第58話 乱心

 忠賢とともに書房に足を踏み入れた宝余は、強い酒の匂いに眩暈がした。曹国良は部屋の敷物のうえにとぐろをまいて座り、酒精に濁った目を上げた。


「曹大人、王もご出駕されたと聞きました。あなたはもはや籠の鳥、どうしたところで勝ち目はありませぬ。このうえはお覚悟を決め、喪服をお召しなさいませ」

 喪服を着て王の面前で降伏の意を示し、慈悲を請うべし――そう忠賢は言っているのであった。

 宝余も忠賢に口調を合わせた。

「大班主の申す通りです。いかに王が慈愛深き方とはいえ、ことここに至れば如何ともしがたいでしょう。どうかご意思をまげられてでも、あえて恭順の意を王にお示しください。謀反は天朝の法と烏翠の国法、いずれにおいても大罪です。このままでは曹家はおろか、多くの臣僚の家が滅亡してしまいます」


 宝余の言葉に対して罵声が返ってくるかと思いきや、曹は低く小さな声でわらうのみだった。

「そんなことはわかっておるわ。だがな、あの王の足元になぞ跪かぬぞ。断じてな。どうせ死ぬのであれば、みなもろともに地獄へ引きずり込んでやる。――そなた達も含めて」

 言われた二人は互いに顔を見合せ、また恐る恐る邸の主人を見た。

「曹大人?」


 曹は酒盃をあおって、遠い目をした。

「そなた達は、古い陵墓の中を見たことがあるか?」

 唐突に、想像もしなかったことを問われて戸惑ったが、忠賢と宝余はそれぞれ枯れた声で「いいえ」と返事をした。


「そうか、……私はあるぞ、むかし臨州の太守となっていたときにな。あれはいずれの年だったか、豪雨である墳墓が崩れ、羨道せんどう玄室げんしつがむき出しになってな。すぐに荒らされたようで、副葬品もほとんど持ち去られてしまったが、それでも一応は視察に行ったのだ。そのとき、地面に打ち捨てられていたものがあった。おそらく盗掘者達が『値打ちなし』とみなして置いていったのだろう。一体何だったと思う?」

 また曹は酒を口に流し込んだ。

ようさ。技芸人の――ちょうど男女一対で、お前達のようだった。ふふふ、ちょうどよいではないか、俑でなくとも生身の芸人が、わしの死出の伴をしてくれるとは。いかな王でさえこうは行くまいて。そら、そこにある」


 曹が指さした方を観ると、黒檀の飾り台の上に、小さな二つの俑が載っていた。脇の灯りに照らされて、ぼうっと浮かび上がっている。ひとつは袖で顔を隠しながら舞う女、ひとつは太鼓を叩いている男。


「…家人はみな嫌がってな。墓から出てきたものを薄気味悪い、と。わしはそうは思わん。どうせだれでも遅かれ早かれ墓に入るのだ。今から慣れておくのも悪くなかろう?要するに、お前たちは生ける俑なのだ、わからぬか」


 曹はよろよろと立ちあがると、柱にかけてあった大刀を手に取った。鞘を払い、凍った光を放つ刃を二人に突き付ける。

「知らせが来たわ…王と弦朗君が轡を並べて我が邸に来るとな。上等だ、雁首揃えたところを血祭りに上げてやるが……まず、そなた達からだ。そなた達から…」


 すでに曹は狂気を発していた。泥酔状態であるのに、襲いかかる白刃は力強かった。すんでのところで剣をかわし、忠賢は宝余を抱くように書房を飛び出す。

「皆はまだ大庁に?早く逃げなくては。このままだと巻き添えを食うわ!」

「逃げるといってもどうするんだ、正門は閉ざされてしまっているぞ!」

 班の皆を探して正門の方に戻ると、門の近くには邸の者達が集められていた。二人は建物の陰に隠れ、様子を伺う。

「あれを」

忠賢が指差す先には正門を警備する私兵と軍兵がおり、それぞれ弓を内側にむけてつがえている。明らかに、逃げ出そうとするものを射殺する意思を示しているのだ。

そのとき、何かの音を聞いて宝余達ははっと振り返る。

「もう駄目だ」

 忠賢がうめいた。外にははっきりとした人馬の気配――しかもそれは四方から迫っている。

「――瑞慶府の兵か、禁軍か。どちらにせよ、俺達は囲まれているぞ」

 宝余は唇を噛みしめて正門を見つめる。

――弦朗君が瑞慶府治を経由して王宮に走っただろうから、私がこの府に還ってきたことは大旗もご存じの筈。でも、この邸にいることまでは掴んでおいでだろうか。燕君は……どうだろう、あのような性格だから秘密を守り、王にすら私の行き先を教えていないかもしれない。どのみち、私は表向き「瑞慶宮にいる」ことになっているのだから、いくら王でも私のことを名目にして簡単に動くことはできない。となると、私のほうから出て行って救けを乞うしかない。でも、どうやって…?

「塀を乗り越えるしかないでしょう」

「塀だって門と同じことだ。塀によじ登った瞬間に、あの世行きだぞ」

「待って!」

「いいか、曹国良も瑞慶府も絶対に門を開けさせない。もちろん、これからどうなるのかわからん、王と曹との間で小競り合いになるのか、曹の私兵と軍兵で内輪もめを起こすのか。ただどちらにせよ、俺達はこれのとばっちりを食うことは必然で、あいつらは邸の人間俺達のことなど知らないか、知っていても俺達なんぞのためには門を開けない」

「待って!」

 宝余の声が大きくなり、また低くなった。

「…門を開けさせてみせる」

 忠賢は、驚愕を通り越してほとんど噴き出しそうな顔をしていた。

「お前がか?一体どうやって」

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