ。

 身体つきがまるっこいとか柔らかいわけじゃない。やや細めだけど筋肉質で、身体を支える骨組みが、すごくシッカリしてそうだ。頑丈な骨に強そうな筋肉がはりついてて、腕力がある。そんな感じがする。


 「宝生さんは、チリ・ソースにこだわってるけど、このままでも、十分、美味しいよ。君も、いっしょに、どう?長い間ねむってたから、お腹がすいてるんじゃない?」ノッポの男が、初めて、口をきいた。ちょっとつっかえるような早口で、見た目よりずっとガキっぽい話し方をする奴だ。「ほら、君も、すわんなよ」と言って、男が腰を下ろす。


 よく見ると、色白の細面で、すっきりと高く通った鼻にセルのメガネをのっけていて、女の子向けのスマホゲームに出てくるメガネ男子みたいで、ちょっと、イケてる。でも、あたしの趣味のストライク・ゾーンではない。あたしのストライク・ゾーンは、『兵隊やくざ』の有田上等兵だ。


 気がついたら、あたしは、女の隣、男の向かい側に腰かけてた。「はい、サビ抜きの寿司ならぬチリ・ソース抜きトルティーヤをどうぞ」と言って、女が、まだ開いていないトルティーヤの袋を差し出した。


 「あたしが誰だか、訊かないの?」袋をあけながら、あたしは、女に尋ねた。

「私たちは、調査員だから、依頼主の秘密に、こっちからは、首をつっこまない。あなたが誰だか私たちが知っていた方が、あなたが無事でいやすいと思ったら、教えて。そうでなければ、何も言わなくていいわ」女がトルティーヤをかじりながら言う。


 「いや、宝生さん、名前くらいは教えてもらった方が、よくないすか?本当の名前でなくていいから、この子を呼ぶときに使える名前を、なんか、決めてもらった方が」と、男も、トルティーヤをかじりながら言う。

「あゝ、そうね。なんか、ニックネームでいいから、教えて」


 「その前に、あたしは、あんたのことをオバハンと呼ぶから」と言って、女をにらんでやる。女が肩をすくめた。

 「そして、あんたは、アンちゃん」と言って、男の方を見ると、男が、「アンちゃんって、なんか、古いね」と言う。

「なに言ってんのよ、勝新の『悪名』の中では、あんたみたいなチンピラは『アンちゃん』って、呼ばれんのよ」

「なに、その『悪名』って?」とアンちゃんがあたしに尋ねる。


 「昔の大映のヒットシリーズよ。勝新太郎が演じる『八尾の朝吉』と田宮二郎の『清二』がいろんな悪党ををやっつけるの。面白いわよ」と横からオバハンが割り込んで答えてから、あたしに向って、「このアンちゃん、映画のことは、何にも知らないの、勘弁してやって」と言って笑った。華やかじゃない。でも、親しみのこもった、イイ笑顔だ。そう思った。

 「ちゃいますって、宝生さんが言ってる映画ってのが、古すぎるだけです」とアンちゃんがオバハンに言い返してから、あたしに向って、「宝生さんは、いや、オバハンは、映画については骨董品だからね。気にしなくていいよ」と真面目な顔で言った。


 「それで、あなたのことは、何と呼べばいいのかしら?」女が思い出したみたいに、あたしに尋ねた。

「あたしは、梨花。橘梨花」迷わず、本名を名乗った。

「じゃあ、梨花さん、よろしく」と言って、女が手を差し出してきた。あたしは、なぜか、その手を取って、握手をしていた。

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