第49話 帰るべきところへ

 一行は、ほっと胸を撫でおろした。いささか手違いが起こり、策略の手順こそ狂ったが、とりあえず大班主の御旗の威光を利用すれば、何とか北城まで渡れそうである。


 そうはいっても宝余達はすぐには自由にならず、門前でかなり長いこと待たされた。みなじりじりと事態の展開を待っていると、やがて別将が戻り忠賢に告げた。


「おぬし達、曹国良さまが班を明日より三日間雇い入れたいとのお言葉だ。前祝いと称しての宴会に座興をせよと仰せにつき、いまから蔡河を渡れ」


 そのまま否やを言わさず、別将と騎兵達は連行するかのように班を乗騎で挟み、南城を南北に突っ切った。

 ――いったいどういうことか?

 思わぬ風の吹き回しに宝余は首を捻っていたが、やや前を歩く弦朗君も同じ気持ちでいるらしかった。進善党の領袖が前祝いとは――では、いよいよ謀反でも起こすつもりなのか。

 むろん、班の皆はいきなり新たな雇い主が現れ困惑したが、いかめしい兵士達の軍装は、内緒話をもためらわせた。遊芸人の集団と将兵という珍妙な一行のためか、宝余達は行きかう人々の好機の眼に晒されながら歩かねばならなかったが、やがて蔡河の前に出た。上流で雨でも降ったのか、水かさは増えており流れも速い。河の向こうには宝余にも見覚えのある家並みと、それの背後に王宮の瑠璃瓦が見える。


 ――とうとうここまで来てしまった。


 皆から少し離れて立つ宝余は感慨に打たれた。婚儀のためにこの河を龍舟りゅうしゅうで渡り、顕錬とともに微服して小舟を使い、そしていままた舟で北城にわたる。岸の向こう側を望み、宝余は涙がこぼれそうになった。


 ――私は所詮身代わりなのだから、身代わりでいいと思っていた。でも、やはりそれだけでは虚しい、と心の底では思っていたのだろうか。

 宝余は切なく、苦い思いに浸されていた。

 ――二人で手を重ねていたはずなのに、私は一度、その手を放してしまった。相手の話もよく聞かず、戒指を左手に移してしまった。あれさえしなければ、もっと状況は違っていただろうか。王と私、互いに頑なな態度を改めていれば、関係も変わっていたのだろうか。

 起きてしまったことは取返しがつかない、それは宝余もわかっていた。だからこそ。


 ――彼は、私のことを思ってくれているという。今も気持ちにお変わりはないだろうか。もう一度、あの方にお会いできるとしたら、またやり直せるかどうか、隣の座にいてもよいのかを、自分の目と耳で、直接確かめたい。結果として、いかなることになっても仕方ない。でも、もし叶うのであれば、あの不器用で、国を立て直そうと懸命になっておられる方――あの方のお側に侍して、支えになってさしあげたい。ああ、まだ間に合うといいのに。


 渡し場には瑞慶府の旗を掲げたやや大きめの舟が二艘停泊しており、班は二手に分かれて載せられた。宝余は忠賢や愛姐、大班主と同舟したが、弦朗君とは別れてしまっていた。弦朗君達の舟が先に出て、宝余達の舟もやがて川面に滑り出る。


「私、この都は三度めさー」

 対岸を眺めながら愛姐のとりとめのない話をぼんやり聞いていた宝余は、はっとして思わず立ち上がった。

 いきなり危ないじゃないか、舟がひっくり返っちまうよ――誰かの抗議も耳に入らず、宝余は「あれを――!」と叫んで前の舟を指さした。つられて皆もその方角を見て悲鳴を上げた。


 前の舟は沈みかけていた――というより、沈められていた。どうもこれは罠で、初めから舟を沈めて班ごと皆殺しにするつもりらしく、舟の乗員がみな河に飛び込んでいく。底に穴でもあけたのだろう、ゆっくりと舟は河のなかに引きずられていった。

「おい、どうするんだ!…この舟も!」

 忠賢もはっとして自らの座る甲板を見たが、水が上がってきていた。

「何ということだ…畜生、俺たちを殺すつもりなんだ」

「彼等は御旗ごと沈めてしまうのか……狂っている。まるで天朝への謀反のようだ」

 忠賢は呻くようにつぶやいた。


 全員がうろたえるなかで、大班主だけが動じない。何とか活路を見出そうと宝余が見回すと、ふと視界の隅にもう一艘の舟が映り、藍芝の前に立ちはだかり、兵の刃から守ってやろうとする弦朗君の姿が見えた。しかし兵は容赦しようともせず、剣を二人の上に振り上げている。

「危ない!」

 宝余が叫んだその刹那――。

 川面がいきなり盛り上がった。水が逆流する滝のように吹き上げ、二艘の船に襲いかかる。宝余はその大量の水のなかから、白く、赤い眼を持つ龍が飛び出してくるのを見た。艶めかしく光る鱗、爛々と輝く双眸、虹色に輝く爪――。

「――!!」


 宝余と愛姐は、抱き合ったまま悲鳴を上げた。龍は逆巻く水の渦に船を巻き込み、高く吹き上げた。兵士達は木の葉のように空を舞い、また水面に落ちていく。そして、班の皆は折からの大風に張り飛ばされるように、団子のようになって水面の上を転がって行く。宝余はそこまで見届けると、意識を失ったが、その前に龍が言葉を発するのを彼女はかろうじて聞いた。


 ――さあ、帰るべきところにお帰りになるが良い。二つの相を持つ御方よ。

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