第一章 色欲の物語

色欲の悪魔


 森の中で刃の交わる音が響き渡る。それはアイナとタカハシが繰り広げている戦闘の音だった。


 戦いはアイナにとって絶望的な状況になっている。家族を失ってからの数年間、ずっとルシフェルの元で稽古を続けてきた彼女。


 剣の才能はなく魔族の中でも戦闘に向いてないとされていた彼女だが、それでもアイナは諦めることはなかった。


 ルシフェルに何度追い返されようと稽古を付けてくれるよう頼み、稽古も毎日欠かさずやっている。


 元々、アイナだって戦闘の類いは好きではない。なのにどうしてそこまで強くあろうとするのか……。


 そんなのは簡単……自分を救ってくれた人に恩返しをしたい。その一点の気持ちだけだった。


 「だからこそ……負けられない!」


 自分の小さな身体を利用して様々な角度から相手の攻撃を試みる。


 アイナの動きはまさに風のように速く、それこそ相手がギルド兵であるならば勝負は彼女の一方的な勝利となっていただろう。


 しかし相手は転生者。スキルも身体能力も常人とは比べ物にならないほど上をいっている。


 「ははっ! 頑張るねぇ……。いいよ、そういう頑張ってる子供を泣かせるの凄い好きだからさ! 頑張っても何もない意味がないってことを教えてあげなくちゃね!」


 タカハシは高揚した表情でさも楽しげに笑う。本当はアイナだって分かっている。


 おそらくアイナが全力で戦い。タカハシがどれだけ隙を見せようと万に一つも勝機はないということを。


 今こうして互角に戦えているのはタカハシが遊び感覚でやっているからに過ぎない。


 だから無駄だと諦めたくなる気持ちもある……でも、もしここで自分が逃げてしまったらルシフェルは転生者二人を相手に戦わなければならない。


 だからこそ諦めるわけにはいかない。アイナは男の隙を見つけると懐に入りナイフを振るう。


 「おっと危ないなぁ!」


 「くっ……」


 それはあと数センチの差。数センチこの刃が長ければ彼の腹を斬っていたかもしれない。


 「ふぅ……危なかったねぇ。もう少しで刺さるところだった。油断大敵っと!」


 瞬間、彼の姿が消え一瞬の後にアイナの背後へと移動する。これが彼のスキルによる能力なのは容易に想像がついた。


 しかしスキルによる能力だと分かったところでアイナに対抗できる手段はない。


 実際アイナは夢野のスキルによって何度も翻弄され、殴られ蹴られている。


 本当だったら斬って一瞬で終わらせることも出来るだろうに……タカハシは加虐心から決してすぐに留目を刺そうとはしないのだ。


 「ぐあっ……!」


 蹴り飛ばされて地面を転がるアイナ。もう身体は傷だらけで動きも怪我でぎこちなくなっている。


 そんな彼女の姿にタカハシは少年のようにはしゃぎ大笑いをする。


 「ははは! ねぇ……そろそろ降参しない? どうしてもって言うなら命だけは助けてやるよ?」


 「誰が……!」


 タカハシの甘い誘いを一切の迷い無く返すアイナ。てっきり泣いて命乞いをすると思っていただけに表情が歪む。


 タカハシは人が絶望し諦める姿が好きだった。ゆえにこうして命乞いをするチャンスを与えるのだ。


 そしてプライドも信念も何もかもかなぐり捨てた相手のご機嫌取りをしばらく眺めた後、躊躇なく殺す。


 それが彼の今までやってきた虐待行動だった。だがアイナはまだ諦めてはない。


 こんなにも絶望的な状況であってもその瞳から闘志が消えることはなかったのだ。


 それがタカハシからすれば不快なことだった。


 「ふーん。せっかく命乞いのチャンスを与えたのに残念。だったら死ねよ!!」


 「ぐっ……がっ…………ぁぁ!」


 彼はボロボロになったアイナを掴み上げると首を一気に締め上げる。


 アイナは何度ももがき続けるが二人の力量差は歴然、いくら彼女が抵抗しようと締める手は緩めない。


 「いいねぇ! その表情! もっと苦しめ! もっと嘆け! もっともっと!」


 タカハシは手に持っていたナイフを取り出すと一気にアイナの肩に突き立てた。


 「ぎあぁあぁああ!」


 「最高だよ! 次はどこを刺しちゃおっかな足とか良いんじゃない……それとも目か! 目にしようか!」


 タカハシはアイナの悲鳴を聞いて更に高揚したのか今度は彼女の目をくり貫こうとする。


 ナイフがじわりじわりとアイナの目に近づき先端が触れようとしたその時だった。


 「ぐわっ!」


 いきなり金髪の男が遠くへと吹き飛ばされる。それは明らかに悪魔による魔法攻撃。


 「魔王様……?」


 「へぇ……ルーシーのこと知ってるんだぁ。だけど残念、私はルーシーではないよ」


 そこにいたのは見知らぬ少女。雪のような透き通った白い髪に血のような赤い瞳をした可憐な女の子だった。


 「私の名前はアスモデウス。可弱い女の子の味方さ」


 「なぁーにが可愛い女の子の味方だ。来るのがおせーよ!」


 「魔王様!」


 「すまんな。遅れた!」


 「い、いえ……そんな……むしろ来てくださって…………」


 泣きじゃくるアイナを宥めながらルシフェルはタカハシの方を見やる。一気に形勢が逆転した今、夢野に勝ち目はない。


 しかしそんな正常な判断が出来ないほどに夢野は逆行していた。だからルシフェルたちに向かって攻撃を挑もうとしたその矢先。


 「タカハシくん……撤退だ。魔王クラスの敵が二人も現れた以上戦闘の継続は難しい。私もそれなりにダメージを受けてしまったからな」


 ボロボロになったクレイドがタカハシを止める。さすがにそこで冷静さを取り戻したのか彼はスキルを発動するとそのまま姿を消したのだった。

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