0ー11

 死にかけの少年がICUに運ばれてきたのは、午後一時を過ぎた頃だった。

 無機質な電極の張られた四肢はまるでミイラのように干からびて、骨と皮だけの身体は目も当てられない。行方の掴めないなか部下たちが雇った探偵は有能で、限られた期間で目的を果たしてくれた。その仕事ぶりには驚嘆の意気がある。

 だが、子どもは今にも消え入りそうだ。やはり虐待を受けていたのだろう。所々に骨折や炎症のある幼いグレーテルは、母と暮らしていた家の玄関付近で、辛うじて生きながらえていたそうだ。

 少年は集中治療の結果、一命を取り留めた。医者によると、あと数分発見が遅れていれば、危なかったらしい。

 私はその事実にぞっとしながら、ただあの子の回復を待った。

 3年前のあの日、すみれと再開した喫茶店で最後に視た栗色の少年。彼が私の息子だったのだ。触れれば崩れてしまいそうな息子の手を握りしめ、口を結ぶ。



 2週間が過ぎた。

 少年は意識を取り戻した。戸惑いを隠せない彼に、私は説明を行う。もちろん、自分が父親であることは口が裂けても言えなかったが。


「私は君のお母様の遠い親戚でね、彼女に親族がいたと聞いて必死に君を捜していたんだよ」


 話の内容は、胡散臭さかったが、純粋な彼は快く受け入れてくれた。礼儀正しく、とても誠実で、私は奥歯を噛み千切りたくなった。


「そうですか、母のことを……」


 屈託のない笑みを懐かしく感じる。やはり、どこか面影のある眼差しは私の心を蝕んだ。もう君はいないのだと、今一度鑑みる。

 主治医の報告で、危険は脱したそうだ。まだ少し経過を観察する必要があるが、様子を診て、早ければ今週中に退院出来るらしい。

 私は浮かれていた。自分の長男に会えたからではない。その出で立ちの奥にある彼女の残り香を垣間見た所為だろう。

 そうして、つい余計に関わりを持ってしまう。

 主治医の軽い診察が終ると、気を遣ってくれたのか。部下たちが席を外してくれた。私は話題を考えるので精一杯で、どうしたものかと首を傾げる。

 沈黙が五分ほど続いただろうか。少年が微苦笑を浮かべ、一息吐く。

 あさっての方角を見据え、髪に隠れる顔が完成した表情を作る。


「――ところで」


「?」


 声音が変わる。まるで咎人を諫める尋問員のごとく、あくまで慈悲深く、目が細まる。


「いつになったら、謝罪が聴けるのかな? ――父さん」


 空気が歪な音をたてた。

 悪意がゆっくりと形を帯びる。その息苦しさに私は思わず身震いした。冷や汗が背中を流れ落ち、全身の毛が粟立つ。

 さきほどの親しみ深い少年はどこにもいない。あるのは憎悪。貪欲な本能を放出し、彼は獲物を見据える。

 冷笑が靡く、まるで死を求めるように瞳はキツく睨みが効いている。私は目を見開いた。


「知らないとでも思ったのか? だとしたら、無能にもほどがある。あの人の遺書に書いてあったよ」


 遺書。そんなもの初めて知った。冷や汗が首を伝い、身体は微動だにしない。迂闊だった。

 忘れていた。彼はアイツの子どもなのだ。だから、この子がオレの事を知っていても不思議じゃない。

 純白の世界は、まるでアイツに視られているような錯覚を覚える。これがオレのしてきた結果だと突きつけるように、嘲る声が耳に届く。


「言いたいことは山ほどあるさ、でもこの際それはいいよ」


 少年は淡々と話を進める。あっけらかんとした口調は逆に歪だった。

 私はそれをただ聞き流すことしかできない。丸いすの角が太股を圧迫し、にわかに後悔を憶え始める。



 施設から逃れた彼を襲ったのは、餓えと乾き。気絶するように毎晩野宿を選び、僅かながらの体力でかつての家を目指したという。だが、少女体質だった彼は時折強姦に逢った。もちろん女性と間違えた場合も多かったが、詳細は語ってくれない。

 やっとのことで目的地へ着いたのは三日前。そうして事切れるように、意識を途絶えさせ今に至る。

 自嘲気味に話す少年の横顔は私の想像を遙かに超えた。全身ががくがくと震え、彼にどう接すればいいのか解らない。

 これが私の起こしたことの全て。これが私の過ち。

 無意識に涙が漏れた。どうして。どうしてこんな酷いことが人間にできる。


「――っ」


 後悔なんて言葉で片付くものではなかった。そんな表せて良いはずがない。

 私の軽率な行動が、その選択が、全てが。彼の人生を決めてしまった。

 けれどそのことに、少年はさほど興味を持っていない。


「まあ、どうでもいい、、、、、、ですけどね」


 そういって乾いた声を上げた目は、死んだように笑っていない。私はただ俯くことしか出来なかった。太股に拳が食い込み、ぎちぎちと音をたてる。

 この子は狂っている。

 そして、それは私の所為だ。

 おどけた表情で笑う少年は、けれども直ぐに、顔を濁らせる。


「……本当に、すまないと思っている――」


 床に額を擦りつける。両手を叩きつけて、深く、深く、頭を下げる。だが、ようやく出た謝罪の意は、彼の導火線に灯を点けた。


「――――は? は?は?は?……はぁ?はぁ?はぁ?――はぁッ?!!」


 断末魔のように熱を帯びる声が、しだいに荒がる。嫌悪に滲む台詞。


「僕じゃないだろ? 謝るのは僕じゃないだろっっっ!!!」


 怒号がなり、殺意の塊が湧き上がる。


「……なんでだよ、なんで――?」


 答え求めるように。潤みを孕んだ瞳が、私を視る。


「なんで愛してやらなかった……? あの人はあんたを――」


 熱い光が頬を濡らす。その通りだった。アイツには俺しかいなかった。俺にはアイツ救う義務があった、責務があった。なのに俺はそれを拒み、平然と生きている。


 ガコ―ッ。


 鈍い音が清々しいほど勢い良く割れる。植物の香りを含んだ水が髪を濡らし、粉々になった欠片が額を裂く。

 血生臭い衝撃とともに意識が霞む。後方に倒れ込んだ私は、少年とその右手の花瓶だったものを交互に見返した。数秒遅れて、痛みが滲む。


「――ッ!?」


 オレは茫然と彼を見据え、虚ろな視界を懸命に凝らした。殺意の目が私を捉える。まるで死ねとでも言っているように、蔑んだ眼差しを送る。

 意識が遠のき、そして――。


 次いで目を醒ましたときに、もうその影はなかった。


 窓ガラスを叩き割られ、カーテンが引き千切られている。どうやらロープ代わりにして逃げ出したようだった。私はもうどうにかなっていた。神経が麻痺して、まともな思考もままならない。

 

 そうして三日後の朝、彼の遺体が発見された。


 病院から南に3キロ離れ道端で、首と胸を含む全49箇所に及び、刃物で刺された彼の亡骸は、彼らの家から数百メートル離れたところだった。

 秘書が坦々と。流れるように実務をこなす。

 オレは生気の失われた瞳を辛うじて起こし、それを聞いた。

 後に解ったことだが、彼等の捜索が難航したのは、すみれの苗字が『穂波』ではなかったからだ。

 いまでこそ思い出したが、あいつは離婚の際、母親についていった。つまり『穂波』という名前は住所のどこにも記載されていなかったのだ。

 彼女の母親の旧姓は『茶柱』。

 そして、息子の名前は茶柱■■。

 それがオレの子どもの名前だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る