第18話対戦!勇者マリウス

「おっそい! いつまで待たせる気かな! あたいがどれだけ急いで片付けてきたか! 君、わかってるかい! もう少し遅かったら、こっちから襲いに行くところだったよ! まったく!」

鍛錬の間と書かれた扉を開けてすぐ、いきなり罵倒を浴びせられた。トンネルのようなつくりの通路を潜り抜けた先で、マリウスは仁王立ちしている。ここからはまだ、かなりの距離がある。でも、その顔が笑顔であることは、手に取るようによくわかる。

ただ、それ以外は遠いからよくわからないが、たぶん勇者と思われる男たちが数人、マリウスの足元に転がっている。どの勇者も怪我をしているみたいだから、たぶんあれがマリウスの呼ばれた原因なのだろう。

この場所で、ああなったとは思えない。こんなところで諍いを起こしても、誰の迷惑にもならないはずだ。それに『片付けてきた』と自分で言ってたし……。

一種のパフォーマンスのようなものだろうけど、あれ全員をあんな状態にしてから、引っ張ってきたことには、素直に感心した。

小さな体に、その剛腕。勇者の中でも強いというのも納得できた。


それを見ながら、ゆっくりと鍛錬の間に中に足を踏み入れる。薄暗い通路を抜けて、明るい場所に足を踏み入れた時、一瞬自分の見ている物が信じられなかった。

鍛錬の間というから、道場みたいなものを想像していたけど、それは驚きと共に覆された。


この場所は、立派な闘技場コロッセオだ。


平和的に使うとすると、ミニサッカーも出来るだろう。

およそ五十メートル四方はあるのと思われえる戦闘スペースに、それを囲むように観戦する場所まで整っている。外から見た巨大な建物全体が、鍛錬の間だと理解した。


むき出しの地面は、所々変色している箇所もあり、一部真新しい土が盛られているところもあった。戦闘スペースと観戦スペースを分ける壁のようなもの、その修繕の歴史が所々見受けられる。

それは、この場所で凄絶な何かが行われたことを物語っている。しかし、観戦スペースの方はそういった傷跡は一切見られない。あくまで戦闘スペースだけが戦闘の影響を受けている。


そのど真ん中で、腕組みをしながら待っているマリウス。自信に満ちた笑みというか、これから起きることが楽しみで仕方がないというか、ともかく思った通り、上機嫌のマリウスがそこにいた。

少し胸を張って、見下すようにしているその姿は、あたかも挑戦者を待っていると言いたいのだろう。

まあ、確かにそうなんだけどね……。

何と言っても、向こうは二年も前から勇者してるんだから。


でも、言っとくけど、私が挑戦したいと言ったわけじゃないからね!

言っても聞かないだろうから、言わないけど。


ようやく戦闘に邪魔だと判断したのか、マリウスが足元の勇者たちを片づけ始めた。


それにしても、うめき声をあげて転がっているけが人を、足で蹴ってどけるのは、さすがにどうかと思う……。

でも、さすがは勇者たち、それでも何とか自力で移動している。


「いや、武闘家モンクなんだし、待ってる間に、治療してあげようよ……」

見た時からずっと思っていた気持ちが、今更ながら自己主張を始めてきた。言っても無駄だから、言わないようにしてたけど、もうそれを押し込めておく気にもならなかった。


「そうですわね、あんなクズでも役に立つでしょう。敵が来た時には、私の使い捨ての盾くらいにはなるかもしれませんわ。後で司祭を呼んでおきますわ。それにしても、本当に武器はそれでいいのですか? 剣士ソードマンの装備は詳しく知りませんが、武器屋に行けば、それなりのものが手に入ったと思いますわ……。しかも、ここの控えの間にあったのは、一般戦士の訓練用の物ですわよ。いくらマリウスが武器を持たないと言っても、さすがにそれは分かりますわ。それに、あんなに精霊たちとの契約を急がなくてもよかったのではありませんか? まさか、精霊使いとして戦うのですか?」

クズと呼ばれた勇者たちと同様に、私の心配をしているのではないことだけはわかる。ただ単に、興味だから聞いているのだろう。私に色々親切にしてくれているけど、それも私と戦いたいからだと言う事も、だんだんわかってきた。

マリウスは直情的に、ミストは計画的にという違いこそあれ、この人たちは基本的に戦いを好んでいる。

真の勇者の召喚日に召喚された勇者たち。非常に好戦的だと言われている真の勇者に近いのが、この人たちなのかもしれない。そして、私もその中にいる……。

戦いを前にして、興奮している自分がいた。


「無いものをねだっても仕方がないです。それに、お金も持ってませんし。それと、今日は剣士ソードマンではなく、戦士として戦うのですから、この方がいいと思います」

すでに春陽はるひからは剣士ソードマンの戦い方を教えてもらっている。

精霊使いは精霊の力を引き出して、魔法という力で解放する。

でも、剣士ソードマンと精霊たちの関係は少し違っていた。

本来なら、専用の武器で戦うらしい。春陽はるひが言うには、その方が効率的なだけで、他の武器でもできるようだった。そして、その良し悪しまで、春陽はるひは判断できるみたいだった。

なぜそんなに詳しいのか不思議だったけど、ミストの精霊が武器を持っていないのに対して、春陽はるひが剣をもっていることから、春陽はるひ剣士ソードマンをよく知っているのだろう。


気が付くと、ミストは驚いた顔で口元を抑えていた。


「あら、説明してなかったかしら? 勇者のマントをつけていれば、お金は必要ありませんわよ? 私も一度もお金を触ったことありませんわ。そもそも、私は街にもいきません。この城に居れば、大抵の事は城の騎士がやってくれますわ」

きょとんとした顔つきで、とんでもないことを言ってきた。

聞いてないけどさ……。

それ、元の世界でなんて言うか知ってるよね。


喉まで出かかった言葉を無理やり押し込める。


今はそれを言っている場合じゃない。

ここまで来て、自分の所に来ない私のことを、さっきからマリウスが一層睨んでいる。


これ以上、時間はかけられない。少しでも早くマリウスの方に向かわなければならない。


黙って頷くと、ミストの方もそれを感じていたのだろう。黙って観覧席の方に向かっていった。

さらに前に進み、闘技場コロッセオの端で礼をする。どんな場所であっても、ここが鍛錬の間だと言うのなら、この場所に敬意を払わなければならない。

それは、幼いころからの習慣。体は違っても、心がそうすることを求めている。


「ねえ、本当に私たちの力は使わないの?」

春陽はるひの心配そうな声が聞こえてきた。この戦いでは精霊たちの力は使わない。契約した精霊たちに、私はそう宣言していた。

その事を言っているのだろう。

マリウスの力を感じたからかもしれない。精霊たちの不安そうな気持が伝わってくる。


「大丈夫。今は、とにかく負ける気がしないんだ」

知覚能力は数段上がっている。身体能力も信じられないほど上がっているのが分かる。幼いころから剣道をやってきた。合気道だって納めている。何よりもこの知覚感覚。今ならこの闘技場コロッセオ内で、誰かが何かをしたら感じ取れる自信がある。


何よりも、試合がしたかった。申し合わせたものじゃない。一対一の真剣勝負。

ずっと憧れてたんだ。


中央で腕組みしているマリウスの呼吸さえも感じ取れる。勇者たちは、とっくに避難を終えて転がっている。ミストが観戦席で頬杖ついている。ミルフィーユがいないのは、司祭を呼びに行ったのだろう。

今、この場所で、私が把握できない人は誰一人としていない。


「お待たせしました、マリウスさん」

「ヴェルド君。あんまりふざけてると、本当に怒るよ!」

いや、十分怒ってるでしょうが……。

でも、まだオレンジの印象の方が強い。この感覚も、だんだん慣れてきた。


「装備の事ですか? だってお待たせしたら悪いと思いましたので。これでも、精霊契約だけは済ませましたよ?」

「ん? いや、そうじゃ……。え? うそ? もう? んー。まあ、いいか。あたいも剣士ソードマンの装備って知らないから、分かんないし。じゃあ、いくよ剣士ソードマンさん。今の実力を十分見せてよ! 大丈夫、死なない限り、ちゃんと治療するからさ! 本気の訓練だからね!」

何が言いたいのかさっぱり分からない。でも、最後には上機嫌になったマリウスが、さらに赤を増している。当然、色々言いたいことはあったけど、そんなこと言ってる暇はもらえなかった。

マリウスの気配に、剣を構えて相対する。その瞬間、なんだか違和感を覚えていた。なぜかしっくりこない。


頭がその原因探っている中、体はその状況に反応していた。

マリウスが笑った刹那の時、言い知れない危険に対して、体がかってに反応していた。

たぶんそれは本能的な動きだっただろう。

腹に突き刺さるイメージに、ほぼ反射的に左手の円盾ラウンドシールドを滑り込ませた。

鈍い音と共に、腹部に軽い痛みを感じる。ただ、その衝撃のために、思わず二、三歩後ずさっていた。


「へえ、やるねぇ。召喚されたばかりで! 今の、見えてたわけじゃないよね?」

突き出した右腕を前にしたまま、さっきまで私が立っていたところにマリウスがいた。

その顔は、軽く驚いている。


いや、驚くのはこっちの方だ。

あの一瞬で、あれだけ距離を詰めたのか? 約二十五メートルを一瞬で?


それと同時に、自分の体にも驚きを禁じ得なかった。

単純に時速九十キロメートル以上で走ってきた衝撃を、小さな盾で防いだうえに、軽い痛みとしか感じていないなんて……。

この盾が優れているわけじゃない。これは、この世界でありふれたものだ。


普通の人とは違う、特別な力……。

その意味を、正直測り損ねていた。


ここは日本じゃないと、ここに至って初めて理解した。


これはやばい。

体は反応するけど、意識は前の体のイメージがまだ残っている。意識するイメージと、体の反応がまるっきり違いすぎる。さっきの攻撃は、何も考えていなかったから、体が反応して偶然防げたに過ぎない。


真剣にやばい。

戦う以上、体が動くイメージを考えてしまう。そして、頭が知っている体の性能と、体の性能が違いすぎるどころじゃない。これじゃあ、蟻が象の体を動かすようなものだ。


正直言って、これはまずい。

ついさっきまで感じていた余裕は、今の一撃で微塵となって砕け散った。


でも、砕けただけなら、まだ何とかなる。最悪なことに、微塵となったはずのそれは、焦りに生まれ変わって私の所に戻り始めている。


まるっきり勝てる気がしない。


「うん、じゃあもう少し本気だしてもいいよね! さすが剣士ソードマンさん!」

不敵な笑みを浮かべたマリウス。

後ろ手を組んで、陽気に闘技場コロッセオの中央へと戻っていく姿を、ただ茫然と見送るしかなかった。

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