ヤン



           *


 数分前、式典恒例の長々とした挨拶を、ヤンはあくびを噛み殺して聞いていた。


「ん! であるからしてェーー」

「ふぁ」


 いや、あくび出た。そもそも、誰もが退屈に思う口上を、なぜ堂々と話すのか不思議だ。


「……」


 ヤンは視線を外して、皇帝レイバースの方を見る。久しぶりに見たが、以前とは別人のようだ。死人であると言われた方が違和感のないほど、血色が悪い。


「痩せましたね」

「ああ……非常に弱々しくなられた」


 隣のヘーゼンは、ボソッと口にした。


 ただ。


 その眼光だけは鋭く力強かった。いや……どことなく狂気めいたものが孕んでいると感じるのは気のせいだろうか。イルナスと似た澄んだ青の瞳だったが、目のクマが深く刻まれており、今では似ても似つかない。


 まるで、何かに取り憑かれているように。


「……」

「それはない」


 ヘーゼンはキッパリとヤンの思考を否定する。


「なんでそう言い切れるのですか?」

「そのような異変があれば、星読みが気づくさ」

「……」

「それに、今のあの方は、本当に人間らしい。ただ、それだけだよ」

「……」


 昨今の皇帝レイバースの行動や指示に、ヘーゼンは反発の素振りを見せない。普段ならば問答無用に粛清に走るのだが、それは、皇帝の身分だからだろうか。


 一方で。


 皇妃セナプスの笑顔は、綺麗過ぎて禍々しかった。皇帝レイバースと同じくらいの老齢にも関わらず、濃い化粧で肌にはシワ一つない。人口的な美しさを凝縮したような印象を受けた。


 ……まるで、皇帝レイバースの弱っていく様を見ることが真なら幸福かのように。


 ヤンはさらに視線を移す。


「エヴィルダース皇子が明らかにイルナス様を敵視してますね」


 目が充血して真っ赤だ。明らかに、嫉妬と憎悪と殺気が渦巻いている。


「控え室で一悶着あったのだろう。あの方は、非常にわかりやすいな」

「前にアレだけの魔力差を見せつけられて、まだ因縁つけてるんですか。懲りてないんですね」


 ヤンの見立てでは、エヴィルダース皇子はイルナスに遠く及ばない。幼児であった時すら、あのカエサル伯に一太刀を浴びせたほどの実力なのだ。


 まして、成長したイルナスは化け物だ。


 西大陸での修行で感じたが、イルナスの天賦はエゲツない。加えて、血の滲むような努力、壮絶な死線を幾度となく超えた。どう転んでもエヴィルダースが完膚なきまでに倒される未来しか見えない。


「防衛本能だよ。己の弱さを認めると、自我アイデンティティは崩壊してしまうのだろう。だから、どうしても目の前の事実を直視できないで、誤魔化しているのさ」

「……そんなものですかね」

「君は心が強いからな。エヴィルダース皇子の虚勢を理解できないだろうな」

「つ、強くないですよ私は」

「激しく図太いとも言えるな」

「いつのまにか悪口になってる!?」


 小声でヤンはガビーンをかます。


「問題は、イルナス皇太子殿下がトラウマを乗り越えられるかだな」

「……」


 言ってもないのに、勝手にヤンの思考に答える師がキモい。まあ、しかし、結局はそういうことなのだろう。


 ヤンがイルナスの方に視線を向けると、目が合った。瞬間、グッと胸を強く押さえていた。どこか調子が悪いのだろうか? 心配だ。


 開会式の挨拶が滞りなく終わった。1回戦は、ヤンも戦うので早々に移動しなくてはいけない。どこの会場に向かうか地図を見ている時、どこからともなくイルナスが現れた。


「イルナス様! お久しぶりです!」

「……っ」


 やはり、調子が悪そうだ。顔が真っ赤になって、目がちょっと潤んでいる。ちゃんとご飯食べてるのかしら。心配だ。


「こら、イルナス皇太子殿下だろう?」

「あっ! そうでした、つい。ごめんなさい」


 ヘーゼンのツッコミに、ヤンは深々と謝罪する。


「お久しぶりですね。何ヶ月ぶりだったかしら」

「ぁ……ぅ……」

「イルナス様? あっ、失礼しました! イルナス皇太子殿下?」

「ぃ……ぁ……い、いい。いつも通り、イルナス様でいいよ」

「そ、そうですか」


 声がプルプルと震えて、どもり方がエゲツない。完全に調子が悪そうだ。ちゃんとお布団をかけて寝てるのかしら。心配だ。


 ヤンはおもむろにイルナスに近づく。































「なんか、顔色悪そうですね。お熱があるのかしら?」

「……っ」


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