それぞれの苦悩
部活の後、昨日と同じように津田さんと帰るため、津田さんが履き替えるのを扉の前で待っていた。誰かと一緒に帰るというのは、なんとなく高校に入ったらできるだろう、とか思っていたけれど、実際はものすごい奇跡なんじゃなかろうか。もし自殺部に入っていなければ一人で帰るかもしくは――
「よう」
――もしくは藤井に引きずられて帰るか。藤井はそのかかとの潰れたくつをベタベタと鳴らして近付いてくる。
「お前、部活なんかやってたんだな。てっきりさっさと家に帰ってダラダラしてんだと思ってたぜ」
藤井はにやにやしてそう言ってくる。この笑みはからかいなのか、こいつなりに親しみを込めてるのかは定かではない。
「まあいい、どうせ暇なんだろ。面貸せよ」
藤井はそうやって右手を俺の肩にかける。この状態になると何も言い返せなくなるような威圧感がある。
しかし、今は断らなければならない理由がある。津田さんと一緒に帰らなくてはならない。まあ、津田さん自身が一緒に帰りたがっているかは知らないが、そういうことになっているのだから。
断りたくても、今まで断ろうと思ったことさえなかったものだから、うまく言葉に変換できない。素直に「はい」と答えない俺に対し、藤井は露骨に顔をしかめた。
「なんだ?嫌だってのか?」
久しぶりに機嫌の悪い藤井を見た気がする。
「いや、なんていうか……」
「んだよ。久しぶりに殴られててえか?」
藤井がさらに凄んでくる。視界がほぼ藤井の顔で埋まったこの調子じゃどうにも断るのが難しそうだ……。
――と、その視界の端の方に、くつを履き替え終わり、玄関から出てきた津田さんが映った。
そこで気付いた。もし俺と津田さんがそういう関係だとすれば、こいつらは津田さんをもいじめるんじゃなかろうか――それは絶対に許されない。
津田さんに目線を送って、「先に一人で帰れ」のつもりで顎を動かした。……しかし、津田さんは帰るどころか、そのまま俺と藤井の方へ近寄ってきてしまったのだ。……厄介なことになった。
藤井もその存在に気付いたらしく、俺の肩を痛いくらい掴みながら、首だけ津田さんの方を向く。
「あん?お前誰だっけ。どっか行けよ」
藤井の気迫に津田さんは後ずさる。……そう、それでいい。そのまま帰ってくれれば巻き込まれずに済む――。
そんな俺の思いと裏腹に、津田さんは何か決意した表情で、俯き気味だった顔を上げる。
「あの!」
――その声は確かに津田さんの声だった。普通の人の普通の声より小さいくらいだが、いつもの津田さんの声に比べれば、津田さんがいかに頑張って声を出したのかが分かる。
「……す……は、い……に……」
口の動きを見る限り「進君と一緒に」といったようなことを喋っているようなのだが、残念ながら音としては聞き取れなかった。
「は?何言ってるか聞こえねえよ」
藤井が肩眉を吊り上げてさらに津田さんを威嚇する。これ以上津田さんに負担をかけてはまずい。
せっかく津田さんが勇気を出して声を上げてくれたんだ。俺だって勇気を出さなければ申し訳が立たない。
「藤井くん」
「あ?」
完全にキレモードに入った藤井の顔がこちらを向く。殴られるのは嫌だが津田さんがやられるよりかはマシだ。
「俺、今日は津田さんと帰るんです。だから、今日は一緒に行けません」
「はあ?」
藤井は呆けた声を出すと俺と津田さんの顔を交互に見た。
「何お前ら。付き合ってんの?」
ドストレートな質問に顔がこわばる。どうこたえるべきか考えあぐねていたが、津田さんはなんの躊躇いもなく首を縦に振ってくれた。
「へー……はーん……そうか。あっそ、そういうことなら仕方ねーや。お前と『遊ぶ』のはまた今度にしようじゃん?」
藤井が手を放してそう言うので、俺は完全に面食らった。何を考えているのかは知らないが、申し出を断って暴力の一つもないなど、これまでの藤井からしたら考えられない。
「じゃあな。邪魔して悪かった」
「え……あ、うん」
藤井はそう言って片手を軽く上げ、片手をズボンのポケットに突っ込んで、校門をくぐって行ってしまった。その際、口角が上がっていたような気がしたが、今は深く考えないようにしておこう。
それはそうと、俺はすぐに津田さんのもとへ駆け寄った。津田さんは俺の顔をまっすぐに見てはにかんでいる。
「さっきはありがとう」
俺がそう言うと、津田さんは首を横に振る。気にしなくてもいい、ということなのだろう。
「……じゃあ、いこっか」
俺が歩き出すと、津田さんはこくんと小さく頷いて、横に並んで歩き始めた。少し、津田さんの肩が近くなったような気がした。
※ ※ ※
進くんが藤井くんに怒鳴られてたからびっくりしちゃったけど、なんとか今日も一緒に帰れた。昨日と同じように、進くんが何か話して、私が首を振るだけだったけど。
昨日と同じ場所で進くんと別れておうちに帰る。帰ったら急いでいつもみたいに準備しなきゃ。
お風呂、炊飯器、あとお洗濯物もとりこんでおかないと。その次はお料理を――と冷蔵庫から材料を取り出している時に玄関が開く音がした。
「おかえりなさい」
玄関に言って頭を下げる。お父さんはその横を何も言わずに通り過ぎてリビングに入った。
帰ってきちゃったし、早くご飯つくらないと。小走りでお台所に戻って、ささっと作れそうなレトルトの麻婆茄子の素を取り出す。
もちろん数分でできるから、お漬物とお米と一緒に食卓に出した。それを、お父さんはまた何も言わずに食べ始める。「美味しかった」とかって言ってもらいたいけど、たぶんお父さんじゃ絶対言ってくれないな。
食べ終わったら自分のお皿をシンクに持っていく。多分それがお父さんが自分でやってくれる唯一の家事だと思う。
シンクに食器を置くと、壁際に立っていた私の方へ近づいてきて――頭をグーで殴った。手の甲の突き出たところが脳天に響いて、じんじんとした脈打つ痛みに襲われる。
「夕飯が遅れた罰だ。これだけで勘弁してやるんだから感謝しろ」
お父さんは「ふんっ」と鼻を鳴らしてお風呂場の方に行ってしまった。お父さんが見えなくなってから、痛む頭を押さえてしゃがみこんだ。
痛い。
でも痛いからってじっとしてるわけにはいかない。お父さんの食器を洗って、洗濯物を洗わなきゃ。遅れればまた怒られちゃう。
痛みを我慢して、私はお皿を洗って、食洗器を稼働させて、テーブルをきれいに拭いた。
――お手洗い行きたくなっちゃった。お父さんに見られたらまた何か言われるかもしれないし、お父さんがお風呂入ってる間に行っちゃおう……。
そう思ってお手洗いのドアを開けたのと背後の脱衣所のドアが開くのがほぼ同時だった。お手洗いは脱衣所のドアの真向かいにあるから。
次の瞬間、腰に激痛が走って、顎を便座にぶつけていた。多分、蹴っ飛ばされたみたい。
「鏡のしたにカビが生えてるぞ。どうしてくれるんだ。早く取り除け。今すぐにだ」
お父さんは倒れこむ私を見てそれだけしか言わずに、スタスタと歩いて行ってしまった。息ができない。苦しい。背骨が衝撃を受けると一時的に息ができなくなる。今までの経験からそう分かっていた。
息ができるようになっても、顎と背中の痛みは消えない。でも、早く起き上がってカビを取らないと。今も近くにはいないけど監視してるんだ。
これ以上怒られたくない。その一心でよろよろと立ち上がって、お手洗いのドアを閉めてお風呂場に入った。
……ほんとだ。カビが生えてる。鏡と壁の間くらいに、横並びにカビが生えていた。すぐにたわしでこする。落ちるのはすぐに落ちるけど、落ちないのは全然落ちない。
とにかく、何度も、何度もこすった。でもやっぱり落ちないのは落ちる気配がない。でも落とさなくちゃまた怒られる。
落ちろ。落ちろ落ちろ落ちろ。
あ――と思ったときにはもう遅かった。力みすぎたからか、それとも緊張からか、おしっこは一度出始めると止まらなかった。
私はお父さんに聞こえないように静かに泣きながら、カビ取りを夜中まで続けた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます