第37話 開拓者達(8)


 レイモンドは、一緒に大学を卒業した友人がその後働きもせず、最近北京に移住したと聞いて衝撃を受けていた。本人の口から理由を聞きたいと思っていたとき、一度帰国するので話がしたいというメールが入った。

 指定された場所は、某会員制クラブだった。

 友人の父親の名をだすと、従業員に奥の個室に通された。

 そこに友人が待っていた。別人のように何かに怯えていた。

「こんな高そうなところに呼び出されるとは、いつの間にか僕も大物になったものだな。冗談はさておき、聞かれちゃいけない話でもあるのか?」

「極秘情報だけど、秘密にする必要がなくなった。もう世界中の国家が束になって抵抗してもどうしようもない」

「君のいう極秘情報は、ネットのオカルトサイトに転がっているものだろう?」


 それから友人は、レイモンドに対して北京に移住するように強く勧めてきた。

 レイモンドからすればとんでもない話だった。

「中国語は話せるのか? 働き口はどうする? それ以前に何のメリットがある?」

「ビザなら僕の口利きでなんとかなる。今ならまだ間に合う」

「間に合うって、手遅れの反対の意味だぞ。何が手遅れになるんだ」

「生き延びられるか、死ぬかの問題なんだ」

「北京に行けば命が助かるっていうのか。ハハハ」

 あまりの馬鹿馬鹿しさにレイモンドは笑った。

「どうしても北京に行けないのならスマートスーツを着るんだ」

「理由は?」

「世界支配計画がもう間もなく最終段階に入る。生き延びられるのは、スマートスーツを着た一億人だけだ」

「この間は、百万人が百億を支配するとか言ってたくせに、言うことがころころ変わるんだな」

「僕は、スマートスーツ社の創業者のひ孫と知り合いなんだ。つい最近、彼女が極秘に教えてくれた」

「その女性本物なのか? たとえ本物だとしても、自社商品の販促にしか聞こえないな」


 友人には、レイモンドを説得できるだけの材料がなかった。

「どうせ信じてもらえないと思っていたよ。だけど君を見殺しにはできない。だから君の命を助けるために、これを君にあげるよ」

 友人は、赤い布のようなものをバッグからとりだした。

「なんだそれは? 女性用のパンティか?」

 レイモンドがそれをつまみ上げると、プロレスラーが被るような赤い覆面だった。

「そのときが来たらこれを被るんだ」

「馬鹿を言うな。警官に見つかったら職務質問される」

「常にかぶっている必要はない。これを常に持ち歩くんだ」

 レイモンドは、友人の態度に頭にきた。

「一体何のために僕を呼んだんだ。変な詐欺にひっかかってるんじゃないだろうな。今北京でどんな仕事をしているんだ?」

「都市計画に携わっている」

「北京のか」

「そうじゃなくて、全世界のさ」

「世界中にいくつ街があると思っているんだ? 数えたことないが、百万くらいありそうだ」

「それがひとつになるのさ。といっても数は今とそれほど変わらない。どこに行っても街の姿が同じという意味でのひとつだ。どこに行っても同じだから、旅行に行く価値はないけど、人々は常に旅を続ける。それが我々が作り出す新世界だ」 


 レイモンドは熱くなった。たとえ相手が狂人でも、言い返さなければいけない。

「そんな馬鹿なことあるか。熱帯地方もあれば、寒冷地もある。言葉も異なるし、国や宗教の違いは想像以上に大きいぞ」

「前に言っただろう。国家や宗教は無くなり、英語以外の言葉は使われなくなる」

「その先は秘密結社のメンバーと話してくれ。悪いけど僕は帰る」

 レイモンドは立ち上がり、部屋から出ていこうとした。

 友人は、彼に向かってマスクを投げつけた。レイモンドは上手にキャッチした。

「餞別としてもらっておくよ。本当は僕が贈らなきゃいけないけど、君からすれば、僕は新世界の被支配階層目指して旅立つのだから」

 と言って、レイモンドはその場でマスクを被った。



 それから一月後の夕方五時過ぎ。

 仕事を終え勤務先から駅に向かうレイモンドは、いきなり足を止めた。

「キャー」という悲鳴が、前方から聞こえたからだ。

 交通事故でも起こったのかと思ったが、様子がおかしい。交差点の周りに人が大勢集まって、ダンスでも踊っているようだ。フラッシュモブでも始まったのかと思っていると、一人が彼のほうに逃げてきた。彼よりも年下の少年だ。


「何が起こった?」彼が尋ねると、

「スーツ着た人達が暴れてる」

 テロか、あるいは通り魔か。

 渋滞が起きたので、隣の車道の自動運転車から黒いスーツを着た女性が、様子を見ようとドアを開けて出てきた。

 彼女が交差点のほうに歩きかけたので、レイモンドは、

「危険だから近づいちゃいけない」と警告した。

「何が起きてるの?」

 女性は彼のほうを見た。

「それがよくわ……」

 彼がそう言いかけた瞬間、彼女は体をかがめ、右足を大きく彼のほうに踏み出し、その勢いで左肘を前に伸ばして、彼のボディに打ち付けようとした。


「危ない」

 隣にいた少年が彼を突き飛ばしたので、女性の一撃を避けることができた。

 しかし、今度は少年がピンチだ。

「キャー。私じゃない。スーツが勝手に動いてる」

 彼女はそう否定したが、膝を曲げて、少年の足を蹴った。

「痛っ」

 少年は地面に転がった。

「お願い。止めて」

 いくら彼女が叫んでもスーツは攻撃を止めない。

 猛烈な勢いで少年を踏みつける。

 少年の動きは止まり、顔面は血に染まった。

「早く。救急車を呼んで!」

 殺人を犯した彼女は、そう言って彼のほうを振り向いた。するとまた彼に襲いかかった。


 彼は、車の後ろに隠れようとした。彼女は彼を狙ったが、ぎりぎり間に合わす、リアウィンドウに肘をぶつけた。ガラスが粉々に砕け散った。

「もう終わりだ」

 そう思ったとき、友人の顔が浮かび、

「そのときが来たらこれを被るんだ」という声が聞こえた。

 彼は、ポケットに入れておいた赤マスクをかぶった。

 すると、彼女は彼を追わなくなった。

「もうどうしたらいいの?」

 泣き叫ぶ彼女に彼は、「スーツを脱ぐんだ」とアドバイスしたが、

「だめ、体が勝手に歩いていく」

 と言って、彼女は歩道を歩いていく。

 彼は、少年の遺体のもとまで駆け寄ったが、無惨に破壊された顔を見ることができなかった。


 スマートフォンを取り出したが、通信できない。彼が加入しているキャリアは、スマートスーツ社の傘下にあった。

 一刻も早くこの地獄から逃げたかった。どこに逃げてよいかわからず、そのまま駅に向かう。

 虐殺は街の至る所で起きていた。

「俺はやっていない。俺じゃない」

「全部スマートスーツの責任よ。サミュエル・リーは全財産を被害者に差し出して、死んでわびなさい」

 スーツを血で染めた者達は、罪の意識に責めさいなまれながらも、自分の責任を否定していた。彼らは自らの意思とは関係なく、次の獲物を求めてゾンビのように徘徊していた。

 凶暴化したスーツは警察も阻止できないようで、顔面を破壊された警官の死体が路上に転がっていた。こうなると、軍隊の出動を期待するしかなかった。

 駅に着いたが駅舎内は死体の山で一杯だ。いくら待っても列車はやってこない。


 ヘリコプターの音が聞こえる。駅から出て上空を見上げると、低空でホバリングしている。風で飛ばされそうになりながら、彼はヘリに近づいた。ドアが開くと、機関銃を背負った兵士が何名か、ロープ伝いに地上に降りてきた。

 普通の拳銃ではスマートスーツを貫通できないが、機関銃なら大丈夫だろう。彼は期待を込めて、兵士に手を振った。

 大柄な若い兵士が彼のほうに歩み寄ると、微笑んだ。銃を手にすると、標的に狙いを定め、彼の胸部を撃ち抜いた。

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