籠女

 連続妊婦殺人事件から、一か月が経とうとしていた。梅雨が始まる。そして向こうの世界では、祭りの準備が着々と進められていた。

 夏芽は由宇奇と綺堂と共に、妖怪の世界へ来ていた。以前とは違い、元に戻った妖怪たちの姿は、何よりも美しく見えた。

「やっぱり、妖怪はこうでなきゃいけねえなあ」

 由宇奇は言った。由宇奇の右手に、あの時の古びた千羽鶴があった。

「何もしないくせに、祭りが好きで、人を脅かすのが大得意。でも本当は」

「お人よし」

 穏やかな声に振り向くと、人喰い女の波奈野目優子とぎょろ眼の辰之助が並んで立っていた。

「皆、待っていたよ」

「待っていたって、しょっちゅう来ているじゃないか」

「違うよ、今日は祭りの初日なんだ。派手に遊ぼうじゃないかい」

「人喰いにしてはめずらしい」

 綺堂は腕を組んだ。

「何かいいことでもあったのかい」

「別に何もないよ。ただ、今日は辰之助が、あたしの紅茶のセンスを褒めてくれたのさ。アップルジンジャアティって奴をだしてやったんだけどね」

「あ、私、それ大好きです」

「あら、じゃあ、夏芽ちゃんも後で家においでよ」

 優子は優しく笑った。

 暫く五人で、祭りの準備にせかせかしている中央通りを歩いていた。ふと夏芽は、事件の事を思い出し、目を伏せた。

「拾さん、死んじゃったんでしょうか」

「夏芽さん、人はね、あそこまで炭になるには、凄く時間がかかるんだ」

 綺堂は即答した。

「死んじゃいないよ」

「本当ですか!」

「ああ。だって、床と壁に煤が付いていただけで、燃えカスなんかは見つからなかっただろう?拾は子供を持ち主たちに帰したあと、高跳びをして、何処かに逃げているに違いないよ。四人もの命を奪っておいて、酷い話だ」

「でも、拾さんが、直接手を下したんじゃないんですよね?」

「ああ。拾の恨みによる霊力に引きつけられた腹の子が、自ら這い出てきたんだ。だから直接手を下してはいないが、死んだ母親、いや、きっと直後は死んでいなかったであろう母親を放置して、赤子だけ連れてその場を離れたのは、重罪だよ。“向こう”の世界だったら、死刑だろうね」

「……死刑、かあ。でも、それじゃ、拾さん、可哀想な気がします」

「安心しろや、夏芽」

 由宇奇が笑った。

「拾は死刑にしたって死なないような男だ。皮肉屋で、うん、そういえばだーれかさんに似ているところがある。人を見下して喋る口なんか、そっくりだ。目つきまでも似てやがる。こう、吊り上っててな」

「僕のことを言っているなら殴るぞ」

「おっと、聞こえていたか糞野郎」

 綺堂はふん、と鼻を鳴らした。夏芽はそんな二人を見て、あの時、由宇奇が言った事を思い出した。


「ぬらりひょんは、こっちで言う、やくざのドンみたいなやつだ。金も、まあ”向こう”に金という概念がないから何とも言えんが、財力もあり、力もあり、仲間も多い。“向こう”の世界で、最も恐れられている妖怪だ。だから下手したら、というか、このままいけば、拾は死ぬ」


 綺堂は、拾を殺そうとしていたのだろうか。今となっては、そんな風には思えないが、最悪の状態に陥った時、きっと綺堂は、拾を殺して夏芽とまなみ両方を守る策を選んだだろう。綺堂が、遠い存在になっていくような気がした。この世界のやくざのドンの息子。それが、綺堂壱紀。

「綺堂さん」

 夏芽は寂しくなって言った。

「綺堂さんは、どうして、ぬらりひょんさんの息子だってこと、黙ってたんですか?みんなに。由宇奇さんにまで」

 綺堂は、ははは、と笑った。

「聞かれなかったからだよ」

「聞かなかったか、俺。お前の親はどんな妖怪かって」

「それは言われたことがあるなあ。でも、どんな妖怪か、と聞かれたから、凄い妖怪だ、と答えた覚えがある。誰か、とは聞かれなかったからね」

「屁理屈を言うな」

 由宇奇が小突く。なんだ、そんなことか。夏芽は安堵した。もし、綺堂がその妖怪の息子であることが、この世界に於いて重大なことだったらどうしよう、夏芽はそんなことを考えていた。もしそうだったら、いつか、今までの様に会えなくなってしまうかもしれない。

「よかった」

 言葉がこぼれた。それを聞いてか聞かないでか、綺堂は扇子を取り出して、言った。

「親が誰だとか、親戚が誰だとか、そんなことは生きていく上で、そんなに大したことではない。拾の祖父が例え妖怪じゃなかったとしても、拾の父が例え霊力の強い人間の子孫じゃなかったとしても、拾の人生が変わっていたかどうか、それは今となってはなんとも言えない。僕に関しては、親がぬらりひょんだからって、虐められたことも、尊敬されたこともない。僕は僕であって、ぬらりひょんの息子だという事はおまけでしかない。拾も、もっと早く、それに気付くべきだった。親に振り回され、妖怪の力に振り回され、他人の目に振り回され、彼はいらぬ苦しみを抱いていた。誰も想像だにしない苦しみだ。だがきっと、夏芽さんのお母さんと、由宇奇と、そして夏芽さんのお蔭で、少しは代われたんじゃないかな。君たちが彼を救ったんだよ」

「へ。偉そうなことを言いやがる」

 由宇奇は煙草を加えながら言った。

「拾のやつ、また、俺たちの前に姿を見せてくれる時が、来るだろうか。来たら、一発ぶん殴って、それから言いたいことが、山ほどある」

「僕もだ。まずは、僕の人生観を語る事から始めるだろう」

「……拾、一生お前の前には現れねえわ」

 由宇奇は苦笑いした。

「もっと早く、お母さんや由宇奇さんに、会ってればよかったですね。こんな事件を起こす前に」

「ああ。思えば彼の人生は、擦れ違いの連続だった」

 綺堂は物憂げに言った。

「待てなかったのだよ。自分の運命を。だから、走り続けてしまった。アキレス腱を切っても、足をくじいても、膝を骨折しても、気付かずに、走り続けてしまったんだよ、彼は。止まることを知らなかった。だが、今回の事件で、君たちが、彼に止まることを教えたんだ。休んでいいんだと。立ち止まって、振り返っていいんだと」

「振り返っちゃいけないんじゃないんですか?」

「それは黄泉の国と八千代トンネルだけだ」

 綺堂は笑った

「あ、そういえば」

 夏芽は思いついたように言った。

「綺堂さんと由宇奇さんって、仲がいいですけど、何でですか?拾さんと由宇奇さんは従兄弟で幼馴染だからわかるけど、綺堂さんと由宇奇さんの接点がわからないです」

「ああ、それはね」

 綺堂は由宇奇を横目で見ながら語り始めた。

「もう十年ほど前になるか、由宇奇が家を飛び出してな。親父さんのしつけが厳しかったんだろう」

「そういう言い方するな」

「まあ、大体あっているじゃないか。とりあえず、親父さんと意見が食い違って、家を飛び出して、なりふり構わず、こちらの世界に来たんだ。それで、トンネルの所で煙草をふかしているのを僕が見つけてね。同い年くらいだったから―――あのころは若かったなあ―――声をかけてみたんだ。そうしたら、泊まる場所も、金もないときた。仕方なく、あの頃の僕はまだ若くてお人よしだったからね、由宇奇を家に招いてやったんだ」

「俺は行きてえなんて一言も言ってねえぞ」

「ははは。そうだったか。まあ、半ば無理やりね、家に連れ込んだんだ。今にも死んでしまいそうな顔をしていたからな。本当は、妖怪にでも食われて死のうとでも思ってたんじゃないか?だが、残念ながら妖怪たちは、由宇奇が想像していたよりも陽気で、半妖の由宇奇には気さくに接するもんだから困ってしまったんだろう。それで座り込んで途方に暮れていたんじゃないかな」

「……大体合ってるからいい。続けろ」

「暫く由宇奇と同居をしてたんだがな、全く死んだ目をしていてね。今にでも二階の窓から飛び降りてしまいそうだったよ。そんな時に、人間世界である事件が起きてね。由宇奇の友人が殺されかけたんだ。由宇奇は憤怒して、人間世界に帰るんだが、報道では“被害者は不良だった”とか“麻薬の売人とつながっていた”とか、ガセネタが飛び交っていてね。再び憤怒するわけだ」

「そこで俺は、ちゃんと真実を記事にする記者になって、この世界を変えてやろうって思って、綺堂の家を出た」

「まあ、僕たちの出会いはこんな感じだ」

 綺堂は扇子で顔を煽いだ。

「そうなんですか。綺堂さんって、やっぱり優しいんですね」

「何処がだよ。こいつ、俺を家に入れたはいいが、死にそうな俺に食べ物ひとつくれず、一日中放っておいて、それが一週間、死ぬかと思ったぞ」

「いいかい、由宇奇。欧米では、ご飯は食べたい時に食べるんだよ」

「そういう状態じゃなかっただろうが」

 由宇奇が抗議する。夏芽はそんな二人を見て、自分とたかねを重ね合わせていた。夏芽とたかねの出会いも、偶然に偶然を重ねたようなものだった。似ても似つかない二人は、高校二年間を共にし、今年、同じ大学を志願している。……たかねの場合は無謀とも言える挑戦だ。しかし、同じ大学に行けたらいい、と夏芽は思っていた。

 中央通りを抜ける。少し薄暗い綺堂の家の前に来て、立ち止まる。

「今日から祭りか。ああ。気分が悪い」

 綺堂は肩を落とした。

「いいじゃないですか、お祭り、楽しみ」

言いながら、夏芽は綺堂の肩に触れた。その時、閃光のように夏芽の脳天をある記憶が光った。




 幼い夏芽は一人、泣いていた。夏祭りに来たのに、親と離れて、見知らぬ所に来てしまったのだ。曇天の空。生臭い臭い。

『ええん、ええん』

 夏芽はしゃがみこんで、泣いていた。涙で歪んだ目は、流れる人混みをお化けのように夏芽に映す。その度に夏芽は息を殺して、ただ母が迎えに来るのを待って泣いていた。

『どうしたの?』

 夏芽は顔を伏せたまま、

『お母さんが来ないの』

『それはね、おかあさんはトンネルの向こうに居るからだよ』

『トンネルなんて、通ってないもん』

『通ったんだよ。だからここにきてしまったんだ。君、名前は?』

『夜崎夏芽』

『そう。可愛い名前だね。僕が、お母さんの所に連れて行ってあげるよ』

 青年は手を差し出した。青年は夏芽より一回りも二回りも年が上に見えた。夏芽は青年を見上げると、

『知らない人について言っちゃだめだよって、お母さん言ってた』

と言ってまた泣き出した。

『知らない人じゃないよ』

 青年は笑った。

『僕は知らない人じゃないよ、夏芽ちゃん』

『ほんと?』

『お母さんの知り合いなんだよ』

『証明できる?』

『うん。だからほら、手をつないでごらん』

 夏芽は青年の手を取った。途端、街は華やかな、今までいた街に戻っていた。青年を見上げる。夏芽の手をつないでいたのは、青年では無く、春代だった。

『どうしたの?なっちゃん』

 夏芽は少し間を置いて、

『ううん、なんでもない』

と言った。

 夏芽が五歳の頃だった。




「綺堂さん!私、思い出しました!」

「何をだい?」

「綺堂さんと、初めて出会った日の事!」

「去年の夏の事かい?」

「違います、もっと、十年くらい昔の話ですけど、私、この世界に迷い込んだことがあるんです。その時に私を向こうの世界に戻してくれたのが」

「ああ……」

 綺堂は懐かしそうに目を細めた。

「あれはやはり、夏芽さんだったんだね」

「綺堂さん、何処かで会った事がある気がしたんですよね。それに、初めて会った時に、私の名前を知っていたのも、不思議に思いました。お互い、何となくあの時の事を覚えていたんですね」

「僕も、うっすらとしか、思い出せていなかった。よかった、確実に思い出せて」

 綺堂は今までにないくらいの微笑みを見せた。

「旦那あ、そろそろ祭りが始まりやすぜい」

 後ろから辰之助が言った。







「旦那、上手くいかなかったみたいですなあ」

「ああ」

 拾は煙草屋で、いつものように寛いでいた。

「やっぱり邪魔が入ったよ」

「綺堂の旦那ですかい」

「いや、奴はどっちでもいい」

「へえ?」

「……友人、という奴にねえ、今回は邪魔をされた、いや“救われた”かなあ」

「そうですかい。それならよかった」

 煙草屋の親父は微笑んだ。

「人間、何処かで救われなきゃいけねえ。旦那も、救われない人生なんて、もう終わりにしやしょうや」

「そうだねえ」

 拾は葉巻をふう、とふかすと、

「今晩は祭りかい」

と言った。

「今晩から、騒がしいですぜ、旦那」

「騒がしいのも、嫌いじゃなくなってきたよ」

「へえ、旦那が?」

「頭の嫌な雑念が消える」

「そうですかい。あっしの一人息子も、そう言ってくれりゃあいいんですがねえ」

「あんたの息子も、祭りが嫌いなのかい?」

「ええ、大の嫌いで、祭りの期間にゃ家から出んのですわ。引きこもりってやつですかねえ」

「まあ、気持ちは分かるよね」

 拾は空を見上げた。花火が上がっている。

「でも今日は、街に繰り出してみるとするよ、親父。取り返さなきゃならないモノもあるからね」

 煙草屋の親父が振り返ると、そこには葉巻の吸い殻だけが残っていた。

「また、無銭喫煙だあ」

 親父は笑うと、空に高々と上がる花火を見上げた。







 綺堂たちは、支度をして、再び中央通りを訪れていた。久しぶりの人混みが心地よい。

 その時、背後から歌が聞こえた。わらべ歌だった。




かごめ かごめ かごのなかの とりは

 いつ いつ でやる

 よあけの ばんに

 つると かめが すべった

 うしろの しょうめん

 だあれ




 皆同時に振り向く。“かごのなかのとり”は、ついに、その籠から解き放たれたようだ。派手な着物姿に長い髪、顔に綺麗に巻かれた、真白の包帯。

「大事なものを、返してもらいにきたよ、お兄さんたち」

 由宇奇は千羽鶴を掲げた。

「待ってたぜ。持ってけよ」

 綺堂はふっと笑った。




 うしろの しょうめん

 だあれ







籠女……妊婦を表す造語。遊女の事を表すとも言われている。




かごめかごめ……子供遊びの一つ。「子をとろ子とろ」と伝わる地域もある。



籠女 完

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籠女(綺堂談義其の三) 篠田 悠 @deco10mame

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