四

 あの放課後から数日後、クラスの目ざとい人間が気付いたらしく、卯月はクラスメートたちに何度か幸一と付き合っているのかと問いかけられた。隠すつもりはなかったが、気恥かしさもあったため、最初は友人たちに漏らしただけだったが、どこから漏れたのか、金魚鉢に垂れた一滴の墨汁のように噂は広まっていった。


 高校生ともなれば、誰かの好いた腫れたもそれほど珍しくはなくなってくるが、それでも同性の集団に属していれば話題の種になるのは避けられない。とりわけ、卯月は友人やクラスメートたちから、自然とその手の話とは縁遠い人間と思われていただけに、あることないこと聞かれもした。初めてのことで、どう、対応していいかよくわからず、要領を得ない答えばかりを口にしていた。


 おそらく、同じような対応に追われている幸一の方をうかがえば、曖昧に頷いてみせたり、付き合いの中身について、具体的な中身を答えずにやり過ごしているようだった。たしかにそれが正しいのだろうと卯月は思った。付き合いはじめたといっても、ただ、ともに過ごす時間が増えたばかりで、具体的に友人やクラスメートの興味を引くような中身のある話は、まだ、一つもないのだから。


 そうわかっていても、教室で友人たちと話している時の卯月に、そんな器用な喋りわけはできず、たどたどしく、小学生の夏休みの日記のような事柄を当たり障りなく搾りだしてみせた。


 卯月の話の色気のなさと退屈さに囃したてていたクラスメートたちの多くはいなくなっていった。しかし、友人たちはそんな卯月の慣れない様子が物珍しいのか、優しげな瞳で見守りながら、時折、幸一との付き合いの進捗状況を尋ねては、あることない事を吹きこんだ。


 温かな輪に囲まれて談笑をしながら、それでも幸一とのなれそめについてだけは、話さないように注意をはらった。もし、知られてしまったら、全てが終わってしまうかもしれない。そんな不安を胸に抱きながら、卯月はいつも通りに笑みを作って、なんでもないようにふるまっていた。


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 卯月が幸一とともに放課後の時をともにするのは、週に二三回だった。特別になにか約束事をしたというわけではなかったが、お互いにお互いの人間関係を邪魔しないようにという暗黙の了解じみたものによって、なにをするでもなく、自然とそうなった。


 そしていざ付き合うと口にこそしたものの、卯月には異性とこのような関係を築いた経験はないため、当初は、幸一に馬鹿正直に、どのようにすればいいのかと尋ねた。少年は、何の考えもなかったのかよというように呆れの眼差しをむけたあと、別になんでもいいんじゃないの、とどうとでもとれる答えを返した。


 その曖昧な答えもあってか、なんの目的も持たずに、町を歩き回り、目に止まったところに入るということが多くなった。アイスクリーム屋、ゲームセンター、ショッピングモール、目に止まればどこであろうと冷やかし、こそばゆさとともに本当にこれでいいのかという疑問を持ちもした。案外、こういうものかもしれない、と思いながら、卯月はなんともいえない感情を持て余したまま幸一との時を過ごした。


 お互いにそれほど多く喋る人間ではなかったために、並んで歩くだけで、無言な時間も多く、傍目からみれば付き合っている者同士だとは思えない場面も多々あった。そもそもはじまりからして通常の男女交際とはやや異なっているのを意識していたため、卯月は、なんの目的も持たないで歩きまわるのと同じくらいの気持ちで、こういうものだろう、と割りきって時を過ごした。おそらく、幸一も似たような気分でいるためか、あの放課後から浮かべることが多くなった無表情をよく張りつけるようになった。その前によく浮かべていた笑みと、どちらが素に近いのだろうという疑問を持ちもしたが、卯月が自分をわからないのと同程度にはっきりとしないだろうと結論付け、尋ねもしなかった。というよりも、どちらでもよかった。


 ともにいる時、幸一は決まって、あの青いボールペンを持ち歩いていた。学校以外では誰の目があるのかわからないにもかかわらず、お守りのように胸の内ポケットにいれている。持ち主にペンを持っているのが、ばれたらどうするのか、卯月が聞いてみせれば、心底つまらなさそうな目で見返して、


「俺のものを俺がどう持ち歩こうと勝手だろう」


 と気持ちいいくらいはっきりと答えてみせる。ばれてもかまわないと思っているのかもしれないし、もしくはばれたあとのことなど少しも考えていないのかもしれない、などと推測しつつも、卯月にとっては都合が良かった。


 少なくともこうして付き合っている限りは、いつでも、ボールペンを取り戻す機会があるのだと、期待に胸を膨らませられた。




 お互いに高校生ということもあり、手持ちの資金は潤沢というわけでもなく、いつも散財できるというわけではなかったため、ただで時間をつぶせる場所というのは重宝した。とりわけ、幸一の家の近くにある公園などは、なにも思いつかない日に、よく足を運んだ。


 そんななんでもない場所に行ったところで、やはり、なにをするわけでもなく、おおむね二人とも黙りこんでいる。放課後にぶらつきはじめるため、空は橙に暗みがかることが多く、年下の子供たちが帰りだす時刻と重なりがちなため、自然と人気のない公園に少人数で取り残されがちだった。


 湾曲した背もたれに体重をかけて、日陰の下にあるブランコや滑り台や砂場、園の外周に立つ木々、視線の先にある出入り口付近の道路などをぼんやりと眺めながら、卯月は時折、思い出したように幸一の方を振り向いた。少年は黙りこんだまま、空を仰いでいることが多かった。その姿は無防備で、胸に差してあるボールペンは、大抵、奪ってくださいとでもいうように存在を主張している。しかし、卯月は手を伸ばしても、取れる気が少しもしなかった。


 これまでであれば、誰かのものは気付かぬ内に、卯月のものになっていた。変な話であるが、欲しい、という強い感情のあとには、物は手の中にあり、それを目にした瞬間に、興味すらなくしている。無意識のうちになされていたことゆえに、意識して取りかえすというのは、卯月にとってはじめてのことだった。反射的な手癖ゆえに、計画をたてたうえで手癖と同じ結果を導きだそうとしても、いまいち、はっきりとした成功を想像できずにいる。闇雲に手を伸ばしても上手くはいかないだろう。付き合いはじめた時に抱いた予感は、変わらず胸に留まり続けていて、消えさろうとしなかった。


 自らの無能さを冷やかな気持ちで振りかえりながら、卯月は慌てる必要もないと思ってもいる。なにもせずに空を見上げている幸一が傍らにいるせいか、ボールペンを奪われたばかりの時に卯月が感じていた、取り戻さなければいけないという強い焦燥はすでにない。


 私のものなんだから、いつかは私の手に戻ってくるべき。その思いは消えないままそこにある。だからといって、この、なんと呼んでいいかわからない関係をすぐにでも終わらせようという強い意志もない。


 明日、もしくはそのまた明日。どちらともなく立ち上がり、帰ろうとする時、卯月は決まってそう考える。


 いつか、という不確かな言葉を思い浮かべながらも、そのいつかがなかなかやってこないことを苦にするでもなく、帰路につく。なぜ、こんなことをしているのだろう、という疑問は泡沫のように卯月の中で浮かびあがったが、別段、悪い時間というわけでもないため、すぐに弾けて消えた。


 幸か不幸か、それは相手の少年の方も同じらしく、飽きた、という顔を見せることもなければ、やめようと言いもせず、ただただ、いたずらに日々は過ぎ去っていった。

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