第60話 民草を守る者


「用があるなら申せ。直答を差し許す」

 宝余は呼吸を整えた。見下ろす軍は、彼等が持つ松明に照らされ、波打って見える。

「私はこの邸に招かれている雑班の人間です。言葉を交わすことも恐れ多い身分ながら、あえて王に申し上げます」

 大旗は眼を細めたが、無言のままだった。


「王よ、邸の封鎖を解いてください。この屋敷のうちには曹の親族や奴婢、また、たまたま居合わせた雑班がなおも閉じ込められたままです。主人が罪を得たとしても彼等は無関係です、このまま膠着状態あるいは小競り合いのなか、殺すおつもりですか?」

「曹は我等の再三の説得に答えず立てこもり、徹底的に抗う意思を見せた。事ここに至った今、我等にこれ以上何をせよと?いま私が動けば制圧はできるやもしれぬが、手負いの獣が相手では、こちらの被害が甚大になるだろう」

「無辜の民をお見捨てにならないでください、王よ。早く門を打ち壊すかして開けさせないと、皆が死んでしまいます。曹国良はもはや、正常な判断が出来ぬ状態なのです。開門が無理ならせめて、塀を乗り越えて来る者を討たぬとお約束ください…」

「女!大旗へ対しあまりにも無礼であるぞ。勝手なことを申すな、この愚民が!」

 瑞慶府尹が叱りつけ、矢が一斉に宝余に向けられたが、王は鞭を水平の高さに上げ、構えをやめさせた。


「そなたの言うことは正しい。だがいま門の封鎖を解けば、彼等は死に物狂いで内側から討って出てこよう。どちらにせよ大きな犠牲になる」

 宝余は首を振り、必死で言いつのった。

「彼等は手負いの獣ではありません。本当は、雇い入れた私兵数十人、後は進善党の軍兵ですが、この邸を囲んでいる人数からははるかに少ない。それ以外は、みな兵士以外の人間です。お邸は王の御力をもってすればすぐに制圧できるでしょう。曹の行方はわかりませんが、邸内にいるのは確実で、まだ生きているかもしれません。生きながら彼を捕えて詮議にかけ、曲直を明らかにするほうが理にかなっているのでは?」

「――兵云々の話は事実か?そなたを信用できるな?」

 答えの代わりに、宝余は右手の剣を、皆に見えるようにかざした。塀の外側の人間はみな身構え、またもや弓矢が引き絞られる音がする。刃が軍のともす松明を反射してぎらりと光った。

「私の言うことがもし偽りであれば、私はただちにこの短刀で自害します。この命をかけて、王に真実をお約束申し上げます。けれども、このまま時が過ぎて何かが起き、結果として無辜の民が巻き添えになるとしたら、王にとっては恥辱にも値することになりましょう」

「……」

「さあ開門か否か、お答えをお聞かせください」

 王は一瞬目を瞑り、だが次の瞬間には大声を放った。

「全ての門の封鎖を解け、工兵は出でて正門の破壊にあたり、将軍以下は彼等を援護せよ。開門後、直ちに府兵は邸内に入り、曹の身柄を確保するように」

 そして、再び宝余を見て、

「こちらに来るがよい!」

 と呼ばわったが、彼女は叫び返した。

「王命に背く大罪なれど、私があなたのところへ行くのは、まず邸の全員が外に出てからにします!」

 ひらりと身を返し、塀の内側に姿を消す。顕錬も後ろを振り返り、手にした鞭を振り下ろした。

「私が先頭に立つ、みな私に続け!」


 塀から飛び降りた宝余はほっとして顔を上げたが、そこには忠賢の厳しい顔があった。

「話はつきました。大旗は命令を下されました。ここの人たちは助かるでしょう」

「…何者だ?」

 宝余は後ずさった。手首を男につかまれている。その表情は張りつめたものだった。

「お離しください、班主」

 つかまれている力は強い。手首から先がうっ血しそうであった。

「そなた、一体何者だ?大旗との会話、ただ事とは思えない。お前は――」

「…座員の前身を問わぬのは、古今変わらぬ班の定め。次代の大班主自らそれをお破りになるおつもりですか?」

「…」

 男の手の力が緩んだ。

「そなたはどこへ行こうと?」

「皆が逃げられたかどうか、残って確認します。私は…」

「それは宝余のやるべきことではないだろう、府の人間に任せておけばいい」

「全ての生者が門外に逃げた後でないと、外へは出られない。私には責任があるから」

「一体何を言っている?一体何の責任だ」

 忠賢がつばを飲み込む音がした。

「――そなたがあの男の妻だからか?民草を守る国母としての義務感か?」

 二人の間に、沈黙が落ちた。

「……私は行きます」

 くるりと宝余は背を向けた。

「待て、一緒に行こう。俺も班を守らねば」

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