第2話

「さて、昔話をしていたらすっかり遅くなっちゃったわね。というかハニエル、あなたお仕事は?」


「安心してください。昨日のうちに終わっていますから」


 部屋に置かれた振り子時計を見ればすっかり昼を過ぎていた。あいにくここにはティーセットしかなく、小腹を満たす昼食が欲しいところだ。

 ハニエルが従者を呼ぼうと席を立つ。


「王子様は座って待ってなさい。アタシが呼びに行くから」


 そう言うと、ミラージュはハニエルが呼びに向かう前に足早に部屋を出て行ってしまった。

 部屋にはハニエルただ一人。聞こえるのは、外の雨音だ。


「……そうだ。探したい本があったんだ」


 用事を思い出したハニエルは早速書棚に目を凝らす。


「人の夢に干渉する魔術なんてあったかな?」


 彼が探しているのは夢にまつわる魔術書だった。比較的新しい装丁の本から古ぼけて色褪せてしまったものまで、数多くの本がそこにはあり探すのが非常に困難である。

 さらに訪れていなかった期間中に増えた書物も多く、それは余計にハニエルを困らせた。目的の本は見つからない。


 ひとしきり本棚を見回したところで、ハニエルはある一冊の本に目を奪われる。

 本と本の間に身を隠すように置かれた本だった。手に取るとかなり古い本で、今にも紙がぼろぼろと崩れていってしまいそうだ。


「魔王についての仮説?」


 かろうじて読めた表紙の文字にはそう書かれていた。あいにく著者の部分は劣化が激しく誰なのかはわからない。

 ハニエルは慎重にその本を開くと中を読み進めていく。所々読めなくなっている箇所もあるが、全てが読めないというわけではない。

 その本曰く、


〝魔獣には肉体が存在しない。獣の姿をしているのは人間を襲いやすいからである。本来は膨大な魔力の集合体にすぎない〟


 と書かれていた。


「魔獣? 魔王のことではないのか?」


 魔獣についてのこの記述はハニエルも知っていた事実だ。

 近年では肉体再現に魔力のほとんどを割いているため、体に致命傷を負わせれば魔力が不足し消えてしまうことも発見されている。

 ハニエルはその先を読み進める。すると、興味深い一文が書かれていた。


〝膨大な魔力は人体に深刻な影響を与える。それならば魔王はどうだろう。魔力の祖である魔王の力を人一人が封じることなど可能なのだろうか? 私はそのことに疑問を抱く。そして、一つの可能性を提示したい。それは——〟


「おや?」


 そこから先の文章は劣化が激しく読むことができなかった。

 残念そうに溜め息を漏らす。そしてハニエルは先へ進もうと頁をめくる。だがしかし、そこで白く長い指が彼の視界を遮った。


「お待たせ」


 香ばしい匂いがする。ハニエルが振り返るとミラージュが昼食を持って立っていた。


「まだ雨は止んでいなかったわ。寒いから体の温まる料理を注文しておいたわよ」


「ありがとうございます師匠」


 二人は昼食を食べながら他愛のない会話を交わす。

 部屋にはゆっくりとした時間が流れていた。かすかに聞こえる雨音がじわりと頭に中へ浸透していく。

 それはとても心地のいい空間だった。


「眠くなってきたわね。ハニエル、あなたは平気なの?」


「ええ大丈夫ですよ。……師匠、そろそろ本題に移りましょうか」


 二人は食べていた料理を一旦机の上に置くと、深く息を吐き呼吸を整える。 伏せられていたハニエルの目が鋭く細められた。ミラージュもまた、ハニエルと同じ表情を浮かべていた。

 先ほどまでの穏やかな空間と違い、空気が張り詰めている。

 今から始めるのは世間話ではない。話の結果次第で新ヴィクトリア王国の行く末が大きく変わる場合もありえる。

 そんな緊張した局面の中で、ハニエルがミラージュに尋ねた。


「師匠は昨日の騒ぎをどの程度ご存知で?」


「まず、白い化け物が暴れていたというのは知っているわ。それから——」


 一拍おき、ミラージュが言う。


「魔力とは異なる力を感じたことも知っているわ」


「そう、ですか……」


 ハニエルは怪訝そうに顔を歪めると、口を真一文字に結ぶ。


「気に障ることでも?」


 難しい顔をするハニエルに対して、ミラージュはうっすら笑みを浮かべていた。その笑みは余裕すら感じさせるもので、ハニエルが何を考えているのか彼女はわかっているようだった。

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