俺が与える鉄槌

森野コウイチ

プロローグ

第一話 悪魔が与える鉄槌

 その村は長閑のどかな農村のはずだった。

 人口は五百人に満たず、ただ広い農地と百軒ほどの民家、そして風車小屋があるばかりで、特にこれといって珍しいものはない。


 しかし今、その村は異様な喧騒に包まれていた。

 村の外から百人以上の人々が訪れているのだ。

 一番近い村からでも徒歩で一日かかるにもかかわらず、だ。


 この『世界』に自動車は存在しない。鉄道もない。

 使える乗り物は馬と馬車くらいだろう。

 それも経済力のある者しか使えないが……。


 ひとりの若い女が手枷を嵌められて、村の中心にある広場に連れてこられた。

 広場には直径二十センチメートルほどの木の柱が立っている。

 女はかなり衰弱しているようだったが、それでもあらん限りの声を振り絞って叫ぶ!


「助けて! 私は魔術なんて使っていない!」


 多くの人々が集まっているが、その中で女の叫びに応える者はいない。


「ひゃっはー、悪魔の手先は火炙りだぜ!」

「ふひひひひ、魔術なんかに手を出して、馬鹿な女だぜ!」


 観衆はやや遠巻きに、ある者はあざけり、ある者は怒りを示す。

 人間はここまで残酷になれるのか?

 なれるっ――なれるのだ!

 『悪』に対してならば。自分のことが『正義』だと信じられれば。


「司祭様、お助けください!」

「あなたは自分で、魔術を使ったことを告白したでしょう?」


 司祭と呼ばれた男は冷たく言い放つ。


「それは、そう言えば助けてくれると言われたから!」

「はい、ですから救われるでしょう。ですが、一度悪魔の手に落ちてしまったあなたの焼却しなくてはなりません」

「そんな……」


 女の声は急速に力を失った。

 彼女は羊飼いによって柱に縛りつけられる。

 羊飼いは処刑の手伝いとして呼ばれているのだ。


「ううあああああああ」


 もはや、女からは嗚咽しか出ない。


「よし、火をつけろ!」


 司祭が号令を出す。


「へいっ!」


 不気味な仮面で顔を隠し松明を持った男が返事をする。その仮面は能の翁のようだ。

 仮面の男はけい――処刑執行人だ。

 執行人は女の足元にある薪に火を移そうとする。


 ――その時である。

 突如として、執行人はずぶ濡れになり、松明の火も消えた。

 大量の水が執行人の頭上から降り注いだのである。


「どうなっているんだ?」

「この女、魔術を!」


 人々はに狼狽える。

 特に司祭の驚きは凄まじものがあった。

 処刑対象の女は使だからである。


「あのさー、本当に都合よく魔術が使えるなら、そんな簡単に捕まらないんじゃないか?」


 群衆の中から場の雰囲気に合わない呑気な声が聞こえた。

 司祭はその声に反応して振り返ると、そこには異質な青年がいた。

 その青年はこの国では珍しく、濃い肌の色をしていた。顔つきも違う。

 遠い異国から来た――異邦人ように思える。


「なんだね、君は?」


 司祭は奇妙な異邦人に問う。


「俺? 俺は悪魔さ! おまえたちの、だあい好きな、な?」


 司祭は目を見開いた。


「ならば、執行人に水を被せたのは――」

「もちろん、俺さ」


 青年はニヤリと笑いつつ、そう答えた。

 司祭の顔にはみるみるうちに怒りに表情が浮かび、


「魔術師だ! 悪魔の手先だ! 捕らえろ!」


 警備の男たちが武器を構えて、異邦人に近づく。だが、青年が慌てる様子はない。


「手先? 手先もなにも俺自身が悪魔だって言ってるのに……」


 そうボヤきつつ、剣を抜いた。


「司祭様、こいつ生意気にも抵抗する気ですぜ!」

「やれ! やれ! 殺せ! 神はお赦しになる!」


 警備の男たちが青年に襲いかかる。


「うおりゃああああ」


 ――そして、青年は斬られた。


「へっ、あっけねぇ。なにが悪魔だ」


 青年を斬った男がそう呟いた、次の瞬間である。


「え? なんで……?」


 

 男を後ろから刺したのは、斬られたはずの青年だったのだ!


「こいつ、いつの間に!」


 人々が驚くのも無理がない。これは悪魔が見せる幻なのか?


「悪魔は剣術では倒せないよ」


 青年は事もなげに言う。


「えーい、狼狽えるな! 神が味方してくださる!」

「なにが神だ! おまえたちに基本的人権の何たるかを叩き込んでやる!」


 それは青年の魂の叫びだった。


「なにを言っているんだ?」


 警備の男たちは意味が理解わからず狼狽える。


「悪魔の言うことにまともな意味を求めるな!」


 司祭は叫ぶ。狼狽える人々をなんとか落ち着けようと必死だ。

 だが、一番焦っているのは他ならぬ彼自身なのだ。


 そして、女が縛られている柱の側には、いつの間にかひとりの少女がいた。

 処刑人と羊飼いはいつの間にか気を失って倒れていた。なにがあったというのだ?


「あーあ、派手にやっちゃって。お陰でこっちは楽だけどね」

「あなたは……」

「魔術師よ。あなたと同じ悪魔の手先」

「違う! 私は別に……」

「わかってるわ、冗談よ。こんな簡単に捕まって大人しく処刑される人をアタシは魔術師とは認めない」

「……」


 魔術師を名乗った少女は、縛られていた女の縄をほどいた。


「さあ、逃げなさい。あなたにその気力があるのならね」

「私はこの後どうすれば……?」

「そこまでは知らないわ。アタシは教会でも司祭でもないし、ましてや神でもない。だから道を示したりはしない」

「わかりました、とにかく必死に生きてみます」

「そう、がんばってね。これはアタシたちからの餞別」


 そう言いながら、金貨を手渡した。


「ありがとうございます! あなたたちに神のご加護がありますように」


 そう言って女は去っていった。

 女の今後はまさに神のみぞ知る。


「神のご加護ね……。さ・て・と……。アイツの方はっと」


 魔術師の少女が悪魔の青年の方を見た。

 警備の男たちは全員屍と化していた。

 血に染まった地面の上には異邦人の青年と司祭だけが立っていた。

 見物人たちの半分以上は逃げ出してたようだ。


「ひいいいい、お助け」


 司祭が懇願する。しかし、悪魔を名乗る青年は、


「さぁ、助けてもらえよ! おまえの神様に!」


 冷たくそう言い放つ。


「そんな……」


 司祭の表情は先程の女ととてもよく似ている。


「じゃあな! 闇の炎に抱かれて眠れ」


 青年が手を振ると、司祭の体から火の手が上がった!

 炎はたちまち全身を包む。


「うぎゃぁああああっ!」


 司祭はあっという間に灰となり、そのまま虚空へと舞い散った。


「あー、これは酷いわね」


 近づいてきた少女は呆れた顔で言う。


「まぁ、悪魔だからな……俺」

「そうね……」


 ――はじまりは一年以上前に遡る。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る