カバレロドラドの胡蝶の夢

 夢を見た。

 俺は一頭ひとり、牧場を出て、雪道を歩いていた。途中で誰にも出会わず、気がついたら、海岸にたどり着いていた。

 牧場からだいぶ離れてしまった。人っ子一人いないし、もちろん、俺以外に馬はいない。どんよりとした灰色の曇り空の下で、俺は冬の海、浦河沖をながめていた。

 どこかの伝説だったか? 海の波を馬の群れが押し寄せるのに例えたのは。俺は波打ち際の小さな水の白馬たちをながめていた。

 俺が夢の中で着ていたのは、伊達政宗の陣羽織をモチーフにした馬着だった。濃い紫色の地に、カラフルな水玉模様を散りばめたものだ。関係者たちは「色々な意味でドラドに似合うね」と褒めていたが、何なんだ、「色々な意味で」とは? この俺が、ネズミの味噌汁を食べて死にかけた男に似ているとでも言うのか?

 傾奇者かぶきもの。それが、現役競走馬時代の俺のあだ名の一つだった。人間に例えるなら、劉邦と曹操を足して前田慶次で割ったようなトンデモ男というのが、世間一般に流布している「走る放送事故」カバレロドラドという馬のイメージだ。

 しかし、他ならぬ俺の父親こそが天下無双の「走る放送事故」だったし、同じ父から生まれた先輩の三冠馬もまた、俺を上回る「走る放送事故」だった。「英雄」と呼ばれた優等生一族とは対照的な、問題児の一族。俺もその一頭ひとりだ。その黄金の血筋を次世代へと受け継がせるのが、今の俺の使命だ。


 沖合から何かが湧く。水しぶきが馬の形を取り、こちらにゆっくりと近づく。

「誰だ、お前?」

 俺と同じサラブレッドの姿をした何者かは、恨めしげな目で俺を見つめる。

 誰なのか? 確かに俺は現役競走馬時代に、少なからず他の馬たちの恨みを買っている。心当たりがあり過ぎて、かえって思い出せない。俺が勝ったレースで故障した馬たちが何頭かいたが、俺はそいつらに直接危害を加えてなんかいない。

 奴が口を開く。俺と同じく、人語を解する馬だ。

「俺はあのレースでお前に負けて、次の年に死んだ。成仏など出来るか?」

 そうだ、あのレース。前代未聞の大失態だったが、かろうじて俺は一頭だけを追い抜いて、最下位にならずに済んだ。つまりは、この馬は俺の代わりに最下位になった奴だ。

 でも、俺だってそう簡単にお前に祟り殺される訳にはいかない。聞け!

「ならば、俺の子供に生まれ変わって世界一の馬になれ。それが実現すれば、お前は俺に『勝った』事になるぞ」

「うっ…!」

「これから俺は、種付けの季節を迎える。お前の魂、俺が預かろう。未来のダービー馬よ」

「…分かった。お前の子供となって『リベンジ』するのも悪くない」

 星の名を持つ馬は、本当に星になった。


 夢を舞う胡蝶は大海を目指し、さらに大空を目指す。


 奇妙な夢だが、夢とはたいてい奇妙なものだ。あの馬は、今は俺の中で眠っているのだろう。あいつだけでない。俺が今まで出会った様々な者たちは、俺の中で生きている。夢うつつをさまよう黄金の蝶は、現世へと旅立ち、未来を目指すのだ。

 日が昇る時間、俺は亡き父から受け継いだ馬房の窓に目を向ける。「もっと光を」と臨終のゲーテは言ったらしいが、俺はこれからも生きなければならない。俺はまだまだ死ぬ訳にはいかないんだ。

「時よ止まれ、お前は誰よりも美しい」

 いや、まだまだそんなセリフは言えない。俺はまだまだ生き続ける。

 そう、生き延びよ、生き延びるのだ。我々生き物は、生きる事それ自体が存在意義だ。animaを持って生きる者こそが動物animalなのだ。

輝き続けろStay Gold

 これから種付けの季節だ。太陽が俺に力をもたらしてくれる。生命の流れの中で、我々生き物はそれぞれの運命を生きるのだ。俺もこの果てなき世界の大海を進む。


 俺の黄金の大航海はこれからも続く。

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