崎山優城(高校生)【10】

 しかし、もうすぐで二階に達するというところで、上から聞こえてきたどよめきと叫びが崎山の顔を上げさせた。

「こっちにもいる!」

 二階の客がわっと押し寄せてきた。降りはもちろん、崎山のいる昇りエスカレーターにも、人の群れが我先にと流れこむ。一気に駆け降りようとする十数人の勢いに、崎山たちの身体が押し戻された。だが下からの圧力も弱まることはない。既に誰もが息苦しく密着して動くことができずにいた。

 一階で誰かの悲鳴が聞こえ、それがさらに人々の動揺を煽る。あと一、二メートルで二階に辿り着けるというのに、崎山は逃れようもなく挟まれ、圧迫された胸が命の危険を感じるほどに苦しくなりはじめた。ほとんど半狂乱で、この混雑から脱け出そうと全身をよじる。エスカレーターの手すりに右腕をかけ、悲鳴をあげている女子中学生の頭を左手で鷲摑みにして支えにすると、思いきり上体を引きあげた。窒息寸前だった呼吸が解放される。

 なんとか一息はつけたものの、エスカレーターの上は混雑の度を増すばかりで、しかも、上からも下からもまだ無理やり押し入ろうとしている。このままじゃまずい。崎山は焦ってまわりを見まわした。隣を流れる降りエスカレーターが目に入る。こちらも人は多いが、昇り側よりはましだ。跳び移って駆けあがろう。二階にも何かが――ゾンビが――いるとかなんとか聞こえてきたが、知り合いのゾンビがいる一階よりはよほどましだ。

 反対側のエスカレーターに跳び移って駆けあがり、まずはどこかに隠れてやりすごすのだ。事態が――そして自分自身が――すこし落ち着いたら、武器や食料を調達する。クッキングスクールには刃物があるだろうし、家具店や楽器店にも鈍器になりそうなものがあるはず。生存者を集めて小さなグループをつくることもできるだろう。その指導者になるのもいい。俺がみんなを助けるのだ。何者かになるのだ。

 だがとにかく、いまは生きねば。

 崎山はタイミングをはかり、周囲の怒声を無視してもう一度身体を引きあげる。「いたい! やめて!」と泣き叫ぶ女子中学生の頭を靴底で踏みつけて勢いをつけ、思いきりジャンプした。

 右足はうまく手すりを越える。

 だが、左足がエスカレーターの手すりに接触した。自動で流れるベルトに崎山の身体がぐんっと引っぱられた。

 空中でバランスを崩した崎山の胸の芯が、一瞬で冷えきる。

「あっ、ちょ」

 言葉はそれしか出なかった。反射的に何かを摑もうと両腕を振りまわしたが、両掌は何もつかめず、崎山は肩からエスカレーターのステップに落下した。左半身が激痛で痺れる。そのままごろごろと転げ落ちていく。

 両手で頭をかばうことすら思いつけなかった。

 こんなかたちで死ぬわけがないこんなときにやっと俺の真価が問われるときにこんな、なんの意味もなく……

 一階の床に後頭部を叩きつけたとき、崎山の頭で渦巻いていたのはそんな思いだけだった。

 自分の頸の骨が折れる音は聞こえなかった。




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 崎山優城(17)

  日本における最初期のアウトブレイク(九州南部)において、混乱のなか発生した事故で死亡

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