積怨
さて、得たお金をどうするか。
私はそんなことを考えながら、街中を歩く。
とりあえず、貯蓄をするのは絶対だ。
これから生きていく上で、先立つ物は必要だし。
それから、テレイアさんとあの子たちに何か買っていこうかな……何が良いだろう?と、市場を見る。
玩具よりも、食べ物やお菓子の方が喜ぶだろうな。
彼らの笑顔を思い浮かべると、さっきは全く動かなかった表情筋がちゃんと動くから不思議だ。
ニマニマと笑いながら幾つかの店を回って、お菓子や食材を買い込むとテレイアさんの家に向かった。
喜ぶかな、喜んでくれると良いな……そんなことを思いつつ。
けれどもそんな浮かれた気分に水を差すような、そんな騒ぎが街中で起こった。
事の発端は、小さな子どもだった。
「おかあさーん!」
よくある、子が親を呼ぶ声。
それを気にも止めずに歩いていると、俄かにその声の方が騒がしくなった。
何だろう……そう思いながら後ろを振り返ると、子どもの目前に馬車が迫っていたのだ。
間に合わない……!
慌てて動こうとするも、どんなに全力を出そうとも瞬間移動ができない限り間に合わないような状況だった。
けれども、御者がギリギリ馬車を止めることに成功。何とか事なきを得た……筈だった。
「一体何だ!何故、止まる……!」
喜びも束の間、馬車の中からそんな怒鳴り声が聞こえてきたのだ。
周囲の歓声も、その怒鳴り声を前に止む。
「貴様が急に止めたせいで、頭を打ってしまったではないか!一体どうしてくれる……!」
喚く声に、御者が震え上がった。
「も、申し訳ありません……!道端に、子が……」
「何?どうせ平民であろう!儂とその子ども、どちらが大切だと思うているのか!お前はあろうことか、平民を優先させたということだぞ!」
「も、申し訳ありません……!」
聞こえてくる言葉に、私はギリリと唇を噛む。
また、貴族か……!
「……殺せ」
馬車を中から聞こえたその言葉に、周囲は一段と冷える。
「は……?」
その命令に、御者は呆気に取られていた。
「聞こえなかったのか!儂はその平民を殺せと言ったのだぞ!」
シン……と静まり返ったその場で、その貴族の命令はよく響く。
街中の中心地だというのに、周囲からは物音一つしない。
誰もが恐れ、それ故に足が一歩も動かないようだった。
御者もまた、ガタガタと震え首を左右に振るばかりだ。
「……ふん」
御者のその様を見たからか、鼻を鳴らしつつ馬車の中にいたその貴族は唐突に外に現れ、子の前に立つ。
「貴様、分かっておろうな?平民の分際で、貴族の儂の前に立とうなど……」
「お、お許しください……!」
剣を抜こうとする男とその子の間に、女性が現れた。
恐らく、その子のお母さんなのだろう。
私もまた、その様を見つつも反射的に動いていた。
守らないと……!と。
自然と、その子とテレイアさんのところにいる子どもたちの姿が重なって見えた故に。
目指すのは自分の後方……その子とお母様のところ。
人通りが多く、彼らを巻き込まないようにするには自然と出力を抑えなければならないけれども……身体を強化して走れば、間に合う筈だ!
「まあ、待て」
けれども……彼らの前に行く前に、私は止められた。
「離してください!」
後ろから掴まれた手を強引に外そうとするも、掴まれた手はビクともしない。
一体何……?
身体を強化している私よりも強い握力の持ち主だというの?
「あの二人を守ろうとしているとは……随分気概があるな。だが、お前が出ても火に油なだけだ。俺に、任せろ」
掴まれていた手が離されたと同時に、私の前に騎士服を着た男が現れた。
そして彼は、颯爽とそちらに向かう。
私が呆然とその男の背を見ていたその時も、事態は動いていた。
「母親か?丁度良い……監督不届きで、二人ともこの剣の錆にしてやる」
地面に転がる子どもは、動かない。
いいや、動けないのだろう。
すっかり震え上がっているのだから。
そんな子どもに慈悲を見せるでもなく、男は剣を振り上げた。
いけない、行かなければ……!そう、私が再び彼らの前に向かったその時だった。
「……待ってください、グーフィス男爵」
私を止めた男が、貴族の剣を止めたのは。
「誰だ?お前も、剣の錆にされたいのか!」
激昂したまま、グーフィス伯爵は叫ぶ。
けれども剣を掴む男の顔を見たその瞬間……貴族の男は急に剣を持つ手の力を緩めた。
「お、おおぉお前……いや、貴様は……」
挙句、狼狽え始めたかと思いきや後退りしていた。
「覚えていただいたようで何よりです、グーフィス男爵。……ところで、グーフィス男爵。貴殿ほどの方がこのような些事で騒ぎを起こすなど、貴殿の評判にも差し障りがあるかと。どうかこの場は私の顔を立てて、その矛を収めてくださいませんか?」
しばらく、グーフィス男爵はその男をじっと見つめていた。
けれどもやがて鼻を鳴らすと、再び馬車の中へと帰って行った。
「さっさと出せ!」
そして御者に命令を出し、馬車はその場から離れて行ったのだった。
馬車が見えなくなった頃、再び歓声が辺りに響く。
「あ、ありがとうございます……!」
子どものお母さんは、涙ながらにそう言って男に頭を下げていた。
「貴方様は、一体……?」
「ロンデルだ。お前、気をつけろよ。母親を泣かせるな」
その男……ロンデルは、子どもの頭を撫でるとその場から離れて行ったのだった。
あれが、ロンデルか……と内心呟く。
平民ながらその圧倒的な武力故に異例の騎士団団長まで登り詰めた男か。
そして、サーロスの師匠。
なるほど、どうやら師弟揃って正義感が強いらしい。
あの子どもが助かって良かった……と安堵するのと同時に、悔しい思いが心を占める。
今日は、事なきを得た。
ロンデルという人物が、奇跡的にこの場にいたことによって。
けれども、じゃあ……彼がいなかったら?
そして、あの子どもがテレイアさんのところにいる彼らの誰かだったとしたら?
私は、彼らを守ることができるのだろうか?
ボナパルト様に託された、彼らを。
そのためには、力がいる。
けれどもまだまだ、私では力が足りない。
貴族の持つ、権力に対抗するための力が。
ロンデルのように武力に付随する名声や肩書きを、私は持っていない。
ならば……いや、だからこそ何にも負けない力が必要なのだ。
私の願いを、意思を、貫き通せるだけの力が。
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