第12話

  街に出てみたが、昨日のような活気に満ちた状態にはまだなってはいなかった。

「意外だわ。もっと朝からわいわいしているものだと思っていたのに」

 つまらなさそうに開店していない店を何軒も吸血鬼は覗き込んだ。中で人が動いている気配はあるものの、開店する気配は窺えない。彼女がちらりと青年を見ると、彼は彼女を置いていくことはしなかったものの、特にその言葉に返すつもりはないように思えた。

「意外だわ。もっと朝から…」

「何度繰り返しても返す気はないぞ」

 先ほどよりも少しボリュームを上げて一言一句違わずに繰り返そうとした吸血鬼の台詞を、青年が面倒くさそうな表情で遮る。二人はそのままにらみ合ったが、耐えられなくなった青年が「行くぞ」と言って歩き出したため、会話が流れてしまった。

 置いていかれないようにと追いかけた吸血鬼は、ぷくっと頬を膨らませて青年にギリギリ聞こえる程度の声で呟く。

「いじわる」

 ぴくっと反応したため、おそらく青年の耳にそれは届いたはずなのだが、彼は何とか反応せずに堪えきった。

 実際、青年の住むこの街は夜遅くまで動いている街のため、朝は比較的始まりが遅い。今青年が向かっている、言うところの「市場」くらいしか開店している店がないのが通常だった。

 ふいに、青年が動きを止めた。何故止まったのかと不思議に思った吸血鬼だったが、ふと流れてきた風に血の匂いを感じ取り、すぐに状況を理解してしまった。

 二人の目の前に、一人の吸血鬼が立っていたのだ。よく見ればそれは先日すれ違った「飼われ者」の吸血鬼だったが、彼女が言っていた通り自力で外せたのだろう、首輪は付いていなかった。

 吸血鬼の少女の足元には亡骸となった遺体があった。首にはしっかりと歯形があり、血を吸われたのだろう、干からびた、とても残酷な姿になっている。

「・・・市街でのいたずらな吸血行為は禁止のはずだが?」

「大丈夫、これは誰かが掃除してくれるし、きっと『ご主人』がなかったことにしてくれる」

 少女は「これ」という言葉を吐いたと同時に、遺体の頭を足で小突いた。その行為は何とも青年の癇に障り、不快感を抱かせる。だが、それは吸血鬼の女性にとっても同じ感覚だったようだ。

「だから飼われているのは嫌いだわ」

「貴女も飼われているでしょ?」

「こんな化け物いらん」

「こんな美人を捕まえておいて贅沢言っているのはどの口かしら?」

 少女の言葉に彼女よりも早く青年が答えたことに対し、女性は彼の耳をぎゅーっと引っ張って抗議したが、青年の角度が少し傾く程度で彼が言葉を改めることはない。そこから少女をよそにぎゃんぎゃんと口喧嘩を始めた二人を、置いていかれた少女が呆然と見ていた。

「ねえ、その人、要らないのなら頂戴?」

「こいつは俺の獲物だ」

 青年があまりにもすぐにそう答えた物だから、不覚にも彼女は恥ずかしくなって顔を真っ赤に染める。

「・・・そういうの、ずるいと思うわ」

「何がだ?」

「うるさいっ」

 女性が照れ隠しに青年の腕に抱き着いて顔をうずめた。が、少女は思わぬ訂正をしてきた。

「違う。欲しいのは貴方の方」

 唐突に指名を受けた青年はぽかんとした顔になり、それを聞いた女性は少女のほうをキッとにらみつけた。

「それは出来ないわ。この人は私が必要としてるんだもの」

「貴方のご飯なの?」

「ご飯じゃないわ」

「じゃあ、頂戴」

「貴女、飼われてるんでしょう?なら『ご主人』から血を頂けるじゃない」

 青年にしてみれば何とも不快な会話だ。今ここで二人とも撃って殺そうかと考えたが、あの少女の主人はおそらくこの街の領主だ。領主が怖い、などと怯えるタイプでもないが、後々が面倒くさくなりそうでなるべくなら避けて通りたいと思うところだった。

 どうにか誤魔化して逃げられないかと画策する青年をよそに、少女はじっと彼を、特に太くたくましい首筋を熱く見つめながら話を続ける。

「『ご主人』の血は脂っこくてまずいの。わたしのためにって女性をくれるときもある。女性の血は甘くて美味しい、けど好きなのは若い男の人の血だから」

 少女の目が、赤く光った。キラリと牙を光らせて、不気味な笑みを浮かべる。

「貴方の血、とても美味しそうなの」

 瞬間、青年の中に眠る、野生の勘のようなものが働いた。殺される。とっさに拳銃を取り出すと、それを少女に向かって発砲する。が、少女はそれを優雅に交わし、とても悲しそうな顔を見せた。

「酷い。わたしを殺したら、『ご主人』が悲しむ。『ご主人』が悲しんだら、貴方が困るんじゃない?」

「飼育する猛獣の管理に失敗した『ご主人』の身分のほうが相当危ういだろうがな」

 拳銃を動きで避けた時点で、青年は軽い勝機を感じる。純度が高い吸血鬼であれば、女性のように避けたりせず、黒い霧や蝙蝠のような姿になってかわすのが普通だ。つまり、「避けた」という時点で、少女はそこまで強力な力を持った吸血鬼ではないと言う事を証明していた。

 と、その時。吸血鬼の少女の首から勢いよく出血し始めた。少女自身何が起きたのか理解できていないようで、「え・・・?」と零してその首に手を触れようとした時には黒い塵芥となってその姿を失っていた。

 しっかりと見ていた青年にすら、何が起きたのかなど理解できなかった。ただ、彼の隣にいたはずの女性が、いつの間にか少女の背後にいたというそれしか認識できなかった。

 呆然と固まる青年の元に走り戻ってきた女性は、笑顔で彼の腕にしがみつく。

「ふふ、共同作業ね、ダーリン」

 その笑顔は先ほど吸血鬼を一人殺したとは思えないほど、無邪気で嬉しそうであり、むしろそれが青年にとってとんでもない恐怖だった。

 この吸血鬼は、自分が想定していたよりもずっと、それもはるかに強い存在なのではないだろうか?そんな事実が、青年の頭を巡った。もともとかなり強い存在であり、だからこそこんな面倒な事態になっているということは把握していたが、ハンターの中でも比較的腕利きのほうである青年でさえ、あれほど鮮やかに同族でなくとも、何かを殺してみせる吸血鬼を殺せる自信などない。むしろ持てたハンターがいたところで過信に過ぎないだろう。


 とんでもない存在と一緒にいる。


 改めて生まれたその自覚に押しつぶされないよう、青年は必死にいつも通りを貫いた。

「・・・面倒なことをしてくれたもんだ」

「あら、正当防衛よ。貴方が殺すか、私が殺すかの違いでしょう?」

「お前は何もされていないだろう」

「私を殺してくれる人を殺されたら、私が死ねないじゃない」

 純真な眼差しで返されたその言葉が、青年に深く突き刺さる。


 本当に、自分に彼女が殺せるのだろうか?


 ぬぐえない不安を抱えたまま、気を紛らわせるために、青年は市場の方面へと足を進めていった。

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