決着
暗闇。梁からぶら下がったシーツとそれに引っかかっている物体がまだゆらゆらと揺れている。それはそれは不気味だったが、私はそんな部屋の中、ベッドの横で小さくなって息を殺していた。時刻は丑三つ時を過ぎた頃。腕を噛んで眠気を誤魔化しながらその時を待った。
窓から音がしたのはその時だった。何度か窓を叩く音が聞こえ、鍵がかかっていないのに気付いたのか普通に窓を開けてそいつは入ってきた。窓の下にあった机に立ち、梁からぶら下がった物体を見てにやにやと笑う。そして机から降りてその物体へと手を伸ばし――
「動くな!!」
その瞬間、私はベッドの陰から飛び出し部屋の明かりをつけた。視界が一瞬白く飛んで、十秒くらいしてそいつの姿が目に浮かんできた。私たちの担任であり自殺部の顧問、他でもない、石井だ。
「あれ? おかしいなあ? 綿貫明日香さん。生きてるねえ?」
石井は私とシーツにぶら下がった物体を交互に見て明らかに苛立った表情をした。シーツからぶら下がっているのは私のパジャマを着せた抱き枕だ。さっき死ぬことを匂わせるようなことを呟いたのも全てはこいつをおびき出すためだ。
「ふ、ふふふ、ふふふふふ、盗聴器のことバレてるなあとは思ってたよ。ふふふ、だって綿貫さん、ガサゴソ、音ぶふっ、音出しちゃってるんだもんふふふふふ」
何が可笑しいのか、石井は身体をくねらせて口角を不自然に釣り上げて笑った。いつもの教卓に立っている石井とは全くの別物。これがこいつの本性ってわけね……。
「こんなことをして綿貫さん綿貫サァン、一体何をするつもりだったのかなぁあ?」
石井はそう言いながら笑顔でこちらに近付いてくる。……いや、今度は流石に私でも分かった。この笑顔は怒りだ。頬がヒクついて小刻みに震えている。にげるよういよいよ逃げる準備をしなきゃまずいんじゃ――
「そこまでです先生」
「……っ? 君ハァ……」
そろそろ危ないと思っていたところにタイミングよく永沼が入ってきて石井を制した。夜が更けてからずっと部屋の前に待機していてもらったのだ。
「観念しろ、石井」
「はいはい、あたしもいまーす」
永沼の隣には福原もいる。杉田は念のため月子の方を警戒しているので、今ここにいるのは私含め三人ということになる。
「へぇ、自殺するっていうのに、何トモダチごっこなんかしちゃってるの? 死ぬのに」
「残念ながら僕も福原も綿貫も、もう死ぬつもりはない。ついでに杉田も津田もな」
「あんたの口車に乗るバカなんか誰もいないってことだよー。べぇーだ」
「……気に入らない……気に入らない気に入らない気に入らない」
永沼たちの宣言に、石井はより一層顔を歪めていく。それはもう笑っているというより般若とかそういうものに近いような感じだった。
「既に警察は呼んである。今ここにいる時点で不法侵入だからな。今から逃げることもできない」
「あっははー、残念だけどここまで見たいだね、『大量殺人犯』さん」
「く、くくく……それで、それで僕を、僕を追い詰めた気になってるのか? 馬鹿だなあ、僕は大量殺人鬼なんだ!! どうせ捕まるならお前らを皆殺しにするに決まってるだろうがああ!!!!」
「っ!!」
石井が懐から折り畳みナイフを取り出したので、私は一瞬怯んでしまった。でも目の前にいるこのカップルはと言うとどちらも微動だにせずに石井をじっと睨んでいた。その理由は事前に知らされてはいたけど、それでもこうして全く動じないというのは二人とも流石だと思う。
「やれるもんならやってみろよ」
「……何?」
「できないだろう、お前には」
永沼の射貫くような目線に石井も冷や汗を垂らす。
「は、はは、何を言ってるんだ。僕は大量殺人犯なんだぞ。殺し方も逃げ方も知り尽くしてる。お前なんかすぐにでも殺して――」
「下手な芝居はやめたらどうだ。お前は殺人犯でもなんでもない」
「そんなことない!! 俺はお前を殺せるんだ!!」
石井は声ばかり張り上げる一方で、全くこちらに近付いてこようとはしなかった。届かない範囲で、ブンブンナイフを振り回しているだけだ。
「まず一つに、なぜ殺人鬼ともあろう人間が『他人の自殺をほう助する』なんてまどろっこしいことをするのかという点。わざわざ連続で人を殺しているのだから、犯人は殺人自体に興味があるか性的な目的で誘拐した後証拠隠滅のために殺したかのどちらかと見るのが普通だ。そう仮定した場合に、ターゲットを自殺させたとしてもどちらの目的も達成することができないわけだ」
「僕はねえ! 人が死ぬ瞬間が見たいんだよ!! 人が死ぬ瞬間は美しいから!!!」
「ふーん? だったらなんでアスカたちが勝手に死のうとしても止めに来なかったわけ?」
「……!」
「ツキコも一回病院の屋上から飛び降りようとしたらしいし。盗聴器あるなら状況知ってたわけでしょ? そこまでして死ぬ瞬間見たいならすぐにでも止めようとするでしょ」
「それは時間がなくて――」
「時間がなくて事前に止められなかっただけならば、なぜおまえは今ここにいる。既に死んでしまった綿貫しかいないはずのこの部屋に」
永沼のその一言で、もう石井は言い返せなくなっていた。ナイフを振っていた腕も、もうだらしなくぶら下がっている感じだった。
「お前は恐らく『ただの死体好き』、そんなとこだろう。殺人鬼でもなんでもないから人を殺すのが怖い――いや、それよりは前科がつく可能性を嫌ったのかもしれないな。それで俺たちを自殺へと誘導し、死んだところをこうして見に来る算段だった」
「……」
「今もそうだ。殺してしまえば一生塀の向こうで暮らすことになりかねない。殺人犯でもなんでもないからこそ、お前は今俺たちを殺せないんだ」
石井はナイフを取り落とし、恨めしそうに爪で床をガリガリとひっかいた。爪が割れ、血が滲んでも石井はずっと床をひっかき続けていた。永沼が話し終わったタイミングでちょうど玄関のベルが鳴った。
これが「自殺部」という奇怪な部活動の顛末だ。蓋を開けてみればただの異常性癖の教師の暴走だったが、それは私たち五人にとって良くも悪くも強烈な出来事となった。石井は懲戒免職になり、完全に地域から見放されて他所へ引っ越していったと聞く。彼が今どこで何をしているかは知らないが、これからの人生で彼のような人と出会わないことを祈るばかりである。
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