第15話 不老不死の男

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ある晴れた日の午後、東京都の小さな区役所で、職員の佐藤はいつものように書類の山に埋もれていた。

佐藤が働く住民課では、日々様々な住民が、様々な用事でやって来る。

婚姻届を出しにきた若い男女、配偶者の死亡届を出しにきた老人、住民票を移すためにやってくる独身男性。ここは文字通り、他人の人生の縮図だ。


しかし、最近は特に、マイナンバーカードを作りに来る高齢者たちの対応に疲れ果てていた。彼らは、手続きの複雑さ(簡素なはずだが)に戸惑い、時には怒りをぶつけてくることもあった。

心の中では、彼らに対し、時代に対応出来ないくせに、いつまで長生きするつもりなんだと、冷ややかな心持ちでいた。

長生きしても、あのように我儘な生き方はしないようにと、反面教師にしていた。

「番号札84番でお待ちの方どうぞー」と佐藤はため息をつきながら、次の来客を呼び込んだ。


番号札84番でお待ちの方は、見慣れない老人だった。彼は長い白髪をたなびかせ、昔のダイエーのロゴTシャツを着ていた。

太陽が少し欠けたようなロゴ。覚えている人は少ないだろう。

佐藤はそんな老人に密かに興味を持ちながら、話しかけた。


「こんにちは、いらっしゃいませ。今日はどうされましたか?」と佐藤が尋ねると、老人は「あの、私は959年生きてるんですが、マイナンバーカードを作れますか」と尋ねたのだ。



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「はい?」

佐藤は眉をひそめながら、老人を見上げた。「959年生きているがマイナンバーを作れるか」と堂々と言い放ったこの男、冷やかしにしては随分と手が込んでいる。しかし、ただの妄言にしては、その表情にはどこか困惑が漂っている。


「959年…ですか?」

佐藤は一応確認してみた。


「そうなんです…」老人はため息をついて続けた。「儂もなんでこんなに長生きしてるのか、全然わからんのです。ただ、生まれてから一度も病気にもならないし、ケガとかもさかむけがめくれる程度でして。気づいたら今年で959歳になってしまいました。」


佐藤は驚きを隠しきれないが、職務としては冷静に対応しなくてはならない。

「それで今日は、何か手続きのご用件でしょうか?」


老人はしばし戸惑った様子を見せ、ボソッと呟いた。

「いや、ですから、マイナンバーカードを作りたいんだけど、年齢が年齢なんで、いいのかなって…どうすればいいのか分からなくてですね…。こういうの、やったことがないんです。」


そうだった。959年という年月が、佐藤にマイナンバーの事を忘れさせていた。

佐藤は思わず口を開けてしまったが、すぐに我に返り、言った。

「では、身分証明書をお持ちでしょうか?免許証やパスポート、健康保険証などがあれば手続きができます。」


老人は苦笑しながら首を振った。

「いや、持ってないです。運転免許証ってあの100年くらい前に始まったやつですよね?その頃には私もう850歳を超えてましたんで…。なんか言われても困るんで、黙ってました…」


「なるほど…」

佐藤はさらに困惑した。959年生きているという話がいささか信じられないが、嘘をついているにしては、どこか真剣さが感じられる。


「じゃあ、現住所が確認できる公共料金の請求書や銀行の通帳などはお持ちですか?」


老人は再び首を振った。「それも無いんです。電気も水道も使ってないし、銀行口座もないです。昔から住んでた家があったんですが、長いこと家を空けてて、この前戻ってみたら、そこに家はもう無くて、あの、JRの駅になってました。何か契約したこともないですし、たぶん戸籍もないと思います」


「じゃあ生年月日と、お名前をお願いします」


「あっ、はい。砂守鐘保すなもりかねともと申します。生年月日は、康平こうへい7年、2月14日生まれです。」


バレンタインデー生まれだ。

佐藤は、おそらく聖バレンタインよりも先に生まれているこの老人に、どう対応すべきか分からなくなっていた。普通なら冷やかしだと見抜いて無視するところだが、この老人は本気で不老不死の状態に見える。手続きの話よりも、その生き方自体が問題のように感じられる。


「えっと…つまり、あなたは959年間ずっと同じ体のまま生きている、ということですね?」

佐藤が確認すると、老人はゆっくりと頷いた。


「そうなんですよ。最初は死なない人間ということで、都へ招待されたりしてもてはやされたんですが、今となってはもう…アレです。友達はみんな先に逝っちまったし、何度も世の中の様子は変わっていくんですが、儂だけずっと変わらない。はぁ…ホントに何でこうなったのか、さっぱりわからんのです。」


佐藤は、その言葉に困惑と同情が入り混じった気持ちを抱いた。ここまで困っている人を、どうすれば助けられるのだろうか?

そもそもこの老人はなぜ、マイナンバーが必要なのだろうか。


「それは…大変ですね。あのー砂守さん、なんでマイナンバーカードが必要なんですか?」


「それはですね…」

老人の顔が曇る。訳ありなのだろうか。


「あの…言いづらいんですけど、私の子孫がおりまして、苗字とかはもうあの全然違うんですけど、その…今10歳の子孫から、16歳以上じゃないと買っちゃいけないゲームソフト?を買うのに、私のマイナンバーカードを使って、私が買った事にしたいらしくて…」


佐藤は、最近の子供は恐ろしいな、と思った。

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