秋よ、眠れ。2
四季花学園の文化祭には、後夜祭のフォークダンスで一緒に踊ると両思いになれるという、至極普通な言い伝えがある。大樹は信じちゃいないし関係ないと思っているのだが、それを実践しようという人物が何人か心当たりがある。
「一之瀬先輩いらっしゃいますか?!」
文化祭当日、水色のクラスTシャツを着た時雨が大樹の教室に駆け込んできた。また雪彦関連の話だろうか、四月から時雨はこうして大樹の教室に足を運ぶようになっていた。初めのうちは教室内もざわめいていたが、今となっては「彼女が来たぞ」とからかわれる始末だ。
「彼女じゃないんだけど」
と突っ込むことも忘れない。関係性を明確にしておかないと後でめんどくさいことになりかねない。中学生の愛衣が言っていたことだ。
「なに? 影崎なら来ないと思うけど?」
先回りしてそう言うと時雨は眉を寄せてしゅんとした表情をして見せた。
「えーーっ? どうしてわかるんですか」
時雨の質問には二つの意味が込められていた。どうして雪彦が来ないことがわかるのか。どうして時雨が言いたかったことがわかったのか。大樹は教室から出て階段の踊り場まで足を運んだ。
「まず、あいつが来ると思ったか?」
時雨は言葉を詰まらせる。確信がないから、影崎雪彦に一番近い大樹に聞きに来て、安心でもしようと思っていたのだろうか。
「残念ながら、俺は影崎の連絡先も知らないから呼び出すこともできない。それに、来るとも思えん。こうした学校行事が一番嫌いらしいからな」
時雨は唇を噛みしめ、水色のシュシュで二つ結びにした髪の毛先をきゅっと掴んだ。半年でわかった時雨の考えているときの癖だ。教室を訪れたときの威勢の良さはどこへ行ったのだろう。頬が赤くなっているのは、雪彦のことを考えているからだろうか。少しだけ目が潤んでいた。
「私……今日の後夜祭で、影崎先輩に告白するつもりでした。でも、来てくれないのなら、仕方ないですね……」
「叶わないとわかっていても?」
「叶わないからこそです」
時雨が顔を上げて弱々しく笑った。
「影崎先輩のことは大好きです。失敗はしたくない、フラれたら傷つく。でもやっぱり、好きに嘘はつけません」
それに、と時雨は続ける。
「このままずるずると引き下がるのは、なんか、私の方が気持ち悪いです。なので、はっきり告白らしい告白して、きっぱりとフラれてきたかったんです」
時雨の言い分はさっぱりとしていて爽やかだった。
大樹は窓の外を眺めた。秋の風が吹いている。階段の窓から弓道場が見えた。
四季花学園の文化祭は、十月の内に週ごとに行われる。第一週目が白桜、第二週目が合歓、第三週目が菊華、第四週目が椿原の順番だ。合歓木高校の文化祭は、先々週に終わっている。弓道部は活動しているはずだから、雪彦はそこに姿を見せるかもしれない。
それを伝えると、時雨は目を丸くして驚きの表情を見せた。
「で、でも……クラスの点呼は……? 後夜祭も参加ですよね?」
「後夜祭は、参加希望者だけだ」
それだけ言うと時雨の表情に赤みが差した。一筋の光が差して、道が開けたみたいに潤んでいた目を輝かせる。
「はい、行ってきます」
ぱたぱたと駆けていく時雨の後ろ姿を見送ってから「恋するって大変なんだな」と独りごちた。
「誰が恋するって? だ~いき?」
明るい声がして ぽん と両肩を叩かれる。「うわっ、びっくりした……」
「えへへ~ どっきりだいせ~こ~ なんちゃって」
気の抜けたサイダーみたいな声の主は、へらっとした笑みを浮かべた。
「昇太のそのへらへらした態度も可愛く見えるから不思議だよな」
「そ~かな~」
「褒めてねぇよ」
昇太は頭に手をやって、照れているような仕草をしてみせた。これで八人兄弟の兄をやっているというのだから驚きだ。一之瀬家では嵐志一人でてんてこ舞いをしているというのに。
「五十嵐が、影崎にぶつかってくるってさ」
「そっか~ 五十嵐さん、今まで影崎くん相手によく頑張ったね~」
「どうして、五十嵐も井上も、叶わないと知りながら想いを告げるんだろう」
「え?」
昇太がきょとんと首を傾げた。一瞬廊下が静まりかえり、昇太は丸く目を見開いて大樹を見た。大樹もはっとして口を塞いだ。耳が熱くなるのを感じながら「……なんでもない」と零した。
***
閉会式が終わり、後夜祭に入っていく喧噪の中、大樹は弓道場に向かった。その途中で、急いで校門から出ていく時雨を見かけた。
「あ、一之瀬先輩」
声をかけられ振り返ると、佳奈が立っていた。時雨と同じ水色のクラスTシャツを着て水色のはちまきを頭に巻いている。
「五十嵐の見送り?」
「そうです。一之瀬先輩も?」
「いや、たまたま見かけただけ」
「そうですか」
ひんやりした風が吹いてくる。佳奈の横顔も、夕陽と同じ茜色に染まっている。
「しぐちゃん、明日は大泣きしてますかね」
「あっさり言うんだな」
「ああ見えて、裏でしぐちゃんたくさん泣いてますからね」
佳奈はやんわりと微笑んだ。
後夜祭は校庭と体育館それぞれで催し物がある。校庭ではキャンプファイヤー、体育館ではワルツやフォークダンスが行われている。
「一之瀬先輩、合宿の時は、すみませんでした」
佳奈が微かに頭を下げる。その顔が赤いのは夕陽のせいか、それとも佳奈自身が赤くなっているのか。どちらにしても綺麗だった。
「確かに驚いた」
「すみません……」
「弓道は続けるの?」
その問いに佳奈は「はい」とはっきり答えた。
「先輩の隣に並べるかどうかわかりませんが、それくらい上手くなってみせます。好きな弓道を、恋を言い訳にして嫌いになりたくありません」
佳奈の瞳に、茜色が微かに反射した。その目を細め、大樹を穏やかに見つめ返す。
「それに、一番好きな先輩と、大好きな弓道ができるなんて、これ以上の幸せなんてありませんよ」
茜色の光がやがて宵闇に変わっていく。喧噪が一層深くなって、昼間とは違う後夜祭が本格的に熱を帯び始める。
「井上、後夜祭、行くか?」
佳奈は大樹の言葉を理解できなかったのか、少しだけ沈黙した後に「へっ?」と素っ頓狂な声を出して、後ろに飛び跳ねた。
「一曲だけど」
手をさしのべると、途端に佳奈はまた顔を熟れた苺みたいに真っ赤にした。ひとりでおろおろして、両手で頬を包み込んだ。それから差し出された手をじっと見つめた。
「…………一之瀬先輩はいじわるです」
大樹の手にそっと手を重ねた。
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