黒耀の夢 前編

 コツ、コツ、コツ……。

 暗闇の中をかすかに響く硬い靴音。

 徐々に大きくなってゆく、近づく、それを、闇の底に横たわったままリエラはじっと聞いていた。

 コツ、コツ、コツ……。

 その音と、聞こえるのはただ周囲で眠る人々のかすかな寝息だけ。

 起きているのは自分だけだと、リエラは知っていた。

 気づいていた。食事に眠り薬が混入されていたことを。自分に配られた皿にだけは、それが入っていなかったのだ。

 コツ、コツ、コツ……。

 靴音はゆっくり、ゆっくり近づいてくる。

 闇に慣れた彼女の目には、目の前に横たわる幾人かの身体の向こうに漆黒の鉄格子が見える。それを見つめながら、その向こうを歩く敵の巡回兵の靴音を聞く。

 彼女が囚われているのは牢獄だ。敵のルルーク族が、彼女たちフェリア族の捕虜を閉じこめる牢獄。

 心臓がかすかに鼓動をうっている。

 鉄格子の向こうに、明るいランプの光が忍び込む。眩しさにリエラはかすかに目を細める。

 ……敵の巡回兵のもつ、明かり。

「あれ」

 静寂を破ったのは。

 どこかとぼけた、そんな声だった。

「この辺だった……よな? あれ?」

 リエラは息を殺している。ランプの灯りが揺れて、隣の牢獄のなかを照らしている。

 視界のはしに、それを認めながら。

 リエラは必死で声を殺していたが、堪えきれずついに、吹きだした。

「ま、まったく、あなたったら……」

「あっ、あれえ?」

 焦ったような巡回兵の声。

「そっちの牢だったっけ?」

 すう、とランプの光が動いて、リエラのいる牢を照らす。

 真っ向から照らす光に思わずきつく目を閉じる。

「あ。ごめん。眩しかった?」

「……もう」

 くす、と。

 思わず笑みがこぼれた。

「なにやってるのよ、あなた……。あんだけ巧妙にあたしにだけ薬はいってない皿渡しといて、牢の位置覚えてないわけ?」

「あー、うん……。てか、アレって巧妙? すんごいストレート技だった気がするけど」

「『あの女実は結構好みだから、オレが皿渡してくる』って? ふふ、ドキドキしちゃったわよ」

「バレないかって?」

「ううん、これであたし以外の女に皿渡したりしたらぶっとばしてやるって」

 牢獄の向こう、光量を絞ったランプの明かりの外で、巡回兵が情けないような、それでもどこか幸せそうな顔をして笑う。

 見えないが、分かる。手に取るように。

「僕は普通にドキドキだったよー、『あ、これ絶対不審に思われてる』って」

「普通あり得ないものね。フェリア族相手に好みだなんて」

「てか、普通だったら即尋問かなー。『おまえスパイか? 敵に身を売ったか!?』って。みんな神経質だもん」

 ランプを床に置いて、あぐらをかいた姿勢で。巡回兵はぽりぽりと頭を掻いていた。

「まあ、僕それ言ったの部下だから大丈夫。向こう勝手にいい方に解釈してくれるから」

「上官のお遊びだって?」

「ううん。『上官のやることだから本当は何か重大な作戦に違いない、ああ、恐ろしい!』」

 部下の口調をそっくり真似て、巡回兵が言う。それからふたりでくすくす笑う。他愛のない会話をまるで秘密の宝物のように、声をひそめて笑う。

 まるでその辺の、普通の恋人同士のように。

「でも、なんでわざわざこんなコトしたの? ルイーザ」

 ひとしきり笑ってから、リエラは尋ねる。

 巡回兵、ルイーザ青年は小さく肩をすくめた。

「だって、君がいきなり牢に入ってるんだもの」

 とぼけた口調は変わらないが、すこし、静かな声になる。

「だから、話をしたくて」

 真剣な様子を感じ取って、リエラは闇に紛れたルイーザの瞳を見つめる。

 ルイーザは少しの間、無言でリエラを見つめ返していた。それから唐突に言った。

「君が捕まったの、わざと?」

 リエラは少し目を伏せる。

 わざと。だってここに来れば、ルイーザに会える。

 まだ娘が生まれたばかりの頃、二度と会わないと誓って別れた人に。

「……そうだと言ったら?」

 リエラの答えに、返る言葉はなかった。

 彼女はただ、ランプの光にぼんやりと照らされた灰色の床石を見ていた。わざわざ見上げなくても分かった。

 ルイーザの青い瞳に浮かんでいるのは紛れもなく軽蔑の色だと。

「失望したよ」

 静かな呟き。

 ランプの光が揺れる。ルイーザがそれを持ち上げて、立ち上がったのだ。

 そのまま彼は収容所の出口へ向かって歩きだす。コツ、コツ、と石の床に靴音が反響する。

 くすくすくす……。

 そのなかにふいに笑い声が混じって、ルイーザは振り返る。

 暗闇で視界はきかないが、彼の目には肩を震わせて笑う赤い髪の女性の姿が見えるようだ。

「……何がおかしい」

「ごめんなさい。冗談よ、ネリアがいるのにそんなことすると思う?」

「なんだ」

 ホッとしたようにつぶやいて、ルイーザは再び向きを変えると牢の前に戻った。ランプを置いてまた元のように座る。

「ネリアは元気?」

 唐突なルイーザの言葉に、リエラは少し沈黙する。

「元気、ていうか寝てるわよ。ほら」

 リエラはすぐ側で眠っていた小さな身体を抱え上げる。

 その幼い少女は二人の娘だった。ネリア、と名付けたのはルイーザだ。名付けた直後に別れて、再び会ったのは一月ほど前、リエラたちがこの牢獄に囚われた時のはず。

 ルイーザがランプを取り上げた。少しだけ光量を上げて、ネリアの顔を照らす。眠り薬で昏睡状態にあるネリアはその光にぴくりとも反応を示さない。

「かわいいなー」

「……親バカ」

「ええ、かわいいじゃん。いくつだっけ?」

 なんだかものすごく幸せそうな、ルイーザの声を聞きながら、リエラもいつの間にか微笑んでいる。

 心の中が幸せに満たされていくのを感じる。

 それはたぶん、悪いことではないのだろう。たとえ鉄格子越しの、ちょっとヘンな夫婦でも。

「五歳よ」

「へえ。そうだよなー、ルージアだってもう九歳だもんな。時のたつのは早いね~」

「年寄りくさいわよ」

 くすくす、笑いながら、リエラは娘の顔を見つめる。

 この子の、兄。ルイーザと自分の最初の子供。

 一族から隠して育てていたが、まだ赤子のうちにルイーザに託した。自分の顔が記憶に残るといけないから。それ以降、一度も会っていない。

「……元気?」

「ん?」

「ルージア」

 ああ、とルイーザが笑う。

「元気だよ」

「嘘」

「嘘ってアナタ……」

「言わないと殺すわよ」

 けっこう、本気だったかもしれない。嘘の気配などすぐに分かるのだ、彼が相手の場合は特に。

 はあ、とルイーザが溜息をついた。何だってこの人こんなに勘がいいんでしょう、などとつぶやいて。

「まあ、たいしたことじゃないんだけどね」

「うん」

「あの子、軍に入れたはいいんだけど。なんか自分から孤立しようとしてるみたいな感じでさー」

「ええ?」

「友達作るのはやめたんだって」

 ルイーザは肩をすくめた。

「運が悪かったんだ、あの子。僕さ、ルージアを君から引き取ったあとある村に預けといたんだけど、僕軍役あるからさ。そしたらその村がね、わりかし平和なトコだったんだけど、突如フェリア族の襲撃受けて殲滅されちゃってねえ」

 彼の口調はあくまでとぼけたものだが、そこに微かな憤りを感じとって、自身も怒りを感じて、顔をしかめる。

 けれどそこに、静かなルイーザの声が続く。

「ルージアだけは僕がギリギリ間に合って助けた、だけど村の大部分の人は死んだ。ルージアと親しかった子とか、いっぱいいたんだろーね。珍しい話じゃないけどね」

「……それで?」

「それでまた、別の村に移らせてさ。友達が出来たって言ってたな。その子が」

「うん」

「運悪くフェリア族に殺されてね」

「……へえ」

 リエラはただそう呟く。

 悲しいが、それ以上どう反応していいのか分からない。

 そんなことはこの島ではごく当たり前に、起こりすぎているから。

「一つ一つを取ればたいしたことでもないさ」

 苦笑するような、柔らかい口調でルイーザが言う。

 特に何を言われたわけでもないのになんだか慰められたような気分になる。

「ルージアの場合、時期とタイミングが悪すぎたんだ。例の友達がね、殺されたの、仲良くなった直後だったんだ。しかもそれ、前の村の殲滅からも大して経っていない」

 親しい者を次々と、失ったことになる。

 村の殲滅まではそれなりに、幸せに暮らしていたのだろうに。

「だから友達つくるのはやめたんだって」

「…………。友達の死を自分と仲良くなったせいだとでも思って?」

「さあ。そこまでは考えてないと思うよ」

 小さく、ルイーザが笑った気配が伝わった。

「たださ……気がついたら自分の横にいる人間が死んでるって感覚に……ルージアは免疫がなかったんだよ」

 怖くなっちゃったんだよ。そう、ルイーザは言った。

 親しい者が死ぬこと。それにルージアは怯えたのだ。だから最初から、友達など要らないと。

「……バカね。我が子ながら」

 リエラはそう呟いた。

 そんな彼女に、ルイーザはあっさり言う。

「まあ、無理に友達作る必要はないんじゃないの?」

「あなたね」

「友達作りは軍の義務じゃないしね」

「そういう問題じゃないでしょ」

 リエラはかすかに眉をひそめる。

「守るものがなくちゃ、人は戦えないのよ?」

 その言葉になぜか、ルイーザは黙る。否定も肯定も、茶化しもしない。

「守るものね」

 呟いた。珍しく少し意地の悪いような。

 互いに守るべき自らの眷族を裏切っている身だと、ルイーザはよく知っているのだ。

「じゃあ君は、一体何を守るのさ?」

「もちろん、あたしの愛するものを」

 即答するとルイーザが少し、驚いたような、そんな感じがした。

「へえ~」

「何」

「簡単明瞭。いいじゃん」

「……あなたね」

 くすくすと、何かやけに楽しそうにルイーザは笑っている。

「いや、僕の考え過ぎだったみたいだからさ」

「ええ? まさか気にしてたの、異民族同士だって事」

「ていうか、僕がばんばんフェリア族殺しまくってること」

「あなたが殺されるよりマシよ」

「……好きだなあ、君のそういうトコ」

 笑って、ルイーザは小さく息を吐く。

「もう行くよ」

「え?」

「そろそろ、正規の見回りの時間。少年兵が来るから、行かなくちゃ」

「……そう」

 ルイーザはランプを持って、立ち上がる。すう、と上がった光は想像通りの位置で止まり、身長伸びてないのね、と思う。大人がそんなに急成長するはずもないのだけれど。

 ルージアはどれくらい大きくなっているのだろうか?

「……ねえ」

 少し呼び止めてみたくて、言った。

「ホントに大丈夫だったの? 眠り薬まで使って。ちょっとは疑われたんでしょ?」

「まずいかもね」

 苦笑めいた声で、青年が言う。

「でも、たぶん大丈夫。これ一度きりにするから」

「……そうね」

「うん、そう。これで最後さ」

 妙に明るく、ルイーザが言って。にこにこ笑って、リエラに小さく手を振った。

「じゃあね」

「うん。ばいばい」

 軽い挨拶の言葉。リエラも笑みを返した。

 これでお終いだ。きっと永遠に。

 そうしてあっけなく遠ざかっていく靴音とランプの光を、リエラは見送った。収容所の出口の扉を開けて消えるまで、ずっと。

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