魔女の林檎とキャストの鍵(3)


 マジで殺り合う二秒前、って感じだった。


「ハイ、ストーップ!」


 城に上がっていつもの鏡の間に入ると同時に目に飛び込んできた光景に、マキちゃんが切羽詰まった声で叫んだ。

 ――白雪姫が長い剣を持って、魔女と対峙していたのだ。


 あ。むりです。平和な日本で生まれ育った平和ボケ万歳人間ですのでそういう刃物とかちょっとホント勘弁していただきたいんですけどっ!

 ビビッて少し手前で足を止めたわたしを置いて、マキちゃんが走っていく。そのまま背後から白雪姫を抱いて、ずりずりと後ろに下げた。


「はい、はーい、落ち着いてちょうだい。ビークール。剣、いったん下げましょうね、はい。預かりま……って、おっもっ!? 重いわね!? 置くわよ!?」


 ゴダンッ! と派手な音を立てて、剣がその場に転がった。音からしてめちゃくそ重たそうなんですが、よくこんなの持って構えてましたね白雪姫……?


 とりあえず少しでも状況を安全へと傾けようと、わたしは剣をずるするひっぱってさらに下げる。マキちゃんが後ろ手にひらりと手を振った。

 魔女は、その一部始終を見据えながら、ただその場にじっと佇んでいた。


「……せ、ない……」


 マキちゃんに支えられながら、白雪姫が震える声で呟いた。どうやら、泣いているようだった。


「いくらお母様でも、許せませんわ! あの子……あの、子、死んじゃった……殺したんだから……!」

「あ。すいません、生きてます」

「へっ!?」


 とっさに口をはさんだわたしの声に、白雪姫は飛び上がって驚いた。振り返った彼女の顔は涙でぐしゃぐしゃだった。


 ……いや、うん、なんていうか、さっきの声のかけ方はいくらなんでもショー性にかけていたかもしれない。いやでもほら、安全性セーフティが。安全性セーフティが危うい状況だったからね? 仕方ないね?


 白雪姫に、小さく笑いかけてみる。他にどうすればいいのか分からなかったから。

 その瞬間、ヘッドロックをかまされた。違う。白雪姫が抱き着いてきたんだ。いやそれはいいんだけど、首は、首はやめろください。止め指しに来たんじゃないなら。

 ぺしぺし腕を叩くと、すこし緩んだ。ぷは、と息を吐く。

 白雪姫が、震える声で呟いた。


「よかった……よかった……お死にになったのかと思いましたわ」

 斬新な言葉遣いだなぁ。いやいいけど、べつに。

「生きてます、ありがとう」


 ――正確には生きてます、なのか、生き返りました、なのかは自分でも分からないし深く考えたくもないけれど。そしてマキちゃんも話しそうにないのでどうなってたのかは分からないけれど。まぁ、現時点では生きているのでよしとする。


「で、えーと、誰か。この状況を端的に説明してくれませんか」


『はい。女王が魔女の格好で出ていったと思ったら泣きながら帰ってきて、その後ろからすごい顔をした白雪姫が剣を持ってやってきました。その剣はおそらく城にいる兵士のものだと思うので、最低でも一人はそのあたりで昏倒しているのではないかと』

「……ありがと……」


 鏡の答えに呻くしかなかった。端的すぎるし、っていうか白雪姫強くないかそんなもんなのか。


「……それで、女王はなんでそんな真似を……」

「あ……私は……」


「――鏡のさしがねでしょ」


 しれっと、そう言葉を割り込ませたのはマキちゃんだった。白雪姫と魔女が、小さく「え」と呟いて動きを止めた。

 鏡は、ちらちら、と瞬くように反射しただけだ。


「どう、いう……」


 魔女が――魔女の姿をした女王が、呆然とした顔で鏡を見る。

 すごく、つらい表情だった。時々見る――そう、親を見失った迷子のような、不安そうな顔。


『――いつからお気づきで?』


 鏡が、動揺もしていなさそうな普通の声音で、そう言った。

 マキちゃんはひょい、と肩をすくめる。


「ついさっき、ね。いろいろ向こうで考えてたの。それで白雪姫の話とあわせて。なんとなーく、ね。当たってたみたいね?」

『左様ですな』


 鏡の静かな肯定は、たいしたことではない、と言わんばかりのそれだった。

 マキちゃんが、はっと短く息を吐いて、くしゃくしゃと髪をかく。


「白雪姫に『女王が命を狙っている』と吹き込んだのよね?」

『ええ。私が言いました』

「で、逃がした、と。それで? 林檎は――たしか女王、林檎は鏡が場所を示したのよね?」


 ――あ。

 マキちゃんの台詞に、ようやくわたしも思い出した。そうだ。「鏡がとびっきり美味しい林檎の樹も見つけてくれたのよー」――たしかにそう、女王はきゃっきゃしながら言っていた。


『私が伝えました』

「――そ。それってもともと毒入りだったってこと?」

『ええ。古の呪いと言われておりますが。どうも大昔の魔女がその下に埋まっているようで』


 うぇ。

 何その桜の下には死体が埋まっている的な。やめてくれ。それ、わたし、食べたんですけど。めっちゃ食べたんですけど。

 吐きたい。

 胸のあたりを掴んで呻いていると、マキちゃんがそっと近づいてきてくれてぽすん、と頭を撫でた。


「で、アタシの大事な後輩が食べちゃったんだけど?」

『それは想定外でした。お詫びいたします』

「あ、いえ……勝手に食べちゃってすみませ……」

 ――じゃ、なくて!

「いやいやそうじゃなくて、ええと。何でそんなものを女王に……っていうか、ええと、つまりなにを考えてこんなことを」

「いろいろ面倒くさいうえに、さすがにアタシもイラっと来ちゃってるから。さっさと全部話してくれないかしら?」


 マキちゃんが、にこっと笑った。

 めっちゃ肝が冷える笑顔だった。


「――でなきゃ、叩き割るわよ?」


 怖い。


 鏡は一瞬ぶわっと闇のような煙をその姿に映し、それから小さく――本当に小さく、笑った。


『まぁそれも、織り込み済みなのですが。分かりました。すべて、お話ししましょう』


 呆然として立ち尽くす女王と白雪姫を、見守るしか出来ない。その中で鏡は淡々と――本当に淡々と、話を始めた。


『私は女王とともに在りました。女王がお生まれになってすぐから、ずっと、ともに在りました。女王がお生まれになった日に、贈られたものでございますので。魔法の鏡として生を受けたのは、女王のご生誕日と同じ日でございます』


 たぶん、女王のご両親か誰かが贈ったのだろう。


『私には、未来を見る力、遠くを見る力、真実を見る力がありました。とはいえ、その程度でございます。その全てを、常に見ることが出来るというわけでもありませんでしたので』


 そう語る口調に、微かに自虐めいた音を感じた。


『ある時、私は見たのです。病に倒れる白雪姫を』

「……わたくし……?」


 驚いたように、白雪姫が言う。


『左様。どのような病なのかまでは、私には分かりませんでしたが、やせ細り床に臥せ、そして息を引き取――』

「やめて!」


 大声で遮ったのは女王だ。もともと魔女の体であったために顔色はよくなかったが、輪をかけて真っ青になっている。


「やめてそんなの、想像もしたくないわ」

『で、しょうな。そうお仰せになるのは分かっておりました。しかし、私が見る未来は、嘘は吐かない。必ず訪れる未来です』

「そんっ――」

『ただひとつ』


 声を上げかけた女王を、今度は鏡が遮った。


『ただひとつだけ、それを回避する術がございます』

「どんな?」


 マキちゃんが、静かに問う。


『未来に起きる事象を、先に起こしてしまえば良いのです。その程度で、運命(さだめ)というのは意外とあっさり、変わってしまうので』


 そうか。

 マキちゃんも、分かったのだろう。少しいやそうに、顔をしかめている。

 白雪姫と女王はまだ呆然としたままだ。分かってない――のではないだろう、たぶん。考えたくないだけだ。


『つまり、簡単です。先に白雪姫が『死んで』しまえば良いのです』

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