騒乱の控室

 時は流れ、結婚式当日。

 一人の新郎と二人の新婦は、塵一つない純白に包まれていた。特にウエディングドレスはいくつも試し、時間をかけて選び抜いた逸品で、既に皆のスマホに何十枚もの思い出を残している。

 着付けや化粧を手伝うスタッフは既に仕事を終え、今は三人が思い思いに互いを誉めあい、称えあい、苦楽を懐かしみあっていた。


「久しぶりね、雅ちゃん」

「げ」


 そんな家族の団欒の時間に、颯爽と忍び込む影がひとつあった。

 列席者の一人でもある、煌びやかなパープルのドレスを優雅に着こなすその女性、音羽雅の母その人であった。


「急に連絡寄越したと思ったら、またとんでもないこと言い出すんだもの。ほんと、昔からワガママな子なんだから」

「うっせーなババア。来れないかもしれないくらい忙しいんじゃなかった? 丁寧に化粧してきやがって」

「そんな口の利き方ないでしょう? うふふっ、アンタやっぱりアタシの娘ね」


 ころころと快活に笑う彼女と共にパープルドレスが舞う。その着こなしはさながら歴戦の勇士の佇まいで、今日が初お披露目となる新婦二人の初々しさを引き立てている。


「綺麗。似合ってるわよ、雅ちゃん」

「ふん。ったりめーだろ。アンタの娘だぞ」

「あらあらまあ。ふふっ、私ももう一回着てみようかしら?」

「知らん。勝手にしやがれっての」


 親子水入らずの会話をほどほどに終えて、今度は新婦に向き直った。


「突然お邪魔してごめんなさいね。昔っから無茶なことばっかりだけど、悪い子じゃないの。よろしくね」

「はい。責任もって幸せにします」

「ふうん……いい男ね。アタシも混ぜてもらおうかしら?」

「ざけんな、早く帰れって! どーせ男漁りに来てんだろ? そのためにわざわざ化粧してきてんだろ?」

「結婚式は出会いの場よ? 今日イチかわいい女の子は雅ちゃんだけどね」

「ヒロインならもう一人いるんだけど?」


 自然な流れで、今度はもう一人の新婦へと。


「ごめんなさいね。こればっかりは親心だから。あなたもとってもかわいいわ。私たちに負けないくらいね」

「自分入れてんじゃねえよババア」

「初めまして! 朝霧美晴です! みんなで幸せになります!」

「あら素敵。美晴ちゃんね。覚えたわ。アタシ、人の名前を覚えるのは、夜伽の次に得意なの」

「早よ帰れババアっ!!」

「んもう、あわてんぼうなんだから。そうねえ、そろそろお暇するわ。忘れ物を届けに来たことになってるから、長居はね。それじゃあねー」


 彼女は娘に投げキッスを飛ばすと、自前のドレスと踊りながら、嵐のような勢いのまま優雅に華々しく去っていった。


「あーもう! すんません、大事な時に恥ずかしいとこ見せちゃって」

「ユーモラスなひとだね、雅ちゃんのお母さんって」

「雅のお母さんって感じだな」

「誉め言葉ってことにしときます」


 それなりの緊張感を持って会場入りしたはずだったが、予期せぬアクシデントによってすっかりほぐれていた。それは音羽雅だけでなく、朝霧美晴も霧島涼介も同様であった。ここまでが母の策略だったか否か、もはや定かではない。

 身内の褒め殺しにあった音羽雅は、改めて新婦として新郎に向き合った。


「似合って……ますか?」

「ああ。とても」

「似合ってる似合ってる。自信持っていいよ!」

「……うす」


 いくばくかの照れと大部分を占める嬉しさが前に出た、素晴らしき笑顔である。


「その、涼介」

「どうした?」

「キス……して」

「もちろんだ」


 三人だけのプライベートな空間。なにも遠慮することはない。

 細やかなメイクが施された愛しい人の顔が互いの最も近くにある、この瞬間だけの特別な口づけ。溢れんばかりの愛情を酌み交わす。


「あ……ふあ……やばい、これ」


 あまりにもその時間が尊く、素晴らしいものだから、音羽雅の瞳はすぐに涙でいっぱいになった。


「ごめっ……ごめん……なさい……お色直し、しなきゃ……」


 こんな瞬間が訪れるなんて、あの温泉の日までは一つも思いもしなかった。

 不思議な運命が奇妙な形で絡まりあって、こんな形で実を結ぶことになるなんて。


「安心しろ。時間、長めに取ってある」

「ふえ……?」

「こんなこともあろうかと、ってやつ!」


 だから、この展開は二人にとって、必然でもあった。

 本来の時間を少しばかりずらして伝えておくことで、音羽雅の心も化粧もばっちりケアする余裕を持たせていた。誰よりも音羽雅を理解しているからこその展開である。


「なんすか、それ……ちょっとムカつく……涼介、おかわり」

「欲張りめ」

「どの口が」

「人のこと言えないよねえ、私たち全員!」


 自他共に認める強欲を貫き通したからこその今だ。今更誰に言われるまでもなく、誰よりも三人が理解していた。

 耽美な時間はもう少しだけ続いた。音羽雅とも、朝霧美晴とも、幾度となく言葉を重ね、唇を重ねた。ここまで積み重ねた時間を、思いを、確かめ合うように。

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