「小説の書き方」なんて本、読まなくていいよ

 私たちがよく会っているフードコートは、巨大なショッピングモールの一角にあって、同じフロアには大きな本屋さんが入っています。

 ある日、私はあの人と一緒にその本屋さんの中を歩いていました。

 すると、特設コーナーに「君にも書ける!簡単な小説の書き方!」とか「~初心者から上級者まで~ 誰でもなれる小説家」とか「正しい小説作法」といった本が並んでいるのが目に入ってきました。

「私もああいうの読んだ方がいいのかしら?何冊か買ってみようかな?」と提案すると、あっさりとあの人に却下されました。

「ああ、そういうのは読まなくてもいいから」

「読まなくていいの?」

「むしろ、読まない方がいい。どうしても読みたいんだったら、ある程度書けるようになって自分のスタイルを確立してからの方がいい」

「どうしてですか?」

「混乱するからだよ」

「混乱?」

「そう、混乱。世の中には様々な『小説の書き方』やら『執筆の基本』やら『小説の作法』といった本が出ている。そうして、そこに書かれていることは全て事実であり真実であり同時に嘘でもある」

「正しいのに嘘なんですか?」

「そう」

「どういうこと?」

「前にも言ったと思うけど、小説ってのはそれぞれの人に合った正しいやり方というものがあるんだ。それぞれの人のそれぞれの時期に合ったやり方がね。それを間違えると大変なことになる」

「そいういえば言ってましたね、そんなこと」

「だから、そんな本は読まない方がいい。混乱するからね。君には君に合ったやり方というものがある。それも、今の君に合ったやり方がね。それを信じて書き続けた方がいい」

「なるほど」

「それよりも、別の本でも読んでいた方がいい。たとえば、他の作家の書いた小説とか」

「他の人が書いた小説ですか?」

「うん。まあ、それも影響を受け過ぎちゃうといけないから、もうちょっと後にした方がいいかもしれないけど」

「やっぱり混乱しちゃいます?」

「そうだね。頭が混乱する場合もあるし、文体が混乱する場合もある。だから、まとまった文章が書けるようになって、自分のスタイルがある程度できてから他の作家の作品を読んでいった方がいいだろうね。そうやって、ちょっとずつ他の人の影響を受けながら少しずつ自分の中に取り込んでいくんだ」

「なるほど」

「まあ、心配しなくていいよ。君ならば、今に全てを吸収できる時が来る。ありとあらゆる作家のありとあらゆる文体、作風、アイデアといったものを。でも、それには時間がかかる。ゆっくりゆっくりとでいいんだ。気長に続ければいい。その代わり、決して途中で投げ出さないこと。あきらめないことさ」

「わかりました」

「だけど、常に吸収することだけは忘れちゃいけない。小説でなくても、マンガでも映画でもノンフィクションでも。あるいは、誰かが作ったものでなくても。常に何かから学び続けるんだ」

「学び続ける?」

「そう。たとえば、そこら辺を歩いている人たちからだって何かを学べるはずなんだ」

 そう言われて、私はあの人の視線の先に目を移しました。

 すると、巨大なショッピングモールの中を無数の人々が行きかっているのが目に入りました。3人の親子連れ、おばあちゃんと孫と思われる少女、若い男女のカップル、高校生らしき女の子2人組が楽しそうに会話しながら通り過ぎていくのも見えます。

「彼らの年齢、服装、歩き方、さらにはその先にあるものまで読み解くんだ」と、あの人が言います。

「その先にあるもの?」

「そうだ。目に見えている情報なんて極々ごくごくわずかなものに過ぎない。そうではなく目に見えていないものを読み解く。むしろ、そちらの方が重要だとも言える」

「目に見えていないものですか?」

「たとえば、そこの女性は何を考えながら歩いているのだろうか?幸せなのか、不幸なのか?楽しいのか、怒っているのか?あるいは、向こうで会話している男女はどのような関係なのか?恋人同士か、兄と妹か、会社の上司と部下なのか?そういうことを想像しながら観察するんだ」

「でも、その想像が間違ってたら?」

「間違っていても構いはしないさ。重要なのはそこじゃない。重要なのは、空想するという行為そのもの。そして、いかにおもしろいアイデアを思いつけるかだ。たとえ事実と違っていようとも、それが飛び抜けたアイデアであり、おもしろい小説を書くための手助けになってくれるならば、それは正解というものさ」

「なるほど」

 おもしろい考え方をする人だな、と思いました。少なくとも、これまでの私の人生でそんな風に考える人には出会ったことがありませんでした。

 そうして、私はあの人のそんな部分に魅力を感じるのです。

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