萬福博吉(農業)【1】

               鹿児島県鹿児島市

               4月28日(木) 


 いったいどれだけ生きれば、充分生きたなどと言えるのだろう?

 萬福博吉は昨日、七十五歳の誕生日を迎えた。身体の衰えはもちろんあったし、年々その自覚は深まるばかりだった。痛めた腰のせいで階段を昇ることができなくなったのはいつだっただろうか。髪の毛の最後の一本がわびしく枕の上に抜け落ちていた見たのはどのくらいまえだろうか。口のまわりの皮膚は重力にあらがえず、脇や腹のたるみは見るに耐えないほどだ。腰と膝は痛めて久しい。老眼鏡が手放せない。

 若いころ――自分の“老後”がまだフィクションに思えたころ――は、このぐらいの歳になると、人生の総決算を考えるべきなのだろうと思っていた。自分が生きてきた人生を振り返り、はっきりと迫ってきた最期に向けて、自分の心と身のまわりを整理すること。自分の人生というものに、自分なりのなんらかの意味を見出すこと。

 死を意識することはないわけではなかった。けれど七十代も半ばに達したいまですら、死は漠然とした不安の霧に包まれたままでしかなかったし、それは子供のときから変わらずそうだった。人生に決算などという切りのよい瞬間はありえず、ただ曖昧な不安が心にとぐろを巻いたままだということ――そのままで人生はひたすら続いていくのだということに、彼は漠然と気づきはじめていた。

「孫が生まれたら変わりますよ」と言って笑ったのは妻だった。自分でもそうかもしれないと思った。

 娘の由実が四十を目前にして初めて授かった子ども――長くつらかっただろう不妊治療を経て、ようやく訪れてくれた命――を、博吉はじめ家族や親戚は心から喜び、その誕生を心待ちにしていた。娘夫婦がいつやってきてもいいように、布団や洋服、おもちゃや絵本、おむつやおしり拭きシートなどのベビーグッズが増えていくのを見ると、博吉は、これはひとつの区切りになるのかもしれないと思った。自分の人生における主役が自分ではなくなる瞬間。自分の老後などより、孫の将来のほうが心配になるとき。自分の役目が終わったとまでは言わないにしても、大詰めを迎えたと、もう充分に生きたと、心から満足することができるだろうか?

 けれど、いまのところ、思ったほど変わることもないようだった。

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