7. 松原、酩酊する
鶴見舜は、深い満足感とともにベッドの中でまどろんでいた。次回作について情熱的に語っていた
松原ハジメの生き生きした顔を思い出すと興奮してしまい、そこまで強くもない酒を買って一人で晩酌をしてしまった。
ちびちびとビールを飲み、冷凍ピザを焼いて夕食にした。室内には「tipi」のCDを流し、ほろ酔いになりながらもメロディラインを懸命に追う。
「松原さんからの次の連絡、楽しみだな」
──勇気を出して連絡してみてよかった。
しみじみと口に出して言ってしまう。
そのうちに、いい気持になりながらベッドに横たわり、ヘッドホンで次々に気に入っている音楽を聴き続けた。至福の時間だ。
まどろみながらふと手元のスマホが目に入る。ヘッドホンをしていたのでまったく気付かなかったが、着信を知らせる画面が表示されていた。
発信者は柏木美穂。
舜は慌ててヘッドホンを外して、電話を取った。
「はい、鶴見です」
取るやいなや、柏木美穂の切羽詰まった声が飛び込んできた。
「何で電話に出ないのよ!」
ものすごく怒っている。トラブルだ、と推測してあまり回転しない頭でどの案件か記憶をなぞる。
「すみません……ヘッドホンしてて。何かあったんですか?」
「あったも何も……!tipi関連の情報見てみてよ」
「えっ?」
何だかとても、嫌な予感がした。舜ははやる気持ちを抑え、「tipi」と検索してみる。
〝ロックバンド 『tipi 』 解散 ・無期限活動休止〝
音楽に特化したニュースサイトの最新記事が目に飛び込んでくる。
「……何だ、これ」
オフィシャルサイトは松原たちが手を入れることはない。舜は松原自身の手によるもっとも新しい書き込みを追った。するとあっさりと、数時間前の書き込みが見つかった。
「僕たち『tipi』は、本日をもって解散することに決定しました。ベースの山川くんはこれを最後に、一切の音楽活動を辞める決意を固めました。僕、松原ハジメは期限を決めずしばらく音楽から離れることを決めました。今後は別の道を歩みますが、これまで『tipi』を応援してくださった皆様に心からお礼申し上げます。ありがとうございました」
解散。
音楽活動休止。
舜は活字を目で追いながらも、思考が停止してしまっていた。いやいやだって、つい数時間前まで松原さんは語っていたんだ。
必死に自分に言い聞かせるが、気持ちが目の前の事実を受け入れない。楽しそうに、少し照れくさそうに話していた松原ハジメの顔がちらついた。
──解散を決めていたのに、嘘をついていたってことか?
しかしどう思い返してみても、松原の口調が演技だったとは考えにくい。そう思い込みたい気持ちが現実を直視することを拒んでいるのかもしれなかった。
舜は何度も何度も松原の書いた文章を読み返していたが、内容が変わることはなかった。
「今頃びっくりしてるかもしれないなあ。悪いことをしたと思います」
松原ハジメは、ぬるくなった数杯目のビールに申し訳程度に口を付けた。
──このまま帰りたくないんで、飲みに付き合ってもらえませんか。
そう言って、松原ハジメは藤井に頼みごとをしたのだ。
「いいですが、私は飲食のほうはちょっと」
藤井はおかしな断り方をした。「酒が飲めない」という断り方ではなく、「飲食」という言い回しが引っかかる。しかし藤井は快諾した。
「ですが、喜んでお付き合いいたします」
言葉通り、藤井はオーダーをしたものの、飲み物にも食べ物にも決して口をつけなかった。
最初は奇妙だと思っていた松原も、杯を重ねるごとに気にならなくなってきた。
松原は意を決したようにスマホを取り出すと、何やら打ちこんでは消し、しばらく押し黙ってはまた文字を打ち込んだりを繰り返した。
そしてようやく吹っ切れた顔をしたのだった。
「実はね藤井さん」
呂律のあやしくなった口調で松原は切り出した。
「本当はもう俺たちのバンドは、もうダメなんす。亀裂どころか、壊れてるんす」
「……と言いますと?」
藤井が注意深く訊ねる。ビールから日本酒に切り替えた松原にお酌までしてくれている。
「本当は前のCD出した時点で、山川くんは抜けたいって言ってて……」
言葉が喉につっかえるようで、松原は日本酒をあおった。
「告知のタイミングとかは俺に任せるって言ってくれてたんです。それを俺が、先延ばしにしてたんです」
藤井は頷くだけで、何も言葉を発さなかった。
「これでよかったんですよ」
松原ハジメは、大げさに頷くと一気に酔いが回るのを感じた。
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