金曜日よりの使者

 その音を覚えている。

 何かで何かを弾いた、乾いた音が鳴り、圧縮された空気が解放されたような音。

 カチ、カチ、プシュ。

 あれはいつ、どこで、鳴っていた音だったか――それは思い出せなかった。


 ぼんやり覚えている。

「馬鹿なやつ。わたしなんかかばって死ぬなんて」

 黒い服を着た人たち。縦長の箱の中に横たわる、父親。

 今思い返すと、あれは葬式だった。

 母は涙を流さず、死に化粧が施された夫に向かって、ただ悪態を吐いていた。

「ほんと……馬鹿」

 母がどんな顔していたかまでは思い出せないが――声は確かに震えていた。

「こんなときまで強がらなくていいのよ」

 そう優しく母に声をかけたのは……確かわたしの父の母親、わたしのお婆ちゃんだった。

 が、母は首を横に振った。

「こいつは私には笑っていてほしいって言ったから」

 母は泣きながら笑っていた。

 それ以来、わたしは母の泣き顔を見たことがない。


「なんでわたしが……」

 その日、わたしは不機嫌だった。

 朝早くに、母に叩き起こされ、朝食を摂ることを強いられ、車の中へと拉致られた。

 実の娘に、なんだこの仕打ちは、と憤慨を表すわたしに、母は一言、

「墓参り行くよ」

 とのことだった。

 見れば、車内には姉と兄もいた。

 運転席には兄。助手席に母。後部座席には、わたしと姉。

「にい、シートベルトちゃんと締めて」

 隣に座る美人が、話しかけてくる。にい、とはわたしのことである。

 こいつはわたしの姉。本邦初公開。

 姉は25歳の社会人。職業はOLだが、その実態は、同人作家でもある。

 美人同人作家として、その筋の界隈では、それなりに有名だ。

 わたしがアニメやゲームを好きなのは、この姉の影響である。こんな姉と数十年も暮らせば、わたしがこんなふうになるのもしょうがないわけで。

 お兄ちゃんはならなかったけど。

「墓参りとかめんどくせえ。ネトゲさせろ」

 窓側の席に座り、頬杖をつくと車が発信した。

 今日、即ち8月15日は父親の命日だった。

 この日はお盆も重なり、家族で墓参りに行くのが、うちの決まりであり定例行事である。

 とはいえ近年のわたしは面倒臭がって行くことはなかった。

 墓参りに来るのは成海家だけではない。親戚やお父さんの友人も来る。人見知りのわたしとしては、その人たちに会うのが苦痛でしかなく。

「クソどうでもいいわー。お父さんとの記憶とか全然ないし。かったりぃ」

「マジでクズだなこいつ……」

 お兄ちゃんから忌憚のない罵倒を頂く。 

「クズなにいも好きだよ、私は」

 アリガトーオネーチャンウレシクナイ。

「新子が物心つく前に死んだからね。まぁそう思うのも無理ないでしょ」

 わたしを擁護してくれたのは、意外にもお母さんだった。

「仮に今生きてたとしても、新子はあいつのこと嫌ったかもね」

 と、苦笑交じりのお母さん。

「なんで?」

「あいつ、アウトドア派だから。休日のたびに外連れ回されるわよ。しかも出先で絶対酒飲むから、さらにうざさアップ」

「あー……」

 父親が上戸というのはお母さんから聞いていたが。

 超絶インドア派のわたしとしては、それは確かにいやかも。

 まぁそれでも。

 一回くらい、生前の姿を生で見てみてかった、と思わんでもないけど。


 車に揺られること30分。

 着いたのはさいち墓苑。地元の公共墓地である。

 多くの墓標が整然と並び、昼間でもなんかちょっと怖い。ホラーゲーは好きだけどリアルホラーは苦手。

 受付を済ませ、その足で父親の墓場へと赴く。

 墓地という場所へ来るのが初めてだった、わたしの開口一番。

「うぉ……人死にすぎだろ」

 などと独り言ちつつ、母さんたちと歩く。

 他に人はいなく、昼間なのに静かなものだった。

 父親の墓は北東の方角の一番端。

 それは巨木の傍にあり、枝葉によって直射日光を避けられる位置にあった。外出が億劫な陰キャとしては、不幸中の幸いである。

 とりあえず巨木の傍に腰を下ろし、道中で買っておいた缶ジュースなどをごくごく飲む。

「ちょっと。あんたも手くらい合わせておきなさい」

「えぇ? めんどくせえなぁ……」

 ぼやきながらも言われた通り、墓の前で手を合わせた。

 わたしにとっては全く無意味な行為である。物心ついたときには父親は既にこの世にいなかったし、父親と共に過ごしたという実感もないからだ。父親と過ごした記憶は全くと言っていいほど無い。

 一分ほど手を合わせ、次は墓の掃除である。

 母は墓石を磨き、わたし兄姉妹の役目はゴミ拾い。といっても、この霊園自体、しっかり掃除が行き届いているようで、ゴミの類はほぼなかった。

 で、十分ほどで全ての掃除が終わった。とほぼ同時に母のスマホが鳴る。

「あ、着いた? うん、こっちはもういるよ。じゃあ、今から行くわ」

 どうやら親戚の面々が着いたらしい。

 母は缶ビールを墓前に供え、

「ちょっとわたし迎えにいくから。気切、荷物あるらしいからあんたも来なさい」

「げっ。分かったよ」

 母と兄は霊園の入り口に戻っていく。

 取り残されるわたしとお姉ちゃん。

 そうだ。いい機会だから訊いておこう。

「お姉ちゃん」

「ん?」

「お父さんって、なんで死んだの?」

「登山中に熊と遭遇して相打ち」

「すげえな!!」

 今日一のリアクションを見せるわたし。

 その叫び声に驚いたのか、巨木を止まり木にしていた鳥たちが一斉に飛び立つ。

 いや、だって叫びたくもなるわ、こんなん!

「いいお父さんだったけどね。優しかったし。気切には厳しかったけど」

「ざまぁ」

「にいは気切に厳しいよね……っと桶戻してくるね」

「あいよ」

 お姉ちゃんは桶を持ってその場から去って行く。

 うーん、一人になってしまった。やることもないので、スマホをポチポチし始める。

 と、

「よう」

 木を背もたれにしてゲームなどをしていると、頭上からおっさんの声がした。

 一瞬身構えたが、こんなところに来る、かつ、わたしに話しかけてくるのは親戚の誰かだろう。

「こんにちは」

 と一応返しておく。

 そのおっさんは写真の中の父親とよく似ていた。

「もしかしてニー子?」

「あ、はい。そうです。あの、おじさんは?」

「そいつの弟」

 おっさんは父の墓を指差した。

 なるほど。

 このおっさんはどうやらわたしの叔父らしい。確か以前、お母さんがあいつは兄だか弟いるとか言ってたような気がしないでもない。

 彼はまじまじとわたしを見て、一言。

「でかくなったなぁ。でも目つきわりいなぁ。誰に似たんだか」

 たぶんお前の兄だよ。

 彼はおもむろに墓前に立ち、


 カチ、カチ、プシュ。


 それはいつか、どこかで聞いた音だった。

 父の弟を名乗る男は、プルタブを爪で弾きなら、備えられた缶ビールを開けた。

 そんでもって、普通に飲み始めた。

 ……。

 このおっさん、もしかして、やべーやつか?

「かー! やっぱ夏に飲むビールは最高だなぁ!」

 おめーは最低だけどな!

 彼はこちらの気持ちを尻目に、

「どうよ? 最近」

 なんか世間話を始めた。

 つかみ所の無い、飄々としたおっさんだなぁ。でもって陽キャの気を感じる。苦手なタイプかもしれん。

「どうもこうも……普通ですけど」

「普通ねえ。学校つまらんの?」

 うん、と答えかけて、それを飲み込む。

「……勉強は嫌いだけど、つまらなくもない、と思います」

 頭に浮かんだのはサクちゃんを始めとした、友達だ。彼女たちと共有する時間をつまらないとは思えない。むしろ楽しいし。

「そりゃ良かった」

 彼はビールをあおり、

「好きなやつとかどう? 彼氏とかできたか?」

 お前に関係ないだろ、とは言えず。

「そんなもんいません」

 即答するわたし。

「だよなぁ。そういう感じだもん」

 こいつ殺すか? そういう感じってどういう感じだよ! もしや周囲からそういうふうに見えてるのかわたしは! 実際いないからなんも言えんけどさ! 悲しい!

「ありちゃんは男女問わずモテてたんだけどな。あいつに育てられた娘なら、そうなりそうなもんだが」

 モテなくてすみませんねえ。ところでお前いつ死ぬ?

「まぁ」

 とおっさんは話を区切り、空になった缶ビールを墓に戻した。

 全部飲みやがったよこいつ。

「元気にやれりゃ、それでいいよ」

 おっさんは、口角を上げて嫌味なく微笑む。

 ……その表情が少しだけ気になった。

 微笑んではいるのだが、どこかこう、哀愁というか郷愁というか。二度と戻らない船を見送るような、そんなふうにも見えたからだ。

 本当、よく分からんおっさんだ。

「にい、なにしてんの?」

 ふいに背後から声。振り向くと姉がいた。

「なんか話し声聞こえたけど?」

「あぁ、今ちょっと――」

 わたしはおっさんに向き直る。

 しかしそこには誰もいなかった。

「え? あれ?」

 辺りを見回すが、そこにあるのは無数のお墓だけ。わたしと姉以外、この場に存在する人間はいなかった。

 隠れた? 今の一瞬で?

 んなわけない。そもそもお姉ちゃんも見てるはず。

「ははーん。さてはまた、ゲームでブチ切れてたんでしょ」

 ……どうやら見てない臭いぞ。盛大に的外れなこと言ってやがる。

 だとしたらあれは幻覚? 幻聴? 夢? 寝てたわたし?

 ――まさか幽霊?

 おぼんに墓地。シチュエーションが完璧すぎる。

 いやいやいや、この令和の時代にねえ? 幽霊とか非科学的すぎますよ。スピリチュアルとかわたし門外漢なんで。

 駄目だ。分けわからん。

「あー!」

 突然、姉が大声を出す。

 なに? わたし今混乱中なんだからちょっと静かにしてくれ。

「にい、もしかしてこれ飲んだ?」

 目の前に突き出されたのは空になった缶ビール。

 むろんさっきおっさんが飲んだものだ。

「マジ……?」

 決定的だった。

 あれは幻覚でも幻聴でも、ましてや白昼夢でもない。あのたったひとつの缶ビールが、おっさんがそこに居たということを物語っている。それは力強い事実だ。

「それ飲んだの叔父さんだよ、マジで」

 姉ちゃんは目を丸くした。

 そしてニヤっと笑った。勝利を確信したような、いたずらな笑みだ。

「へー。お父さんには姉しかいないんだけどなぁ」

 頭が空転した。

 姉……しかいない?

 じゃあさっき、父親の弟を名乗った、あのおっさんは……?

「昔からにいは嘘が下手だね。そういうとこ、お父さんとそっくり。すぐばれる嘘つくんだもん」

 嘘が下手……すぐばれる……そして、いつか聞いた、あの音。

 カチ、カチ、プシュ。

 優しい風が頬を撫で、髪を揺らす。見上げればそこには雲一つない青空。小鳥が日陰で囁き、セミの鳴き声が、夏の日々にこだまする。

「あぁ――そうだったんだ」

 知らず、呟く。

 そんな、アルハレタナツノヒノお話。 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る