番外編「二年前」

I.ヒューストン・ブルース

I - 01

 指先の感覚を確かめるように、目の前の男は指と指を擦り合わせた。


 やたらと髪が長い男だった。


 ワンボックスの車内に、肌寒いほどに冷房が効いている。スモークが張られた窓の外には夏の闇が広がっていて、羽虫が群がる街灯以外ろくに見えない。時折、車内に置かれた缶の中でガソリンが粘ついた音を立てる。


 やたらと髪が長い男はやたらとよく喋り、車内に声がやたらとよく響いた。


 ええ、なんだよ、中学生かよ、中学生が人の家に火を点ける時代が来たんだな、そりゃすげえわ、でも、もう一五だろ、捕まったら刑事裁判だぜ、いくら少年だろうと日本は殺しと放火には厳しいからな、捕まるなよ、まあ、捕まらねえけどな、それにしたって、なぁ、なんで殺しと放火が犯罪のツートップなのかね、よく言うだろ、悪いことは全部やってきた、やってないのは殺しと放火ぐらいさ、ってな、変だよな、やっぱり人間にとって一番大事なのはおうちと命だと思われてんのかね、なんか、価値観の押し付けって感じでムカつくよな、価値観は人それぞれだろ、それに、最初に殺しや放火から始めて犯罪コンプリートするやつだっているかもしれねえのにな、本当にアホらしいよな、って、あ、聞き忘れてたけど、お前、前科とかあったりすんのか、万引きとか非行とか、まあ、なんでもいいんだけど、そういうやつ、示談まで含めてな、親の結婚離婚で名字が変わったりしてるんなら、その変わる前の分も含めて言えよ、ええ、名前、何だったっけ


 際限なく続きそうだった言葉にほんの僅かな切れ目ができたので、俺は返す。

 姓。「岸田」

 名、を名乗る必要はないだろう、続ける。「別に前科なんかありませんよ。これが初です、放火から始めます。まあ、犯罪をコンプリートするかはわかりませんが」


 中学生一人、名前も歳も職業もわからない男二人を載せた車が走り続けている。

 何か、視界をクリアにしておく必要性を感じて、眼鏡を外してシャツの裾で傷の多いレンズを拭う。


「やることっていうのは、家の中に入って火を点けるだけですか」

「そ。それだけだ」

「鍵は、どうするんですか」

「俺が開ける」


 擦り合わせていた指を止め、男がポケットから何かを取り出した。合皮のような黒い革でできていて、長財布よりは短い何か。男がそれを開き、中に細長い銀色の器具が並んでいるのを見せる。ピッキングの器具だと、直感的にわかった。


 男はケースをポケットに仕舞い、また繰り返し、指と指を擦り合わせた。


 親指と人差し指、親指と中指。指と指を擦り合わせては、男は擦り合わせる指を替える。親指と薬指。時折、パチン、と二本の指でスナップを鳴らす。目の周りに濃い隈があり年齢の読めないドライバーは一言も口を利かずに、車を転がし続けている。


 火点け屋。


 車に乗る前、男は仕事の名前についてそう答えた。

 言い換えれば、放火代行業者。

 最低で最悪の仕事で、俺が乗っているのはそんな業者の送迎車だ。

 拉致されたわけでもなければ、誘拐されたわけでもない。

 今日は、俺の初出勤日だった。

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