第6話

 ハニエルが自室に戻るとなにやら部屋の中が騒がしかった。耳を澄ませばがさごそと物を物色する音が聞こえて来る。

 ——物盗りか? そんな想像がふと脳裏に浮かぶ。


 魔王の部屋へ盗みに入るなど、随分肝の据わった泥棒も居たものだ。

 そんなことを考えながらハニエルは徐に扉を開ける。ゆっくりと開かれた扉の先に居たのは、青年の従者と中年の従者の二人組だった。

 部屋の主が帰って来たのにも関わらず、彼らに慌てる様子はない。実に堂々と部屋の中央で居座っていた。さながら居直り強盗のようだ。


「おや、王子様のお帰りだ。いやぁすいませんね、勝手に部屋ン中荒らしちまって」


 右手にはめた手袋で汗を拭いながら、くだけた口調で中年従者が話し掛けてくる。左手には工具を持っており、どうやら彼は時計を直しているようだった。

 周囲には様々な部品や道具が散らばっている。どう使うのかわからない道具もいくらかあり、好奇心に駆られたハニエルはそれらをまじまじと眺めた。

 視線をあちらこちらへ移動させれば、中年従者が手元の懐中時計を見ながら時間を合わせているのが確認出来た。

 かちかちと規則正しい音が響いている。時計の中で秒針が忙しなく回っていた。


「王子、あまり近寄ると埃で喉を痛めてしまいますよ」


 そう言ってハニエルを制したのは傍に居た青年従者だった。

 彼は申し訳なさそうに眉を下げると、ハニエルに告げる。


「お疲れのところ申し訳ございません。このおっさんが時計をどうしても修理したいというもので……」


「壊れていたのかい?」


「ええ。先日壺を落とされていたでしょう? どうやらあのとき、砕けた欠片が時計の内部に入り込んでいたようです」


 青年はそう言うと手の平を広げてみせた。そこには小さな磁気の欠片があり、これのせいで時間が狂っていたのだと説明される。


「部品やら色々な物が散乱していて、万が一王子が怪我をされては大変です。片付け次第すぐにお呼びしますのでどうかそれまで別の場所で待機していてはもらえませんか?」


「えー、見てて楽しいんだけどな……」


「王子になにかあってはロゼ様が心配しますから。どうかお願いします」


 ロゼという単語を口にされ、ハニエルが押し黙る。隈を作った彼女の顔が思い出されて、ハニエルの中で罪悪感が膨らんでいく。これ以上変なことを仕出かせば、きっと彼女は倒れるまで無茶をして働くだろう。

 そんな未来が予想出来たハニエルは、「わかったよ」と呟くと部屋の外へと足を向けた。


「どうしよう」


 部屋を出たもののいきなり暇を潰せと言われても思い浮かぶものは何もない。ハニエルはなにをするでもなく王宮内を歩く。外はすっかり夜になっていた。

 いくつかの角を曲がり、月明かりを眺めながら宛てもなく歩いたところで、花の香りが彼の元に届く。その匂いには覚えがあった。


(確か、後宮の……)


 ——なんの花だったか、実物を見れば思い出せるかも知れない。

 そんなことを考えながら、花の香りに導かれるように彼の足は後宮へと向かっていった。


「あちゃー……」


 まず目に付いたのは道の脇に積まれた木材の残骸、壊れた石の壁などだった。日も暮れたというのに、侍女たちは残った木くずを健気に片付けている。

 ハニエルはそんな乙女たちをとびきりの笑顔で労いつつ、後宮の裏へと向かった。

 後宮の裏手には小さな庭園がある。初夏を迎えたヴィクトリアでは様々な花が咲き誇っていた。


「わぁ!」


 感嘆の声が自然と口から出てくる。ハニエルの視線の先には色とりどりの花が咲いており、月光に照らされて宝石のように花弁が煌めいていた。

 そよ風が吹けば甘い香りが漂ってくる。

 そしてハニエルは、入り混じる甘美な匂いの中に懐かしい香りを見つけた。


「リモニウム……」


 その花の名はハニエルの母、イヴァが好んだ花だった。忘れていた花の名前を思い出せば、次々と両親の思い出が蘇ってくる。

 二人は花が咲くこの時期になると決まってこの小さな庭園で談笑していた。生まれつき足が不自由なイヴァをジブリール自らが介抱し、花々を鑑賞して楽しんでいた。なにをするでも苦労するイヴァの介護を、ジブリールは嬉々として引き受けていた。仲睦まじい夫婦だったとハニエルは思っている。

 そんな思い出に浸りながら歩いていくと、リモニウムの咲く花壇が見えてきた。紫色の花々は、ハニエルの目にはどうにも寂しく映る。


「母上の元気がないと、君たちの元気もなくなってしまうんだね」


 よく見れば葉も花弁も所々変色してしまっていた。手入れが行き届いていないことが窺える。庭の手入れはイヴァが自ら行っており、特にリモニウムは入念に世話をしていたはずだった。

 変色していた部分を取り除く。きっと明日もイヴァは来ないだろう。

 ジブリール亡き後、彼女はすっかり憔悴し心を閉ざしていた。半年経過した今でも回復する兆しは見えず、いくら精神が図太いハニエルと言えど、日に日に弱っていく母の姿というのは辛いものがあった。


「お待たせしました。部屋の片付けが終わりましたのでどうぞゆっくりお休みください」


 気落ちしたハニエルの背後から青年従者の呼ぶ声が響く。初夏とはいえ北国の夜は肌寒い。

 ハニエルは呼び掛けに応じ庭園を後にする。

 リモニウムが風に吹かれて揺れていた。その姿はまるで、手を振り別れを告げているような姿だった。

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