須賀涼太(警察官)【5】

 松尾は目顔で「あとは頼む」と告げると、階段をのぼって自動ドアを抜け、駅ビルのなかへと駆けこもうとした。そのとき、開いた入口から人の群れがかたまりとなって飛び出してきて、松尾を突き飛ばした。体勢を崩して横ざまに倒れる松尾のわきを、たくさんの男女――二十人、三十人、まだまだ続く――が必死の形相で走り抜けてゆく。手を貸しに走ろうか迷う須賀のまえで、松尾は立ちあがり、険しい顔をいっそう厳しくこわばらせて、人の流れに逆らって駅ビルのなかへと消えていった。

 須賀は自分を取りまく人波を振りかえる。居並ぶ顔は見渡しただけでも数十人を超え、しかも増えつつあった。

 いつものルーチンワークから突然放りこまれたこの怒濤の展開をまえに、須賀の頭の一部は痺れたままだ。ろくな思考も働かせることができないが、それでもポールやバリケードテープも持たずにどうやってこれだけの人間を制御したらいいのか、不安に思うことくらいはできた。彼にとって幸いなことには、さきほど駅ビルから逃げ出した人々を目にした野次馬の群れに動揺が広がっており、うかつに近づこうとするものがひとりもいないことだった。

「近づかないでください、あぶないので近づかないでください」と、様子をうかがうばかりの人々に向けて繰り返しながら、誰かが援護に来てくれるか、無線がなにか別の指示を与えてくれるかするのを祈るような気持ちで待った。

 いつどのようなかたちで壊れるか知れない不安定な均衡は、ひとりの男がふらふらと歩み寄ってくることで、ほころびを見せはじめた。最初、須賀は男に気づかなかった。気兼ねなく話しかけてくる老婦人に気をとられていたのだ。あらあら、事故かいな? そうですね、あまり近づかないようにお願いしますね。おまわりさんもたいへんねえ、お仕事きばいやんせな。ええ、ああ、はい。まだ若かね、おいくつ? あの、すみません、あぶないんで、ちょっと下がっていただけませんか。

 背後でガラスを踏みしめる音がして、須賀は振りかえった。背の高い男――須賀と同年代だろうか――が、壊れた大窓から店のなかに歩み入ろうとしている。須賀はあわてて大声をあげた。

「ちょっと! 入らないで!」

 男は肩ごしに振り向いた。顔の筋肉はこわばり、上唇が威嚇するようにめくれあがっている。男は須賀を無視しかけたが、考えなおして足を止め、嚙みしめた歯のあいだから震える声をあげた。

「中に彼女がいるんスよ!」

 そうして店のなかに入られてしまうと、もう須賀にできることは何もなかった。彼を追いかけて連れ戻すべきだろうか――そう迷うあいだにも、野次馬はどんどん数を増しつづけている。彼らが事故現場に殺到するようなことはないとはいえ、数十人の人間はそこにいるだけで大きな波のようで、ひとたび動きだせば、須賀などに制御できそうなものではなかった。わずか二年目の新人警官ひとりよりも、「KEEP OUT」と書かれた黄色と黒のテープのほうがどれほど役に立つだろう? ここから交番までは走って二十秒もかからない。バリケードテープを取りに戻るべきだろうか?

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