オンステでやることじゃない、とおもうんです(1)

 これまでの経緯は簡略化して、状況だけを説明する。

 剛くんは真面目な顔で聞いてくれて、それから、ぼそり、と言った。

 夢と魔法って、キャストにもかかるんっすか?


 ――うん、そこはわたしにも、答えられない。



 翌日。

 本当は昼入りだったわたしとマキちゃんは、早朝から部署部屋にいた。

 ――花ちゃん、結局昨晩帰ってこなかったから。

 そして何より。

 鍵を、あっちに渡してしまったせいで、わたしたちから迎えに行く術も、なくなってしまったから。

 花ちゃんはひとり暮らしだし、今日はオフなのでたぶん騒ぎにはならない、けど。そーゆー問題では、ない。


 わたしとマキちゃんは、二人そろって頭を抱えていた。


「……どーしましょ……いやほんと、どーしたら……」

「鍵と衝撃は……状況から分かってはくれたと思うんです、けど……」


 で、帰ってこれるかというとそれはまた別問題な気がする。なにせわたしも、あの世界で一瞬鍵をなくしかけているのだ。

 そして何よりも問題なのが、今回あちらの世界が『ふしぎの国のアリス』である、ということ。

 シンデレラや白雪姫はまぁ、まだいい。

 いろいろアレではあったけど、秩序はあった。少なくとも、言葉の分かる人物はいた。けど。


 秩序ないもん、アリスの世界って。


 サイケデリックでシュールでカオス、が持ち味の世界にぶん投げられて、なにをどうしたらいいか、とか。考える余裕あるんだろうか。

 そう思うとぞっとする。お願いだから、無事でいますように。


「まだ頭抱えてるんっすか?」

 剛くんだ。

「……そりゃそうでしょうよ」

「無駄じゃないっすか? だって今、手の打ちようないんっすよね?」

「そうだけどさぁ」

「カゴさんなら大丈夫っすよ」

「なんでさ」

「強いから」


 剛くんの花ちゃんに対する評価って。信頼なのか何なのか。


「俺、もう入りなんで行きますね。なんかあったら教えてください」

「あ、はーい。いってらしゃい」

 と、手を振りかけた時だった。部屋の扉から、ひょこっとさと子さんが顔出した。


「あ。牧野いた。早いねー」

「ちょっとね……」

「いま時間空いてるよね? ちょっといい? 例の」

 ちょいちょい、とさと子さんが手招きする。


 ――例の?


「何ですか?」

「何でもないわ」


 マキちゃんはぽんとわたしの頭を叩いて行ってしまった。さと子さんと二人、部屋を出ていく。


「……なんすか、あれ」

「さあね」

 剛くんが怪訝そうな顔をする。

「最近ちょいちょいありますよね、マキさんがSVと出てくの」

「だ、ねぇ」


 そうなのだ。最近ちょいちょいある。どっか別の部屋で話してるみたいなんだけれども。


「ヒラさん、なんか聞いてないんっすか?」

「なんで。聞いてないよ」

「へぇ。じゃ、誰も知らない系っすかね」

「なんでよ」

「マキさんと一番仲いいの、ヒラさんじゃないっすか」


 そうかなぁ。


「マキちゃん、誰とでも仲いいよ。っていうか仮にそうだったとしても、何も聞いてない」


 聞いたことはあるんだけどね。さっきみたいにはぐらかされて終わりだっただけだ。


「ふぅん。ま、いーや。俺行きますね」

「はいよー」


 今度こそ手を振る。剛くんと同じ九時十五分入りはもうひとりいるけど、先に現場に向かってるはず。そしてこのあとは、十一時入りがわたしとマキちゃんとあと数人で、そこまでは誰も来ないはずだ。


 ふしゅうと息を吐いて、長机につっぷす。


 コチ、コチ、コチ、と壁掛け時計の音とエアコンの音がうるさい。


 ――実際のところ、マキちゃんとSVのあれに関しては、ひとつ思い当たるところはある。たぶん、面談だ。

 推測でしかないけれど、マキちゃん、正社員雇用の話が来てるんじゃないかなぁ。いま、部署内で一番有望株だし全然おかしくない。雇用条件とか、正社員試験とか、社員研修とか。まぁ実際そうだとすればいろいろ、ありそうだし。


「正社かぁ」


 ――まぁ、まだ確定ではないけどさ。口の中で呟く。花ちゃんもたぶん、同じ推測してるだろうなぁ。


 わたしは、というともちろんまだまだ契約社員のままだ。ちょうど十月に契約更新があって、一年契約でハンコを押した。給与も微々たるものしかあがってない。とはいえ、十月はあの白雪姫の直後だったし、なんか気持ちも高揚してて全然気にしてなかったけど。


 スマホを取り出してニュースアプリを立ち上げる。有効求人倍率があがった、という見出しがどうしても目に入る。


 ……いやいやいや。現実逃避過ぎる。いくらアリスの件でげんなりしてるからって、そこから逃げれるわけじゃない。花ちゃんどうにかしないと。


 頭を無理やり切り替える。


 シンデレラのとき。それから、白雪姫のとき。ふたつを思い返しながら、なんとか『鍵』なしであちらへ行く術か、あるいは花ちゃんを戻す術がないかを考える。

 ひとつだけ、引っ掛かりはあった。


 ――『彼』のこと。


 白雪姫の最後、魔法の鏡に映ったのは、きっと『彼』だった。このパークの世界観を作り上げた創造主。パークの入り口を過ぎたところにある、メインキャラクターと手を繋いでいる像――パートナーズ像――の、『彼』。


 あの時の口ぶりからすると、このあちらとこちらを行き来出来るようにした原因は、おそらく『彼』だ。だとすれば、何とかもう一度『彼』とコンタクトが取れれば、この状況も打破できるかもしれない。とはいえ、どうしたらそんなことが出来るのか。もうとっくに亡くなった人だ――本当は。


 このパーク内で『彼』にまつわる場所はいくつかある。パートナーズ像もそうだし、なんとなく一番らしいかなぁ、と思うのはお城だ。お城の尖塔で一本だけ、先が金色に塗られているものがある。それは、空の上からでも『彼』がこの場所を見つけやすいように、だ。


 とはいえ、あんなとこ行けるわけでもなし。


 あと可能性があるとしたらパートナーズ像だけど。あそこは……正直あんまり、行きたくない。ゲストの写真ラッシュにつかまると、普通の仕事が出来なくなってしまう。いや、写真撮るのは好きなんだけど、ちょっと度を越した列ができることがあってしんどいのだ。


「でもまぁ、行ってみるか」


 ここでただ待っていても仕方ない。可能性がわずかでもあるなら、動くしかない。

 立ち上がって部屋を出ようとした時だった。


「あっ、よかったまだいた!」

「剛くん?」


 駆け込んできたのは剛くんだった。息が上がっている。


「ヒラさん、やばいっす! 来てます、あのチビッコ!」

「って、アリス!?」

「そうっす、いまオンステに……」


 マジか。

 昨日は、サンクスデーだった。正直バレてもなんかややこしくなってもまぁ、いいか。とは思ってた。でも、今日は、今は違う。

 ――ゲストに迷惑はかけられない!


「剛くん案内して!」

 走り出そうとした時、背中に声がかけられた。

「平澤!」

 マキちゃんだ。ちょうど戻ってきたらしい。さと子さんも一緒で、驚いた顔をしている。


「何かあった!?」

「あっ……えと」


 さと子さんを見て、なんとか言葉を絞り出す。


「昨日の、ちびっ子が」

「あっ……来てるのね!?」

「らしいです。だから。えと」


 どうしたらいい。なんて言い逃れる。

 ――そうだ!


「わたし『迷子対応』入ります!」


 剛くんがちいさく「なる」と呟いた。これなら、剛くんは持ち場に戻れるし、わたしもオンステに出ても問題ないし、アリスに会ったとしても対応しやすい。


「そ、そうね」


 マキちゃんが頷く。頷きを返してから駆け出そうとすると、また引き留められた。今度はさと子さんだ。


「平澤! オンステ出るならタイムカード切ってね!」


 くっ。正直面倒くさかったが、お賃金大事である。ダッシュで部屋に戻って壁に設置されているカードリーダーにキャスト証を通して、ついでにそばにあった備品の無線を持っていく。


「マキちゃん、これ、持っていくんで、なんかあったら!」

「了解、気を付けてね!」

「はい! 剛くん、行くよ!」

「うぃっす!」


 剛くんと一緒に走り出す。

 背後で、呆然としたさと子さんの声が小さく聞こえた。



「迷子対応、そんな大変か……?」



 ――大変なんです。

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