深海姫

くらい海を前に、私は一人立つ。

車を使いたくないから舟出勤したいと言っていた彼が、スーツ姿で白い舟の縁にいて、

まぶしい空の下で風を受けている姿を幻視した。

忙しいと言い続けたあの人は今、どこへ向かっているのだろう。

二人の冒険はいつまでも始まっていなかった。


私は波の打たない海面を眺めた。砂を踏む、踏む。

晴れやかな酩酊、どこまでも沈んでいけそうだ。

海面に映る夜景は、二人で行った遊園地のイルミネーションを思わせた。あの灯りに吸い込まれてしまえば良かった。

いったい何人をあの遊園地に誘い込んだんでしょうね。

話題に出た変なホテルの方には結局行けなかったね。

代わりにたどり着いたのは……。

海水が足にふれる。思ったよりもぬるい。

さあ、海の弁天さんとやら、私を受け入れてください。

深呼吸をして、一歩二歩、海の中へ踏み出していくにつれ、感覚が鈍くなっていく。


最後に一度だけ、砂浜を振り返る。

次の夏も、街の子供たちと一緒にサンドアートを作りにここに来るのかなあ、

いつかは自分の子を持ち家族だけで来ることになるのかなあ。

向き直ると私の下半身がもう海に潜り尾ひれになっていた。憧れの人魚姫だよ。

結ばれなかった者の最後……。

でも私は光は目指さない。ひたすら海の底へ、底へ沈んでいく。

腰から上へうろこが生えていく。目がもう何も見なくてもよくなる。

私の想いは深海魚、あなたの海の底を這うように漂い続ける。

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